いつでも元気

2006年11月1日

特集1 赤ちゃんは自分でおっぱいを探す! 津軽保健生協 健生病院 生まれたらすぐお母さんの胸に 「赤ちゃんにやさしい病院」に認定 WHO、ユニセフ

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生まれてすぐお母さんに抱かれる赤ちゃん。お父さんがへその緒を切るのを見守る斉藤医師(中央)とおじいちゃんたち

 弘前市の津軽保健生協健生病院はことし、ユニセフ(国連児童基金)とWHO(世界保健機関)による「赤 ちゃんにやさしい病院(BFH)」に認定されました。青森県では初めて。東北六県でも四番目の認定です。母乳育児に積極的にとりくみ、赤ちゃんとお母さん の健やかな毎日をケアしてきたスタッフの、一八年間の努力が評価されたのです。

生まれたときから母子一緒

 健生病院(二八二床)の産婦人科は、内科、小児科との混合病棟(四二床)のうちの一八床です。産婦人科医は二人、看護師二四人。うち九人が助産師です。
 この病棟の大きな特徴は「収容新生児室」がないこと。帝王切開で生まれたような赤ちゃんでも、すぐにお母さんと一緒にベッドで寝ることになるからです。
 「これまで多くの病院は、お母さんを休ませるといってお母さんから赤ちゃんを離し、時間を決めてミルクをあげてしまっていました。でも昔から、赤ちゃん とお母さんはいつも一緒でした。赤ちゃんは生まれたらずっとお母さんのそばにいて、おなかがすいたら泣いておっぱいをもらっていた。そんな自然な育児を私 たちはめざしてきました」と伊藤かよ子病棟師長は話します。
 ここでは、生まれた赤ちゃんは体をふかれただけで、すぐにお母さんの胸へ。へその緒を切るのも、お母さんか、立ち会っている父親や家族の役割です。
 「お母さんの肌に触れると赤ちゃんは安心し、すぐ泣きやみ、やがて自分ではいあがっておっぱいを探す。そんな力があることに、お母さんも感動しますよね」
 出産直後から完全母乳ですが、お母さんのおっぱいがすぐには出なかったり、赤ちゃんが上手に飲めなかったり。そんなときも、二四時間オープンの授乳室や ベッドサイドで、助産師がお母さんに寄り添って指導しています。小児科の長谷川弘美医師も毎日訪れます。
 退院後も育児相談に気軽に応じ、お母さんと家族をバックアップしています。

出産後30分以内に母乳を

 ユニセフとWHOは母乳育児推進のため、世界中の産科施設に「母乳育児成功のための一〇カ条」を呼びか け、長年にわたって順守した施設を一九八九年から「赤ちゃんにやさしい病院」として認定しています。きっかけは、アフリカなどの後進開発国に、「援助」の 名目で先進国から粉ミルクが多量に送られたこと。不衛生な環境でつくられたミルクで、命を落とす子もたくさんいました。
 赤ちゃんに必要なのは、母乳がきちんと与えられる環境や、お母さんの心身の健康のはず。その考え方やとりくみを広めようと始められたものです。
 一〇カ条には、たとえばこんな項目が。
 「母親が出産後三〇分以内に母乳を飲ませられるように援助をする」「医学的に必要でない限り、新生児には母乳以外の栄養や水分を与えない」
 「赤ちゃんは母乳で育つ」という意識を徹底するため、「哺乳瓶のマーク」や「おしゃぶりを口にする赤ちゃんの絵」も使いません。
 二〇〇四年には、健生病院の一カ月健診時の完全母乳率(母乳だけで育てている率)は約七五%。四人に一人の赤ちゃんはミルクも飲んでいました。
 そこで退院後も母乳育児を続けてほしいと、退院後一週間目くらいを目標に、助産師による産後健診をスタート。〇五年には、一カ月健診時で九一・六%が母 乳のみ、四カ月健診でも七四・一%が母乳のみで育児というまでになりました。

助産師が育児にも積極的と

 健生病院に産婦人科と小児科が併設されたのは八八年。父親立会い分娩や産後一日目からの母子同室などはすぐ取りいれ、二年目には助産師外来、三年目には「母と子の共有カルテ」と、とりくみが進んできました。
 「健やかに産み、育て、働き、老いる」という女性のライフサイクルを援助し、ともに歩む。そうした健生病院の医療の原点を形にしてきた一八年だったと、 開設時から働く助産師の阿保たか子さん、三上久美子さんたちは語ります。
 「母乳育児も無理に押しつけるのでなく、お母さんと同じ立場にたって、赤ちゃんが望むのはどんな育児かなってやってきた感じです。ああしたらどうか、こ れはどうかと、みんなで話し合い築いてきた産婦人科です。医師が理解してくれたことも重要でした」
 「出産後のお母さんは気分が不安定で、不必要に自分を責めたり、悲しく惨めになって眠れなかったり泣けてきたり、ということがよくあります。そういうお 母さんを精神面で支えることもとても大切なのです」
 助産師四年目でいちばん若い佐藤澄枝さんは、「助産師同士が話しやすい雰囲気で、母乳育児にも積極的だ」というウワサを聞いて健生病院に就職したといいます。
 「お母さんがうまく授乳できないとき、どう対応していいかわからないこともありました。そんなとき先輩助産師が蕫これでいいのよ。いつでも呼んでね﨟と お母さんを安心させ、ていねいに指導しているのをみて、気持ちまでケアできる素晴らしさを実感しました」
 ちなみに待合室で、なぜこの病院で出産したか聞くと、近所のウワサでいいと聞いたからという答がほとんどでした。

母乳育児への理解を広げて

 子宮外妊娠の手術を終えたばかりで駆けつけてくれた斉藤美貴医師は、自分自身も九〇年にこの病院で出産しました。
 「妊娠したくてもできなかったり、流産してしまったり。産婦人科はいろんなことがあります。健康でふつうに妊娠して出産できることが、本当はすてきで素 晴らしいことなんだって、多くの人に知ってほしいですね」
 最近、産科が閉鎖されたり産婦人科の医師が減っていることが、大きな問題になっています。過重労働や医療行為のリスクが高いなど、社会的に解決しなけれ ばならない課題もたくさんあります。そのうえで斉藤さんは、「新しい命の誕生に立ち会える感動を、医師を目指す人たちも味わってほしい」と語ります。
 一八年の経験にたってBFHに認められ、これからの健生病院産婦人科はどのような課題を目標としていくのか。主任助産師の岸千加子さんはこう語ります。
 「お母さんが退院して家に帰ったとき、もっと母乳育児がしやすい環境をつくっていきたいですね。たとえば、保育園に子どもを預けて働きだしたとき、母乳 育児を理解し協力してくれる企業がどれだけあるでしょうね。私たちももっと外へ出ていって、母乳のよさをわかってもらう地域づくりをしていかなくてはね」
 健生病院産婦人科のとりくみは、さらに大きく広がっていこうとしています。

文・矢吹紀人/写真・久保田弘信

いつでも元気 2006.11 No.181

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