MIN-IRENトピックス

2021年2月2日

阪神・淡路大震災から26年 公的補償を実現 借り上げ住宅追い出しのいま オンラインでメモリアル集会

 1月17日、神戸市内で「阪神・淡路大震災26年 メモリアル集会」が開催され、オンラインでも配信されました。近年、日本全国で多発している自然災害にも触れ、被災者への公的補償の充実を求めました。

 1995年1月17日未明、阪神地域を震度7の地震が襲いました。6434人のいのちが奪われ、約25万棟の建物が倒壊し、多くの人が住まいや生業(なりわい)を失いました。集会を主催した阪神・淡路大震災救援・復興兵庫県民会議(復興県民会議)は約1カ月半後の3月4日に結成しました。
 当時、被災した個人への公的補償はなく、政府は「(公的支援は)私有財産制の国では不可能」と発言していました。これに対し復興県民会議は「個人補償・公的支援」を求める署名運動などにとりくみました。3年後の1998年5月に「被災者生活再建支援法」が成立し、2度の改正を経て、住宅損壊に対する最大300万円の個人補償を実現しました。
 集会で報告に立った復興県民会議代表委員の畦布(あぜふ)和隆さんは、「復興県民会議の参加者のほとんどが大震災の被災者。家族や縁者を失った人たちと悲しみをともにし、住宅再建、暮らし再建の『個人補償・公的支援』の要求は、被災者の願いそのもの」と強調。国・自治体への要請や大規模集会、デモなどを多くの個人や団体、超党派の政党とともに多彩に展開してきたことを紹介し、「この共同、共闘の力が政府や自治体の“厚い壁”を突き破る力になったことは間違いない」と語りました。

■借り上げ住宅問題

 ひょうご震災復興借り上げ住宅協議会運営委員の段野太一さんは、「借り上げ住宅問題・裁判を通じて」と題し、最終段階を迎えている入居者のたたかいについて報告しました。
 「借り上げ住宅」とは、震災で住まいを失った被災者向けの公営住宅の建設が追いつかず、UR(旧住宅都市整備公団)や民間住宅を借り上げ、公営住宅として被災者に供給したもの。避難所や仮設住宅を転々としてきた被災者が、安心して住み続けられる「ついのすみか」でした。ところが震災から20年後の2015年を前に兵庫県、神戸市、西宮市は「20年の賃貸契約終了」を理由に、住民に借り上げ住宅からの退去を求めたのです。入居当時には、「20年の期限が過ぎたら退去が必要」という説明はありませんでした。
 借り上げ住宅協議会は、「転居しようにもできない入居者の現状を理解し、話し合いで解決すること」「入居者の立場を理解し、柔軟に対応すること」などを求めました。しかし、神戸市と西宮市は協議会との話し合いを拒否し、病気や高齢などで転居できない入居者を、裁判で訴える暴挙に出ました。一方、兵庫県は裁判に持ち込まずに話し合いでの解決をめざし、継続入居を希望した95%が継続入居を認められています。
 裁判では「事前に通知したか」などが争点でしたが敗訴。その後、西宮市では、提訴した7世帯と協議を続け、4世帯で和解が成立しています。同協議会では、神戸市とも粘り強く解決に向けた協議を続けています。
 裁判では敗訴しましたが、実際には3条件(85歳以上、重度障害者、要介護3以上)に該当する世帯は継続入居できるほか、(1)URの団地を市が買い取り551世帯が継続入居、(2)知り合い同士複数世帯で同じ団地への転居が可能に、などの前進を勝ち取っています。段野さんは、「この間の運動の最大の教訓は、当事者の意見や実情を無視して計画を強行すべきではないこと、自治体は住民のいのちと暮らしを守る責任があることを自覚して真剣に市民と向き合って解決をはからなければならないことです」と語りました。

*  *  *

 このほか、ふくしま復興共同センター代表委員・斉藤富春さんが「東日本大震災から10年 今、福島で起こっていること」について報告。弁護士の津久井進さんが、「新型コロナ禍での災害対策」と題して記念講演をしました。
 最後に「阪神・淡路のたたかいは、暮らしの再建を求めるたたかいの出発点である」として、これを全国に大きく広げることを訴える集会アピールを採択しました。(丸山聡子記者)

(民医連新聞 第1730号 2021年2月1日)

お役立コンテンツ

▲ページTOPへ