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2019年9月17日

民医連綱領 実践10年へ 地域に必要な医療・介護を守り抜きたい 経営再建のスタートに 福島・郡山医療生協

 福島・郡山医療生協は、経営困難から資金ショートの危機に陥り、2018年1月から全日本民医連経営対策委員会のもと経営改善にとりくんできました。1年半のとりくみで危機を乗り越え、今年6月に経営対策委員会は任務を終了。本格的な再建のスタートラインに立ちました。10月からは無料低額診療事業をスタートします。準備のすすむ郡山医療生協を訪ねました。(丸山聡子記者)

 「このとりくみを通じて、“困っている人の役に立ちたい”と仕事をしてきたことは、実は民医連の綱領と一致していたんだと確信できました。でも以前は、そのためにどういう目標を立てればいいのか、わからなかった」と遠藤和博さんは言います。同医療生協の中核病院である桑野協立病院リハビリテーション科科長です。

■経営困難「重度」

 転機は2013年。現金の出入りを示す事業キャッシュフローがマイナスに転じました。しかし、本格的な改善の兆しがないまま、2017年12月には全日本民医連が経営実態調査を実施。困難性の程度は「重度」との判断で、経営対策委員会が設置されました。
 対策をとらなければ資金ショートの危険もある―。そう聞いた時の衝撃を、組合員として同医療生協の副理事長を務める増子清子さんは語ります。「“自分たちの病院”と思い、毎月の理事会にも出ていたのに、赤字という言葉に慣れてしまっていた。存続も危ういと聞き、足下が崩れるようでした。出資してくれた組合員さんたちの顔が次々と浮かんで…」。
 経営危機は、長年にわたり全日本民医連経営部や北海道・東北地協から指摘されていたにもかかわらず、法人幹部の経営認識が不十分なまま経過したことが背景にあります。同生協の理事長で桑野協立病院院長も兼務する坪井正夫さんは、「みんなで議論して予算をつくる習慣がなく、ごく限られた幹部でつくっていた」と振り返ります。

■地域に踏み出し、地域を知る

 医療と経営を守り、必ず再建する決意をかため、月1回の経営対策委員会を開始。毎週の法人部長会議にも委員会のメンバーが参加し、日常的・具体的な経営改善に向けて学び、深めました。
 毎週の会議のたびに言われた言葉を、朽木暁美事務次長は今も覚えています。「自分たちで立てた目標を達成するために、あなた自身は何をしますか」。後回しにしていた決算報告を最優先にし、翌月15日には報告書をそろえて複数人で議論。再建に必要な利益を踏まえた事業所ごとの予算を作成し、着実に実践していきました。
 地域で求められる自分たちの役割は何か―。経営困難が明らかになる前に、地域の開業医を訪問したことがありました。「その時は自院のポジショニングが明確ではなく、アピールできなかった」と朽木さん。「お宅の病院が何をやっているか、よくわからない」と言われたこともありました。
 人口約30万人の郡山市に公立病院はなく、桑野協立病院のほかに私立の病院が4つあり、いずれもDPC病院。「独居の高齢者が風邪をこじらせ、入院をと思っても、受け入れてもらえない」と話す開業医もいました。
 病院から半径5km圏内の地域を分析すると、高齢化率は23%と市の平均より低い一方、世帯収入では年収300万円未満が半数近くを占めました。“若い世帯が多いが、低所得の世帯も多い”ことがわかりました。病院(120床、3病棟)の2病棟(一般42床)を地域包括ケア病棟に転換。あらためて開業医を回り、紹介入院は前年比190%と増加し、入院全体の4割を占めています。

■無料低額診療スタートへ

 「地域を知れば、自分たちがやるべきことが見えてくる」と朽木さん。坪井院長も、「地域での自分たちの立ち位置を考えた時、無料低額診療事業を決断しました」と言います。リハ科の遠藤さんは、「入院時に栄養状態が悪かった患者さんが退院後、真冬なのにストーブがなく、こたつを立ててストーブの代わりにしていた、と訪問看護師から聞いたこともあります。地域には支援を必要としている人がもっといるはず」と話します。
 副理事長の増子さんも、無料低額診療事業の開始に期待を寄せています。「組合員で国保の人の中に、無料で健診を受けられるはずなのに断る人がいました。どうしてだろうと聞いてみたら、国保料滞納で保険証を取り上げられていました。こうした人の役に立つ病院に」。

良いときも悪いときも

 看護部長の石井智子さんは、「最初に師長会で確認したのは、何でも言い合えるようにしよう、ということでした」と言います。物品やディスポ類を点検し、各部でのコスト管理を徹底。会議を減らし、毎日午後5時にはその日の仕事の進行具合を確認するなどして、残業を減らしました。
 師長が決算書の意味を理解するのは大変でしたが、今では全ての師長が読めるようになりました。「師長全員が自分たちで予算を組めるようになった。これが1番の変化」と石井さん。毎日、患者数とベッド稼働率、入院数を張り出し、職員ひとりひとりが意識できるようになりました。この夏、20年ほど使っていたテンピュールマットを買い換えました。「正しく分析してつくった予算を達成すれば、備品の補充もできる! 自信がつきました」。
 専務理事として経営再建の中心を担う鹿又達治さんは言います。「毎週の会議で互いに議論し、ダメ出しもして、1週間ごとに改善を積み重ねて、18年度の下半期には前進が見えた。予算を下回った時はもちろん、上回った時も理由を説明できるようにと言われ、少しずつそうなってきた」。
 院内保育所の閉鎖という苦渋の決断もありました。医師全員が60歳以上であり、医師確保も喫緊の課題です。「民医連綱領の実践と蓄積に学び、ここまできた。民医連医療に結集する意味を大いに語り、医師確保をすすめたい。住み続けられるまちづくりに貢献できる医療生協になるためにも、職員とともに経営を守っていきたい」と鹿又さんは話していました。

(民医連新聞 第1700号 2019年9月16日)

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