民医連新聞

2003年5月19日

“毒ガスの島”で平和の決意 大久野島(広島)で新入職員研修―岡山民医連―

教科書にない戦りつの“歴史”

 【森田陽子通信員発】岡山県民医連は、新入職員研修の一環として瀬戸内海の小島・大久野島でフィールド ワークを行いました。そこは、かつて日本軍の毒ガス兵器製造工場があった島。敗戦まで秘密のため地図からも消されていました。自分が立っている一・三メー トル下に毒ガスが埋もれている事実に、新入職員の胸には戦争の恐怖がひしひしと。平和の決意を新たにしました。

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 「この毒ガス製造工場で働いていた人、近隣の人も健康を害した。毒ガスで殺された中国の人びとを思うと、胸をしめつけられるような思いがした。いままで 私が社会科(歴史)で習ってきたことはなんだったんだろう。実に表面的で、戦争を正当化したものだった。教科書には書かれなかった現実がそこにあった」。
 岡山県民医連が行った新入職員研修の感想文の一部です。新入職員はそれぞれに考え、思いをめぐらせました。

「のどかな島」の恐怖の歴史
 四月五日午前七時、バス二台に分乗した新入職員八八人、先輩青年職員二人、教育委員四人は倉敷市の宿泊研修施設を出発。午前九時、忠海港で七人のボラン ティアガイドさんと合流し、フェリーで大久野島へ渡りました。
 島は一足早く春がやってきたらしく、わずかな花を残す桜の下で愛らしいうさぎが迎えてくれました。何も知らなければ、ほんとうにのどかなリゾート地です。
 毒ガス資料館でVTRを視聴、その後毒ガス工場で働いていた人の証言を聞き、三グループに分かれて、約三時間、砲台跡、貯蔵庫跡、発電所などをボラン ティアガイドさんの案内で詳しく見てまわりました。

民医連綱領を深める研修に
 新入職員研修に「大久野島毒ガスフィールドワーク」をいれることになったきっかけは、一月の岡山県連青年ジャンボリー実行委員会の平和企画で島を訪問したこと(『民医連医療』五月号参照)。「今日参加した一六人だけの体験にとどめたくない」という思いが湧いたのです。
 岡山県民医連は、今年度はじめて一泊二日で実施。研修の日程をふやし、交流を深め、「民医連綱領」の『われわれは人類の生命と健康を破壊する戦争政策に 反対する』を、体験的に学ぶことをめざしました。
 初日は「民医連の歴史と綱領」「働くこと 学ぶこと」「岡山県民医連の歴史・課題と共同組織」の講義。青年ジャンボリー紹介や夜の交流会で先輩ともうち とけた新入職員たち。フィールド活動でも学びました。

かつて地図からも消されていた
 「大久野島は毒ガス製造秘隠のため地図から消されていた。働かされたのは一四~一六歳の子どもたち。平和の大切さを語るためにこの歴史を忘れない」「こ こで働いて被害を受けた人は秘密のため病院にかかれなかった。過ちを繰り返さない。改めて戦争反対」「あまりにも凄くて言葉にできません。現実に戦争を繰 り返そうとしている日本。なぜ? 身近にこんな島があったなんて。知らなかった自分が恥ずかしい」「今も毒ガスの被害は続く。後遺症に苦しむ元工員、土壌 や海に広がる汚染。非人道的なことをした日本だからこそ隠してはならない」「加害と被害、両面を知って戦争に反対したい」「毒ガスをつくって使用していた なんて。被害者の方に申し訳ない」…。
 胸が熱くなる感想を残した新入職員たち。この研修を機にそれぞれのスタイルで平和に関心を持ち続けてほしいと思います。

今も高濃度のヒ素汚染が

【解説】大久野島
 周囲四キロの島。一九二九年に毒ガス工場ができ、主に猛毒のイペリットなどを製造。計六六一六トンの毒ガスが製造され、半分が中国で使われ約一万人を殺 したという。日本軍がその使用を隠すため中国に廃棄した毒ガスが、農作業や工事で掘り返され被害を起こしている。九三年に発効した国連化学兵器条約により 日本政府は中国にある七〇万発を処理する義務を負っている。
 敗戦時、島には約三〇〇〇トンもの毒ガスと一万六〇〇〇発のガス弾が残り、海洋投棄・焼却・島内埋没で処理された。高濃度のヒ素による環境汚染が島内や 周辺でたびたび問題になっている。(参考:毒ガス島研究所ホームページ・http://www1.ocn.ne.jp/~dokugasu/

(民医連新聞 第1308号 2003年5月19日)

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