いつでも元気

2006年6月1日

特集2 依存症「誰か私をとめて」 やめたいのにやめられない…

激増の背景には競争社会が

 「やめたいのにやめられない」「ほどほどにしておこうと思うけど、やりすぎてしまう。ブレーキがきかな い」「自分が嫌になる。自分は生きる価値がないと思う。死にたい」…これらの声は、アルコールや薬物、ギャンブル、喫煙、清涼飲料水、過食や拒食、仕事、 インターネットなどにハマった人たちの悲痛な叫びです。
 「好きでやっているのだから放っておけばいい」という人もいますが、そうはいきません。なぜなら彼らは楽しんでいるのではなく、苦しみながらくりかえし ている状態だからです。慢性的に進行する病気なのです。
 このように、害があるとわかっていてもやめられず、同じ習慣を繰り返してしまう状態を依存症、または嗜癖(アディクション)といいます。

アルコール依存症250万人

 依存症に共通する特徴は、4つにまとめられると思います。
 (1)強い快感があるために渇望を生じる 「不快からの逃避」という快感を含む。あるいは、強迫観念に突き動かされる。
 (2)やめようと思ってもコントロールできず、ブレーキがきかない やめなければヤバいとわかっていても強迫観念にかられてやってしまう。
 (3)その行動の結果として何らかの被害がある アルコール依存症や薬物依存症などでは健康被害や家庭崩壊など。ギャンブル依存症や買い物依存症では多 重債務とそれにともなう家庭崩壊や自己否定など。
 (4)被害があるにもかかわらず繰り返す 一時的にやめられても繰り返し再発する。
 依存症でもっとも多いのはアルコール依存症です。日本では推定250万人ともいわれています。ギャンブル依存症のひとつであるパチンコ依存症は、統計は ありませんが、少なくとも200万人はパチンコによる債務で苦しんでいると推定されます。買い物依存症なども表面化しにくいのですが、多重債務で苦しむ人 たちは数知れないでしょう。

病名がついたのは27年前

 日本で依存症が注目され医療でもとりあげられるようになったのは、1979年(昭和54)からです。この 年、厚生省が「アルコール中毒診断会議中間答申」を出しました。この中で「急性(慢性)アルコール中毒」という健康被害とは別に、あらたに「アルコール依 存症」という病名を提起したのです。
 答申はアルコール依存症の診断基準として、(1)コントロール喪失飲酒(お酒を飲まずにはいられない)と(2)離脱症状(不眠、手や指の震え、情緒不安 定、幻覚など)をあげました。これを契機に、アルコール依存症の治療が全国に広がりました。
 また、アルコール依存症の人たちによる自助グループが各地にできました。体験を交流しあい、生き方を変える運動が起きました。そして治療と運動があい まって、「死ななきゃ治らない」といわれた依存症から回復する人が現れました。医療への期待も高まり、医療機関に相談にくる人が増えたのです。
 こうしてアルコール依存症が病名として定着し、依存症という呼び方が薬物にも広げられました。中毒(健康被害)がなくても薬物をやめられないなど、自分 でコントロールできなくなっている状態があれば、薬物依存症と呼ぶようになりました。
 その後、マスコミなどでも多くの嗜癖行動を依存症とよぶようになりました。ギャンブル、買い物、恋愛など、人間関係や物事のプロセスへの嗜癖にも「依存 症」という呼び名が使われるようになったのです。

激増するパチンコ依存症

 依存症の中で最近爆発的に増えてきたのが、パチンコ依存症でしょう。パチンコは、規制緩和でどんどんハイリスク・ハイリターンの機械の導入がすすみ、換金もほとんど自由にできるようになり、賭博性の高い危険なギャンブルとなったのです。
 ギャンブル業界は自動車産業に匹敵する産業に発展し、これに結びついたクレジット・サラ金はトップ企業にのし上がってきているほどの異常事態です。自殺 者の激増や盗みなどの金銭犯罪にも大きく関与していることは間違いありません。
 フーゾク依存症や出会い系サイト依存症というあらたな被害も出ています。これも医療機関に相談にくるときの主な訴えは多くの場合、多重債務です。もちろ ん、家族関係の歪み、本人自身の自己評価の低下などの深刻な問題が生じているのは、どの依存症にも共通しています。

人間らしい生き方見失い

 自民党政府の「構造改革」は、市場原理のもとで強い者が弱い者を淘汰する、経済サバイバル競争へと私たち を追い込んでいます。人間は利益を生む道具とされ、人間らしい生き方を見失わされています。このことは職場だけでなく、教育現場や家庭にも深刻な影響をあ たえています。
 人間喪失の世界で生き方を見失い、空虚感や挫折感を抱いている人たちは数多くいます。この不安を埋める安易な手段が「何かに依存して空しさを埋める、ご まかす、逃げること」ではないでしょうか。依存症が増えた背景に、このような心理状況があると思われます。
 この空虚感につけこむように、いろんな産業が誘惑の手を伸ばしてきています。前述したもの以外にも、サプリメント・健康食品やセックス産業。ダイエット 産業の広告宣伝は「やせていないと可愛くない」「可愛くなければ愛されない」という観念をまるで催眠術のようにとなえています。新聞のチラシ、テレビの ショッピング番組などでも、国民の購買欲をかきたてる宣伝であふれ、何の規制もありません。
 そして消費欲を高められ欲求不満に陥っている人たちに、無担保で安易に金を貸すクレジット・サラ金などがつけこんでいます。本人が返せないのを承知で金 を貸し、悪どいやりかたで家族からも取り立てます。
 1%ほどの利子で銀行から調達したお金を20数%で貸して暴利をむさぼるクレジット・サラ金業界は世界に類をみない利益をあげ、その一方で、多重債務を 負った人たちは、どん底に追いやられています。

低い自己評価とその反動が

 誰でも依存症になる危険があります。ただ、こんな人が依存症になりやすいのではないかという説があります。たとえば、小さいころに繰り返し心が傷つく体験をした、つまりトラウマが依存に駆り立てる要因になっているという説です。
 幼いころに適切な養育を受けられず虐待されて育った(ネグレクト=育児放棄を含む)、厳しすぎるしつけを受けて育った、過保護・過干渉な親のもとで育っ た人などは、根っこに「人から見捨てられたらどうしよう」という不安を抱いています。
 そのため、自己肯定感やセルフケア(自律)の能力が育ちにくく、人生の壁にぶつかったとき、適切に自分を守りながら物事を処理することができません。そ して挫折を繰り返すうちに不安や空虚感が自分の内面を覆い、自己評価を下げていきます。
 同時に低い自己評価の反動として、ゆがんだ自己愛を肥大化させていきます。ゆがんだ自己愛の特徴は、自分をより立派に見せようとする、なりふりかまわな い努力です。いつも他人の賞賛を求める、他人からの批判に激怒するなどです。
 自己評価が低く、一方でプライドが高い。これらの人たちは正反対の不安定な自己像を持つために、充足感・安定感をもつことが難しい。だからこそ「虚しさ を埋めてくれる何かに依存する」ことでギリギリの安定を保とうとすると考えられます。
 このような心理的背景を持つ人が、ギャンブルや買い物の魅力、クレジット・サラ金の誘惑に負けて、多重債務に陥ると考えられます。

genki176_04_01価値観が逆転して人格も

 次に、ギャンブル依存症を例にとって、依存症がどのように進行していくのかを見てみましょう。
 (1)子ども時代の経験が伏線に
 幼いころ親などと賭け事を楽しんだり、「楽しいもの」と教えられたりした経験があると、潜在的にあこがれを抱きます。ギャンブル以外にも勉学競争やス ポーツに駆り立てられ、ゲームなどに夢中になるうちに、勝ち負けのスリルに対して異常な関心を抱くようになります。この子ども時代の経験が、将来ギャンブ ルにおぼれる伏線になります。
 (2)きっかけは
 快楽、好奇心、遊びなど、軽い気持ちです。
 (3)依存が深まる要素
 快感 「ビギナーズラック」など大勝ちの経験。大勝ちすると、脳からドーパミンという物質が過剰に分泌されて過剰興奮をまねき、この快感を繰り返し求め ることから依存に向かいます。大負けを経験すると、さらに依存がすすみます。「不快の回避」という快感です。「負け」からの解放、また日常生活のストレス 回避のために嗜癖します。この嗜癖が本人にとって苦しみを取り除く「薬」となり、「欠かせないもの」となってやめられなくなるのです。
 習慣化 「学習された条件行動」は習慣化し、修正しにくくなります。我慢していると空虚感やイライラ、不安感に襲われて苦しむようになり、やめられなくなるのです。
 価値観の逆転 ストレス解消の手段にすぎなかったギャンブルが生活の中心になり、仕事や家庭がギャンブルをするための手段になります。価値観の逆転で す。ここから物事を都合のいいようにとらえて合理化してしまう「認知の歪み」が生じます。
 (4)人格の分裂
 認知の歪みが人格の変化をきたします。人格が分裂し、「正常人格」と「ギャンブル人格」が独立して二重人格化します。スイッチが入ると人生観も価値観も 感情もすっかりギャンブルモードになって暴走します。そして負けてハッと我に返ったとき、『自分はなんて馬鹿なことをしたのだろう』と悔やみ、自殺を考え たりします。困り果てて「ギャンブルをやめたい」モードのとき、病院などに相談に来て適切な心理教育を受けると、治療効果があります。
 (5)より大きな刺激を求める
 依存が進むと、次第に「より大きな刺激がないと感動しなくなる」現象が起きます。アルコールではお酒の量が増え、ギャンブルや買い物ではより大金をつぎ 込むことです。被害はどんどん大きくなります。
 (6)依存を手助けする人の存在 
 もうひとつ治療上、重要な点があります。それは行き詰まって壁にぶつかり依存が続けられなくなった人に、依存を続けられるようにお世話をしてしまう人 (イネイブラー)の存在です。元手(お金)がなくなればギャンブルはできなくなるのに、資金を提供してしまう人などです。
 また、資金提供者は家族の場合が多いのです。本人の回復をいちばん真剣に願っている人たちです。お金がなくなり「やめたいけど、やめられない」と苦しん でいる。この苦しみを治療につなげることが治療の唯一のチャンスなのに、家族は「問題を表沙汰にしたくない」などの世間体や、金融機関のとりたてに負け て、かわりに払ってしまうのです。
 一時的に恐縮してギャンブルをやめる人もいますが、期間はせいぜい3カ月くらいです。やがて罪の償いを終えたと感じ、ギャンブルに手を染め始めます。 ギャンブルへの欲求や自己抑制能力の喪失は、家族が思うよりずっと強いのです。「家族が依存症の進行に手を貸している」という事実を理解し、治療の重要な テーマに据えることが重要です。

治療は身近な人の相談から

 依存症は、自分が病気だという認識をもちにくい「否認の病気」ですから、自分から治療を求めることは期待できません。たいてい治療は、身近な人の相談からはじまります。そこで治療は、家族が本人に働きかけることから始まります。
 最初に相談に来るのは、お金を提供してきた人が行き詰まって相談にくることが多いわけです。この第一相談者と医療者が治療同盟を結ぶことが決め手です。 うまく家族と協力関係が得られるとぐんと治療しやすくなります。相談に来た人に依存症について十分説明し、理解・納得してもらいます。そして「家族がすべ きこと、してはならないこと」(右表)をしっかり理解してもらうのです。

治療上、家族にできること

 家族が本人を病院に連れてくるために、できることがあります。
 (1)底をつかせる作業=痛みを痛ませる作業をおこなう
 金銭の提供や借金の肩代わりをやめる。本人の責任で解決するよう告げ、解決のための手続きの援助はする。治療を勧め、治療のための援助はすると告げる。ほかは突き放す。
 (2)治療を勧める 
 効果的なセリフ 「あなたは病気です。病院で治療を受けてください」
 説得のチャンス 「正気の本人」に働きかける。「賭博人格」に働きかけても効果はなく、逆効果のことも。
 議論はしない 家族の気持ちを真摯に伝え、議論はしない。感情的にならない。責めない。子ども扱いや、異常者扱いをしない。
 シンクロナイズ説得法 同じセリフで多くの人に説得してもらう。他の人たちに「親や妻のいうことをいちばん聞こうとしない」(依存しているため)と伝えて、力を借りる。

本人が治療の場に来たら

 本人が治療の場に来たら、まず本人の悩みや苦しみに共感する精神療法をおこないます。反省を迫る作業はその後です。順番を間違えると本人に拒絶され、治療になりません。
 治療では、まず本人に依存症の医学的理解をうながします。ついで自分自身の行動・感情・認知を自分で調べ、今後の生活イメージを作成してもらいます。生 活イメージには、必ず治療の継続と自助グループ(同じ患者同士で回復にむけて助け合う)への出席を入れてもらいます。
 さらに内観療法をおこないます。これまで関わった人たちを思い浮かべてもらい、「その人にしてもらったこと、返したこと、迷惑をかけたこと」について調 べてもらいます。1日あたり9時間、7~10日間続けます。約1時間おきに指導者と面接し、何を調べたか、何がわかったかを話してもらいます。自己評価を 高めたり、誤解による生き方の誤りを修正する効果があります。

自助グループにも参加して

 医療機関での治療だけでは不十分です。医療でできるのは、本人の疾病理解を深める作業だけです。依存症は 「生き方の病」ですから、生き方を変える作業を続けなければなりません。通院を継続して再発を予防し続けながら、人生の回復・成長を遂げるために自助グ ループに出席し続けることが大切です。
 自助グループでは仲間の体験を聞き、自分の体験を聞いてもらうことを繰り返します。この作業でより深く自分を知り、「グループの一員だ」との意識が依存 症に対する一定のブレーキになります。仲間を鏡にして自分を知ることにもつながります。
 ある自助グループによる回復のプログラムで、「回復の12ステップ」というものが有名です。これを私なりに解釈しなおすと、まず、依存しているものに対 して自分が無力であり、思い通りに生きていけなくなったことを認めること。そして「人生の棚卸し」をおこなって、誤りの本質、自分の性格上の欠点について 考えます。その上で謙虚な姿勢でこれまでの埋め合わせをしたり試行錯誤を続け、自分の生命の尊さを自覚し、意味ある生き方を求める生き方に変えていくとい うことです。

genki176_04_02家庭や職場でもとりくみを

 家庭や職場でも依存症の予防や治療に向けて、できることがあります。
 (1)家庭では
 家族は、互いの違いを尊重し合い、対等平等の民主的な関係の中で自己を確立し、セルフケア(自律)できるよう訓練し、援助しあうような関係でいることが 望ましいわけです。それぞれが自分自身の人生を生き、それを保障し合うこと、それが民主主義で、あるべき家族の姿です。
 依存したり依存させたりする家族関係は結局、相互の人権や人間性の軽視につながり、家族関係を歪めるもとになります。
 (2)職場では 
 職場の仲間を依存症で失うのを防ぐ立場から、保健予防活動の考えを導入する必要があります。
 第一次予防 発生を予防する。学習会をしたり、パンフレットを配るなど、職場全体の理解を深める。
 第二次予防 早期発見・早期治療。問題のある人は早めに専門家に相談してもらう。健康診断などに、アルコールやギャンブルなども調査項目に入れる工夫などもおこなう。
 第三次予防 リハビリテーション。例えばアルコール依存症と診断されたら、その人の通院や自助グループへの出席を職場で援助する。

 家庭や職場でのとりくみが、依存症の予防や治療にたいへん役立ちます。依存症の多くは恥ずかしい病気(ス ティグマ)です。恥ずかしいので隠します。それがさらに病気を進行させます。依存症を、悪評や陰の噂に終わらせてはいけません。職場でとりくむことでみん なで病気と認めることができ、正しい対応が可能になって、回復が促進されるのです。

いつでも元気 2006.6 No.176

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