民医連新聞

2020年7月21日

診察室から 民医連の優しい医療

 私は働く女医である。子どもは2歳と5歳の2人。夫も医師である。今は縁あって民医連の病院で勤務しているが、以前は大学病院で働いていた。最先端医療を追求し、夕方遅くに院内保育園へ迎えに行き、へとへとの状態で食事をつくって食べさせる。基本的にはワンオペ育児であった。必然的に精神的余裕もなく、長男も私の顔色をうかがうようになっていた。
 そんな自分を変えるきっかけになったのは次男の誕生であった。妊娠中も仕事を続けていたが、切迫早産になり緊急入院。長男と初めての離れ離れ。終わりの見えない入院は、妊娠8カ月で突如終わりを告げた。次男が1600gで出生したのだ。次男は、気管内挿管はしなかったが人工呼吸器がつき、中心静脈カテーテル挿入、経口胃管留置を受け、NICUに2カ月間入院。結局、慢性肺障害が後遺症として残った。いまだに当時の写真を見るとつらくなる。
 大学病院で患者を救っているという自負があった。男性医師に負けないようにがんばっているつもりだった。しかし、自分の子どもすら守れていなかったことを悔やんだ。大学病院勤務でも育児と仕事を両立させている医師はたくさんいるだろう。しかし、私はそんなに器用ではなかった。大学病院からは勤務調整を打診されたが、最先端医療に疲へいし、素直に受け入れることができなかった。
 今の病院では、バックアップ体制が充実しているおかげで、育児を優先し勤務を続けることができている。子どもたちにも笑顔が増え、自分自身にも余裕ができた。
 民医連の医療は患者に優しい。経済的に厳しい患者も、身寄りのない患者もいる。しかし、決して見捨てない。自宅訪問してでも通院につなげようとする。大学病院の医療も当然必要だと思う。現に次男は医療がなければ生きられなかった。しかし、私に合っていたのは民医連の医療だった。今後、長男の小学校入学などを控え、子育ての状況は刻々と変わるだろう。しかし、ここで優しい医療を提供し続けていきたい。(石口絵梨、山口・宇部協立病院)

(民医連新聞 第1718号 2020年7月20日)

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