いつでも元気

2020年4月30日

健康格差にタックル 
全日本民医連第44期がスタート

聞き手・武田 力(編集部)

1987年に山梨医科大学(現・山梨大学医学部)を卒業後、埼玉協同病院へ。2012年から同院院長を務める。内科医(総合内科、消化器・肝臓)。2012年から全日本民医連副会長。2020年、藤末衛・前会長の後を受けて会長に就任

1987年に山梨医科大学(現・山梨大学医学部)を卒業後、埼玉協同病院へ。2012年から同院院長を務める。内科医(総合内科、消化器・肝臓)。2012年から全日本民医連副会長。2020年、藤末衛・前会長の後を受けて会長に就任

 全日本民医連は2月、熊本市で第44回定期総会を開催。
 全国から集まった代議員が各地の実践を交流しつつ、今後2年間の運動方針を練り上げました。
 総会で新会長に就任した増田剛さん(埼玉協同病院院長)に聞きました。

―新型コロナウイルス感染症が広がっています。
 全日本民医連は総会終了後に対策本部を立ち上げ、政府に対して緊急要請を行いました。すべての方が必要な検査と適切な医療を受けられる体制をつくり、受診抑制が起きないようにすることが重要です。医療資機材・衛生材料の確保や「資格証明書」世帯への保険証交付の徹底のほか、医療・介護保険料の減免措置、医療機関・介護施設への財政支援なども必要です。
―総会で採択された第44期運動方針のポイントを教えてください。
 今回の総会では、綱領改定からの10年間を振り返り、2020年代の課題を見据えながら今後2年間の方針を決めました。
 1つ目のポイントは、ひとりひとりが個人として尊重される医療・介護サービスを創造するために、我々に何ができるかを考えることです。その際、職員自身にとっても「ここで働いていて良かった」と感じられるような事業をつくっていくことが、極めて重要です。民医連の強みを活かしつつ地域の中で役割を果たすために、新たな連携を模索することが経営面でも大事になっています。
 2つ目は、民医連の魂とも言える社会保障運動についてです。「全世代型社会保障改革」という全面的な社会保障解体路線に対峙して、それに代わる政策を打ち出していけるのかが問われています。改革の痛みや矛盾が集中する現場からの発信を強めること、健康権実現のためにさまざまな人たちと力を合わせることが求められます。
 3つ目は、「戦争NO」「核兵器廃絶」「地球環境守れ」の方針を全事業所で掲げることです。憲法9条を守り、辺野古の新基地建設を阻止する運動が引き続き重要です。加えて気候変動による被害は、防災対策が相対的に遅れている発展途上国に集中します。こういった不公正に対して、世界中の若者や市民が抗議の声をあげています。我々も共有したい視点です。
 4つ目は、以上の3つを通して医師確保と経営分野での前進、高い倫理観と変革の視点を持った職員の育成につなげていくことです。
―スローガンの中に「健康格差にタックル」という文言が入りました。
 「タックル」(取り組む)という言葉は、WHO(世界保健機関)などの国際的な文書でしばしば使われてきました。国際機関があえてこの言葉を使う背景には、さまざまな意味が込められているでしょう。おそらくラグビーやサッカーのタックルも念頭にあったと私は思います。
 例えば「不公正な分配にタックルする」と言う時、圧倒的な権力やお金の力で物事を操る相手に、勇気を振り絞って挑まなければならない場面がある。体格もパワーもある大きな相手にぶつかっていく時の恐怖は、私自身が高校・大学時代にラガーマンでしたからよく分かります(ポジションはスタンドオフ)。「タックル」は民医連の歴史にも通じる精神だし、ラグビーのように「ひとりで駄目ならみんなでぶつかっていこう」という気持ちも、スローガンには込められています。
―共同組織の皆さんにメッセージをお願いします。
 共同組織は民医連の最大の特長の1つであり、力強さの根源です。多くの方が病院・診療所などの事業に、主体者として手弁当で関わってくださる。本当に偉大だし誇らしいことです。
 貧困と格差が広がる中で、地域の福祉力を育むことがますます重要になっています。僕は先輩に「一番困っている人たちが立ち上がってこそ、社会は変わるのだ」と教わってきました。立ち上がった当事者たちをどう援助して、ともにたたかえるか。共同組織の皆さんと一緒に模索しながら、安心して住みつづけられるまちづくりのために力を合わせたいと思います。


全日本民医連第44回定期総会スローガン

○綱領改定10年のあゆみを確信に、「医療・介護活動の2つの柱」を深化させ、医師確保と経営改善で必ず前進を
○共同組織とともに地域の福祉力を育み、人権としての社保運動を旺盛にすすめ、健康格差にタックルしよう
○共同の力で、安倍政権による9条改憲ストップ! 核兵器廃絶、地球環境保全運動の飛躍を


増田剛新会長 よこがお

祖母の入院をきっかけに

 医師になりたいと思ったのは、高校生の時です。祖母が当時、有床診療所だった川口診療所(埼玉民医連)に入院していました。所長の寺島萬里子先生が回診に来ると、入院患者さんが目を輝かせて本当に嬉しそうにしていた。自分の将来を模索している時に、「人の役に立てる仕事だな」と感じたのを覚えています。
 埼玉には国公立大学の医学部がなかったので、山梨で大学生活を送りました。医療系のサークルで障害者運動に関わり、山梨民医連の職員にもお世話になりました。3年生に進学した春、山梨勤労者医療協会が倒産。再建のために奔走する職員の姿を目の当たりにしながら、勤医協が培ってきた地域住民との結び付きや信頼関係のすごさを実感する体験にもなりました。
 僕が医者になった1980年代は「医療費亡国論」が叫ばれ、医療改悪が本格化した時代です。実際、入院中の患者さんに「家族に迷惑をかけるから、これ以上治療しなくていい」と言われたこともあります。大変ショックだったし、そんな時はどうすればいいのかなど医学部では学ばないわけです。社会を変えなければ目の前の患者さんを救えないし、無差別・平等の医療は実現できないと強く思いました。
 また、患者の権利や医療の質の問題がクローズアップされてきた時代でもありました。“共同のいとなみ”を掲げる民医連には、患者中心の医療という考え方が自然に受け入れられる素地があったと思います。先進的な取り組みを学び合う中で、医療の中身も含めて民医連のよさを実感してきました。

いつでも元気 2020.5 No.343

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