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2020年8月31日

カモシカ物語

森住卓(写真家)

 俺はニホンカモシカのオス。俺たちカモシカは人間のように群れを作らない。いつも1人で行動している。
 俺が住んでいるところは阿武隈高地の西側、福島県浪江町津島という山の中の村だ。ここでは米をつくり、牛を飼い、山から木を切り、阿武隈高地の花こう岩を掘って石材業を営むなど、およそ1400人の人間たちが住んでいた。
 人間たちは隣近所で助け合い、とても仲良く暮らしていた。春は野山で山菜を採り、夏は請戸川でヤマメやイワナを釣って、秋にはキノコが採れた。春と秋の祭りでは田踊りや獅子舞が舞われ、子どもも大人も目が輝いていた。
 でも、あの日を境に人間が突然いなくなったんだ。3月だというのに雪が降り、とても寒い日だった。山の向こうの海の方から「ドーン」という大きな音が聞こえてきた。しばらくして、焦げた臭いがして口の中では鉄の味がした。「なんだかおかしいな」と思ったけど、山は静かだった。
 村には浜の方から、着の身着のままでたくさんの人間がやって来た。どうやらツナミとホウシャノウというものから逃げて来たらしい。津島の人たちは、みんなで協力して炊き出しや寝泊まりするところを提供した。
 しばらくして、白い服を着た物騒な人間がやって来て「早く逃げてください」と叫んだ。浜通りから避難した人も村の人も、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。村の入り口にはゲートが設けられ、人間は入れないようになってしまった。

俺のすみかは人の家

 あれから9年が過ぎた。
 俺がすみかにしている家は、関場健司さんという65歳の男性と、その奧さんが住んでいた。避難後は時々戻って来て、家の周りの草を刈ったり壊れた裏口の戸を直したりしていた。でも、最近は姿を見かけないなあ。
 ある日、イノシシが関場さん宅の玄関のガラスを壊し、誰もいない家の中に入った。家の中には残された漬け物や乾麺や蜂蜜のビンやペットフードなど、俺たちのご馳走が残されていたらしい。
 「おいしい食べ物がある」という噂は森の仲間たちにすぐ伝わった。テン、ハクビシン、アライグマ、タヌキ、キツネ、ヒメネズミなど仲間が次々にやって来た。
 昼間はカラスもやって来た。家の中はイノシシが茶箪笥の角に泥をこすり付けた跡が残り、押し入れから布団が引きずり出され、襖は倒された。障子も上から下まで破られた。サルが遊んだ跡らしい。
 俺は今年になってこの家にやっかいになったので、一番最初にすみかにしていた仲間が誰なのか知らない。居間にはこたつがあって休む場所もある。俺はここが気に入っている。なにより雨風がしのげてありがたい。
 もとは築55年の家だ。俺たち動物が荒らしたので、関場さんはその様子を見るのがつらいのだろう。

ホウシャノウ?

 人間たちはなぜ、いなくなったんだ?
 先日、「ピピピー」と音が出る機械を持った白い服の男がやって来て、軒下や納屋の入り口などを測っていた。
 「わー、放射能がすごい。49マイクロシーベルトだ。樋の下は90マイクロシーベルトを超えている」など、ぶつぶつ言っていた。ホウシャノウ? どうも、人間がいなくなった理由はこれらしい。
 たしかに最近、サルの赤ちゃんの様子がおかしい(別項①参照)。これもホウシャノウの影響だろうか。俺たちも汚染された森に住んでいる。これからどうなることやら。

人間が戻って来る?

 そうそう、ここから避難した人間たちはサイバンなんてものもやっているらしい。がんという怖い病気にかかった人間も増えているそうだ(別項②参照)。
 難しいことは分からないが、俺たちが住んでいる広大な山はそのままにして、どうやら人間たちが戻って来るらしい。山にはまだホウシャノウがいっぱいある。たとえ平地をきれいにしても、山からホウシャノウが降りて来る。戻って来て、本当に大丈夫なのか(別項③参照)。
 でも、俺たちはそんなことにお構いなく、山のブドウやクリやカキや木の芽や昆虫を食べている。イノシシなんか土の中からミミズや葛の根を掘って食べているから、体の中にホウシャノウがたくさんたまっているっていうことだ。
 人間のやったことだから、俺たちにはどうすることもできない。俺自身、体のことがとても心配なんだけど。だってオイラ、ニホンカモシカは、天然記念物で保護されている動物なんだぞ。

 昨年春から福島県浪江町津島の方に承諾を頂き、空き家になった住居にトレイルカメラ(無人カメラ)を数台仕掛けて野生動物を撮影している。浪江町は2011年3月の福島第一原発事故で町の大半が帰還困難区域に指定され、事故から9年半が経った今でも、ほとんどの住民は帰ることができない。
 カメラの前に登場した最大の野生動物がニホンカモシカだ。昔からカモシカは神の使いとして崇められてきた。カメラを見つめるカモシカは、自然と共に生きることを止めた人間の愚かな行為を静かに見つめている。


 毎日新聞は2018年11月20日、福島県内に生息する野生のニホンザルについて、原発事故後に骨髄で血液の元になる成分が減ったり、胎児の成長が遅れているとの研究結果がイギリスの科学誌に発表されたと報道した。新聞には「原発事故で放出された放射性セシウムを、木の皮などの食べ物から取り込んだことによる被ばくの影響の可能性がある」と書いてある。


 福島県浪江町津島の住民680人が、2015年9月から「ふるさとを返せ」と国と東京電力を相手に裁判を起こしている(津島原発訴訟)。19年9月には福島地方裁判所郡山支部で、人口1400人の津島で原発事故後、4人が甲状腺がんになったと住民が証言。甲状腺がんの罹患率は人口10万人あたり8人(2010年)のため、およそ35倍。事故前には考えられなかったことが起きている。


 政府は2017年、帰還困難区域内の避難指示を解除し、居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」を定めることを決めた。浪江町は津島の中心地を対象に2023年までに除染と家屋の取り壊しを行い、住民の帰還を目指すという。中心地以外のことは何も決まっておらず、「私たちは見捨てられる」と避難した住民は怒る。
 さらに最近、黙っていられないことが起きている。政府は今年7月1日、放射線量が年間20ミリシーベルトを下回れば、除染をしなくても地元の意向に応じて避難指示を解除する方針を明らかにした。津島に隣接する飯舘村長泥地区の一部に適用する考えだ。
 佐々木茂さん(福島原発事故津島被害者原告団副団長)は「政府の方針は“食い逃げ”に等しい。そのうち他の帰還困難区域も同じようなことになるだろう。復興拠点作りのふりをして、それ以外の帰還困難区域は知らぬ存ぜぬだ。除染が終わらないのに『解除』とは国の避難要件に合わず、責任放棄につながる」と怒る。

いつでも元気 2020.9 No.346

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