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2020年1月10日

あすをつむぐ看護

文・新井健治(編集部) 写真・酒井 猛

患者宅への小路を歩く寺原さん(左)と常山さん。ハイビスカスが咲いていた

患者宅への小路を歩く寺原さん(左)と常山さん。ハイビスカスが咲いていた

 鹿児島市から南へ480km。サトウキビと闘牛で有名な徳之島に「訪問看護ステーションあまぎ」(奄美医療生協)はある。離島に医療機関は少なく、24時間の訪問看護を担う唯一のステーションとして、全島をくまなく回り島民の生活を支える。
 「子どもから高齢者まで。終末期の患者さんや、人工呼吸器の患者さんもみます」と語るのは、看護師の常山ルリ子さん。徳之島には徳之島町、天城町、伊仙町の3町があり、人口は約2万3000人。常山さんは「徳之島子宝空港」がある天城町の出身。中学卒業後に島を出て鹿児島市の高校に進学、神奈川の民間病院を経て10年前に島に戻ってきた。
 「私もここで生まれ育った。離島だからといって助からない命があるのは悲しいこと。島が好きで生活している人たちに、医療だけは平等であってほしい」。
 “子宝空港”との愛称があるように、島の出生率は全国トップクラス。「それほど親しくない人も、子どもに出会うと『大きくなったね』と声をかけてくれる。人と人のつながりが強く、安心して子育てできる」と語るのは、同僚の寺原小百合さん。寺原さんは伊仙町の出身。3人の子どもを育て、大阪の民間病院などに勤めた後に島に戻ってきた。
 子どもの数は多いものの、農業と漁業が主な産業のため、進学や就職で島を出た若者はなかなか戻って来られない。「中間世代が少なく、高齢者のみの世帯も多い。介護施設も少なく、認知症などで生活が難しくなると本土の家族が引き取るケースも多い。生まれ育った島で暮らし続けるためにも、訪問看護や訪問介護の役割がますます重要になっています」と寺原さん。

正式名称は「生協訪問看護ステーションあまみ サテライト生協訪問看護ステーションあまぎ」

「べっぴんさんが来てくれた」

 取材した日、岩元キヨさん(98歳)と栄次郎さん(64歳)の親子が二人で暮らすお宅の訪問に同行した。10月末だというのにセミがやかましく鳴き、道端にはハイビスカスの花が咲き誇る。栄次郎さんは20代の頃から難病を抱え、今では寝たきりの生活。視力に障害がある母親との二人の生活を、週に3度の訪問看護と、毎日訪れるヘルパーが支えている。
 「島口(奄美地方の方言)で、『お元気ですか』をなんて言うの、教えて」。寺原さんがキヨさんに話しかける。体温を測りながら、「今日は往診の先生が来るので、インフルエンザの予防接種を頼んでおこうね」と優しく微笑む。
 栄次郎さんは若い頃、難病の原因が分からず本土の病院を転々。島に戻ってからも医療への不信感が強く、ケアも受けずに褥瘡が悪化していた。常山さんは信頼関係を築くことからスタートし、今では血色も良く元気になった。「この島でトップの看護師さん。べっぴんさんが来てくれて嬉しい」と栄次郎さん。傍らでご機嫌なキヨさんが「もしもしかめよ、かめさんよ」と童謡を歌い出した。

慢性的な医師不足

 島には経済的に困難を抱えた世帯が多く、町役場やケアマネジャーから相談を受け、生活保護につなげることもある。常山さんは「お金がなくて受診できなかったり、必要な介護サービスを受けられないこともあります」と指摘する。
 慢性的な医師不足も課題で、民医連の「徳之島診療所」も常勤医は1人だけ。「いざ、というときに相談できる医師がいないと不安。24時間対応をしているので、夜間の急変時などは医師も大変です」と常山さん。
 寺原さんは「専門医がいない診療科の場合、大阪や東京の病院へ行く患者さんもいる。家族と離ればなれになるし、お金もかかる。住み慣れた島で安心して生活できるように、医師の派遣が必要です」と話した。

いつでも元気 2020.1 No.339

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