医療・看護

2019年7月2日

診察室から 離島の中の離島で

 「わきゃー先生(私の先生)」。5年目に赴任した奄美大島の診療所で、島グチで親しみを込めて呼んでくれた患者さんの声が、今でも心で響いています。
 私は、今年で24年目になる内科医です。200床規模の病院で初期研修を終え、鹿児島県連内の小規模の病院を経て、奄美大島南部の離島診療所に赴任しました。ここは「離島の中に離島がある」と言われ、大島と海峡を隔てた加計呂麻島も診療圏でした。南国の情緒あふれる景色や文化は、とても魅力的でしたが、生活保護世帯が多いなどの経済的困難や、本土の30年先を行く高齢化など、多くの困難を抱えていました。
 「海上タクシー」と呼ばれる船で、2週間に1回の訪問診察にも行きました。まだドクターヘリなど想像もつかない頃、良くて救急艇があるくらいで、心筋梗塞を発症しても救命できず、悔しい思いも何度もしました。それでも、十分な経験も知識もない、私たちのような医師が、この地域の赤ちゃんから100歳を超えるお年寄りまで、内科も皮膚も整形も関係なく、患者さんの抱える問題に一つひとつ、力の限り応えるという経験は、何ものにも代え難いものでした。それをささえてくれた地域の人びと、職員のみなさん。「事務長は父、婦長は母」と、管理部として、未熟でも所長と呼ばれる我われをささえてもらいました。ここでの経験が、患者さんの思いをしっかり聞き、つかみ、応えること、自分たちの限界と他との協力、チームの力の合わせ方など、多くのことを学び、これらがずっと私をささえてくれています。
 その後、循環器専門研修なども経て、今は設備の整った病院で働いています。しかし診察室で心がけることは、島でつかんだものと全く変わりません。専門医制度の時代ですが、早い時期に専門研修ではなく、「私の先生」と思ってくれる患者さん、それを育む地域と、力を合わせられるスタッフとの出会いこそが大事ではないかと思います。これからの若い医師にもそれを知ってほしいです。

(中野治、鹿児島・国分生協病院)

(民医連新聞 第1695号 2019年7月1日)

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