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2019年11月8日

あすをつむぐ看護

 道倫医師が私財を投じて、1952年に開院した「林道倫精神科神経科病院」(岡山市)。86年に民医連に加盟、統合失調症やアルコール依存症、認知症、うつ病、発達障害など、精神疾患全般を治療し、入院から地域生活まで幅広くサポートしている。

見えない“傷”と向き合う

 林病院には278床の入院設備がある。退院しても再び病院に戻ってくることが多い精神科の患者。失敗し、傷つき、世間の偏見にもさらされている。なかには「死ぬまでここにおりたい」と訴える患者もいる。
 精神科認定看護師の髙木俊輔さんは言う。「入院している方がストレスが少ないのでしょう。では、患者さんの苦しさの背景にあるものは何か。ここでの看護は、患者さんと一緒に苦しさと向き合っていくことでもあります。そのためにも“医療者と患者”ではなく“生活者と生活者”の視点であることが大切なんです」。
 林病院では、看護師、介護福祉士、作業療法士など多職種のスタッフと入院患者が集まり、週に一度グループワークを開く。買い物に行く、食べたいものを食べに行く、みんなでカレーを作る、家族に会いに行く…などなど。やりたいことを出し合い、どうしたらできるかを考えるなかで、少しずつ患者の関心を病院の外へ―。
 実際にグループワークから外出できたり退院につながった例も。「十数年も入院していた人にとって、外は別世界。切符を買おうとして『券売機がしゃべっている!』と驚いたこともあるんですよ。“浦島太郎状態”ですね」と髙木さん。
 精神科の病気は患部がレントゲンに映るわけではない。傷口が見えるわけでもない。だからこそ、対話の中からその人が望む生活は何かを見つけること。そして「退院したい」「外に出るのもいいな」と思ってもらうことが治療の第一歩となる。
 見えない傷と向き合う林病院の看護を、精神療養病棟担当の武田大介看護師は「薬を使えば症状は落ち着くけれど、“その人らしい生活”に近づくわけではありません。患者さんが望む生活が何かをつかまなければ、ただ一方的に医療を押しつけ退院を迫るだけになる」と語る。
 武田さんは「退院がゴールではない」とも言う。退院後、一人暮らしが不安な人は少人数で共同生活を送るグループホームに入所したり、訪問看護を受けることもできる。退院しても誰かとつながっていることは、患者にとって大きな安心になっている。

どんな患者も見放さない

 林病院は1986年、岡山県内で初めてアルコール依存症専門治療病棟を開設した。“否認の病気”と言われるアルコール依存症は、本人が「依存症ではない」と否定するため、医療機関につながるケースは全体の5%ほど。やっとつながっても、本人の意思のもとでの治療が基本となるため、途中で飲酒をすると退院させられ、治療が中断してしまうこともある。
 ほかの医療機関で治療を断られた患者も、入退院をくり返す患者も、入院中に飲酒してしまう患者も「林病院は決して見放しません」と、アルコール依存症病棟を担当する眞柄弘美看護師は話す。
 アルコール依存症は脳の病気で、飲酒のコントロールができないのが特徴。世間からは「本人の意志の問題」と思われ、周囲から責められやすい。
 眞柄さんは再入院の患者に対しても決して責めることはない。「私たちの仕事は患者さんを責めることではありません。アルコール依存症は仕事も家族も信頼も失い、いのちを蝕んでいく。無理やりお酒を遠ざけるのではなく、一緒に悩み信頼関係を築いて、飲酒しなくてもよい平穏な生活に向けていくことで、初めていのちを救えるんです」。
 毎週水曜日に行う「断酒会」や、退院した人たちが集うデイケアも行い、体験談や失敗談を話し合う場を設けている。患者同士の交流も、大事な“治療”の一つになる。

 「一般的に精神科の病院に対する偏見はあると思います。だからこそ林病院は、より地域に開かれた病院となるように意識しています」と武田さん。偏見という名の壁はまだなくならないが、林病院の雰囲気はとても明るい。退院後にその人らしい生活をめざす“対話の看護”は、患者の心に何度でも語りかける。
 「失敗したっていいんだよ」―。

眞柄さんと病院の廊下で話す武田さん(左)

眞柄さんと病院の廊下で話す武田さん(左)

林道倫(1885~1973)
日本精神医学会の開拓者で、岡山大学初代学長を務めた
大学退官後、林道倫精神科神経科病院を開院

いつでも元気 2019.11 No.337

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