いつでも元気

2006年8月1日

特集1 座談会 教育基本法の改悪許さない 子どもたち一人ひとりが輝くよう

 通常国会で提出され、継続審議となった教育基本法改定案。なぜ政府は改定を急ぐのか。三上満さん、小林洋二さん、浜平小百合さんに話し合ってもらいました。(前号に教育基本法を全文掲載)

【出席者】

三上満(みかみ・みつる)
生かそう教育基本法東京連絡会の代表委員、子どもの権利・教育・文化全国センター代表委員、元中学教師、元全労連議長、前東葛看護専門学校校長

小林洋二(こばやし・ようじ)
全国革新懇代表世話人、前全労連議長

浜平小百合(はまひら・さゆり)
埼玉協同病院診療情報課、3児(中2、小6、小4)の母

「戦争する国」への人づくり

浜平 教育基本法の改定は、「戦争する国」への人づくりだと聞いて、これは大変なことだなと思いました。

 国旗国歌法をつくるとき、国は強制しないといっていましたが、いま中学二年の子どもが小学校に入学したと きと、小四の子の入学式とでは、ぜんぜん違ったのです。上の子のときは子どもが主人公で、子どもが壇上にのって、全学年で祝ってくれました。でも下の子の ときは壇に上がったのは日の丸でした。こんなにも様変わりしちゃうのか、法律が変わるというのは怖いなあと痛感したのです。

 教育基本法、じつは初めて読んだのですが、すばらしいですね。

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浜平小百合さん

三上 そういう人が多いんです。政府は変える理由を、国民が納得できるように示すことができません。改定問題がもちあがってから国民の関心が高まってますね。秋の臨時国会までに「改定する必要はない」という世論を一気に高めていけば、廃案に追い込めると感じています。

59年間も無視してきて

小林 政府は、子どもの不登校とか今の教育の荒廃は、教育基本法のせいだといっています。しかし制定されてから五九年間、政府はほとんど無視し続け、まじめに実践してこなかったのです。

 教育基本法では、「国家は教育内容には介入しません。教育条件を整備して、子どもたちに教育の機会均等を保障します」といっているんですね。ところが、どうですか。教科書の内容については干渉する、入学式・卒業式の日の丸君が代では先生を処分までしている。

 その一方、いま義務教育でもすごくお金がかかるでしょう。大学まで行くには、私立だと二〇〇〇万円くら い、公立でも一千数百万円かかる。これはまったく教育の機会均等を奪うものです。所得格差が教育格差になり、人間格差にまでなっている。ヨーロッパでは、 大学まで教育費は無料というのが当たり前ですよ。

浜平 そうですね。日本では子どもの能力より、親の経済力が子どもの進路を決めるような場面がいっぱいあります。

三上 経済的理由で差別しない。奨学金を出して、勉強したい者はみんな勉強できるようにしなさいというのが教育基本法です。しかし今は、無利子の奨学金なんてほとんどなくなっていますね。

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小林洋二さん

小林 ええ。ひどいのは、生活保護受給者がせめて高校へ行かせたいからと生活費を削って学資保険をかけていたら、生活保護で高校進学はぜいたくだと保護費を削った。裁判で全面勝訴しましたが、教育基本法を踏みにじっていますよ。

なぜ「個人の尊厳」なのか

三上 それなのに安倍晋三さんなんか、ライブドアの堀江元社長とか、ああいう人が出るのも教 育基本法のせいだなどといっていますね。個人の価値を強調しすぎるから、自分のことしか考えない、公共心がない、自分の利益にばかり走る、そういう人間が たくさんできたんだと。これは教育基本法のせいだという。まったく筋違いです。

 教育基本法には「個人の尊厳を重んじ」とか、「個人の価値を尊び」と書いてあります。個人ということを教育の根底に据えているわけです。それはなぜか。

 戦前、一人ひとりの人間なんて値打ちがない。軽いものだ。国家こそが重要だ。しかも日本は神の国だから、神である天皇の命令に従って命を捨てることが義務だ、尊いことだといわれていた。その結果が、あの侵略戦争でした。

 教育勅語をたたき込まれ、あの戦争をやらされたのはどういう人間像だったのか。一つには自主性がない、それから真実を知らない、いうならばだまされやすい、そして個人を尊重しない人間像です。

 この事実から、教育基本法では、個人の尊厳を教育の原理に据えたのです。何も自分の利益だけ追求するというような個人主義を据えたわけではないのです。

国民に直接、責任を負う

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三上満さん

小林 教育基本法前文には、「憲法の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」とあり、「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」とあります。平和憲法とセットなんですよね。

三上 人間の命、一人ひとりの価値こそが最高なんだ。だから、子どもたちがもっている能力や 個性や特性などにそって自発的な心をうんと大事にして伸びていけるようにするのが教育だ。上から押しつけたのでは、のびのびした創意を枯らしてしまう。国 家が教育内容に介入してはいけません、といっているのです。

 一〇条にこうあります。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」。この「国民に直接に責任を負う」というところが大切なんです。

 ところが与党案はこれを削ってしまい、教育は「法律の定めるところにより行われるべき」としたのです(左ページ参照)。法律をつくって、いくらでも教育を従わせることができるようにしようと。国家が教育を自由に支配できる国家統制の体制をつくるということなのですよ。

小林 見逃せないのは前文で、「日本国憲法の精神に則り」と書いてあることです。この「憲法」は今の憲法ではなく、自民党案の憲法のことです。憲法を変えることが前提なのですね。

10条変え、国が教育を自由に支配。その先にあるのは…

職場の振り分け・選別と同じ

小林 私は、教育基本法の改悪と職場であらわれている問題は一つなのだということを強調した い。振り分け、選別、これは財界の戦略なのです。日本は長いこと、基本的に終身雇用で、年をとるに従って賃金が上がった。賃金が安くても安定していたわけ です。ところが、これでは国際競争に勝てないと財界がいいだした。終身・長期雇用は労働者の二割ぐらいでいい。あとの八割は不安定雇用に切り替える。これ が二一世紀になって急速に始まったのです。

 教育審議会のある委員は、教育の二・二・六体制だという。文系と理系のエリートを二割ずつつくれば、あと の六割は落ちこぼれていいんだと。これは財界の戦略に対応するものなのです。すべての子どもの全面発達をつくり出すというのが現行法ですが、これとは根本 的に反する教育がすでに進行しているわけです。それにあった教育基本法をつくろうと。

 国の体制でいえばアメリカ型です。弱肉強食、貧富の差が激しくて、社会の荒廃がどんどん進み、その頂点に 軍事力がある。差別と格差をどんどんつくって最後は戦争ですべて処理する。だから彼らは、愛国心を押しつける。国を愛するとか郷土を愛するという心は自然 にみんなの中から生まれてくるものです。押しつけられることでは何の愛情も生まれませんよ。しかも「態度を養う」ですからね。

浜平 あれ、何ですか。態度って。

小林 「態度」なら見えるもの。日の丸に向かっているか、声を出して歌っているか、評価ができる。

人間像を法律で決めて

三上 二〇もの徳目を並べたててそのなかに「国を愛する態度」を盛り込んでいるんですね。政 府が財界の意向を受けて、こういう人間であってほしいというものを法律で決める。公共の精神に富んで、国を愛し、実直で、上の人のいうことをよく聞く。こ ういう望ましい人間像の枠組みを法律で決め、教育をしばる。

浜平 画一的な人間をつくろうと。

三上 たとえば、この「心のノート」。

浜平 ああ、うちの子ももっています。

三上 これなんか本当に画一的な心にしていく、人間の豊かさをいっさい奪いとっていくもので すね。これは小学校三、四年生用ですが、「勇気を出せる私たちになろう」とあるのです。勇気なんて、状況により人により、多様じゃないですか。それを「ど ういう人が勇気のある人なのか考えてみよう」といって六項目あげ、この中に本当の勇気じゃないものが二つあるという。一つは自転車で下り坂をスピードを出 して走る、それからもう一つは、友だちに弱虫といわれて、わざと危ないことをする。これは本当の勇気ではないと。こう枠をはめるわけです。

 だけど下り坂を自転車でスピードを出して走るなんていうのは、子どもにとってはすごい喜びじゃないです か。それから、弱虫といわれて危ないことをするのもだめだなんていったら、夏目漱石の「坊ちゃん」はどうなのか。弱虫といわれて坊ちゃんは二階から飛び降 りる。飛び降りて腰をぬかして、それを親父に知られて叱られると、「今度はぬかさないで飛び降りてみせます」と答えている。そういう人間のおもしろさ、愉 快さ、そんなものを子どもの世界から取り去って、型にはめて、仕立てる。そうすると企業は使いやすいし、国家も使いやすいのです。

 中学生の「心のノート」はズバリ最後は愛国心です。

国民から国への命令書

浜平 中学校の入学説明会で、ある保護者の方が「この学校は教職員組合が強すぎて、毎年やるべきことをやらない。ことしはしっかり日の丸君が代をやってくださいよ」という発言をしたのです。

 私、ここで黙っていたらいかんと思い、「いろいろ論議があったとしても、憲法に保障されている思想・信条 の自由は守るべきだ。だからそういう立場で一生懸命やっている先生方に対して失礼な発言だ」と抗議しました。正直なところすごく怖かった。そうしたらあと で何人かのお母さんが「よくいったね」と励ましてくれたのです。うれしかったですねえ。いうべきときにいうって、大事ですね。

三上 憲法一二条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、 これを保持しなければならない」とあります。日の丸君が代を強制する行政に対して、教職員組合は思想信条の自由を子どもたちに教えたいと努力している。そ れを悪いかのようにいうことに対して、よくいってくれました。

小林 あなたも「不断の努力」だったね。

三上 そういう一人ひとりの気持ちがあわさっていけば、新しい流れをつくる力になると思うなあ。

 教育基本法には三つの性格があると思うんですね。一つは、国民みずからがこういう教育をして、こういう人 間を育てますという「教育宣言」。二つめは、そういう人間を育てるためにこんな方法でやりましょうという「自主的教育実践指針」です。そして国民はそうい う教育を自主的な努力でやりますから、行政の役目はこうですよという行政に対する命令書、「政府に対する命令書」なのです。

浜平 憲法も国民が国をしばるものですよね。それを「政府が国民をしばる命令書」にしようというわけですね。

ゆとりと自主性、二つの宝

三上 外国の人が日本にきて感心することの一つが、学校の先生なんですね。こんなにたくさん の子どもを詰め込んで、こんな条件の悪い学校で、しかも読み書きができない子がほとんどいない。これは奇跡に近いと。そういう先生たちから、国が長いこと かけて、系統的、計画的に取り上げてきた宝がある。一つは自主性。もう一つは、ゆとり。この二つの宝を取り戻せば、日本の先生たちというのは立派に子ども たちを育てる力をもっていると思いますよ。

小林 僕は分校育ちで、三年生くらいまではほとんど字も書けない、算数もできない、遊んでば かりでした。四年のとき来た先生が、全員が納得するまでやる先生でね、先にわかった子は、できない子に教えてやる。基本がわかれば応用できるんだよね。み んなが力をつけちゃって、中学に行っても負けなかったね。

浜平 うちの子の先生も、よくやったねって、何でもプラスをつけてくれます。

三上 それはいい先生だね。人間として生きていく知識や何かの柱さえしっかり持っていれば、 細かいところなんか忘れちゃっていいものっていっぱいあるのよ。でも学校のテストというのは、その細かいところで評価する部分が多いでしょう。だからテス トの成績が悪いからって、能力がないとか頭が発達しないとかいうことじゃないんです。子どものありのままの姿に自信を持ってほしいね。

教育基本法
もう1回、自分のものとして選びなおす運動を

最近評判のフィンランドでは

三上 最近、学力世界一ということでフィンランドの教育が評判になっていますが、さっきの小 林さんの話じゃないけれど、みんながわかるまで教えあって、納得がいくまでやろう、そのために国も行政も援助しようという教育なんだね。成績に点数をつけ たり序列をつけたりはしない。しかもそれは、日本の教育基本法を模範にしたんだと、フィンランド自身がいっているのです。

浜平 教育基本法が子どもをダメにしたなんて、うそばっかりですね。

三上 憲法については、結局は九条を変えたいというのは明らかです。教育基本法も一番変えた いというのは第一〇条ですよ。国家が自由に支配できる教育にしたいと。国がめざすものと教育は必ずくっついています。明治憲法と教育勅語、日本国憲法と教 育基本法、そして自民党憲法案と改定教育基本法。

 九条の会のアピールのなかに、「今こそ国民が、日本国憲法を自分のものとして選びなおし」という言葉があるけれども、いい言葉ですよね。教育基本法も、もう一回、自分のものとして選びなおす、そういう国民的な運動をしたいね。

暮らしの実態と結びつけて

小林 そうですね。僕はそれとともに、教育の実態、あるいは職場の実態、あるいは国民の暮らしの実態と結びつけて大いに語り合い、運動することが重要だと思います。情勢はまさにせめぎあいですが、その中で個々の国民の心をつかめば十分勝てる、押し返せると思います。

 教育基本法改悪は、憲法改悪の一里塚ですから、ここで突破して憲法まで行かせないという点ではチャンスが来たと。

浜平 子どもを戦争に送りたい親なんか一人もいません。この教育基本法の魅力を語り、改悪の先のねらいを語ってなんとしても守っていきたい。きょうは、ありがとうございました。

写真・酒井猛

現行法10条
(教育行政)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
与党案
(教育行政)教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との 適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

いつでも元気 2006.8 No.178

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