いつでも元気

2007年2月1日

元気スペシャル 平和を語って青年職員が仲間づくり

 「平和への思い、自分のことばで語りたい」「戦争は絶対ダメ」・民医連では青年職員が平和について率直に話し合える仲間づくりをすすめています。神奈川県民医連と、東京・健和会のとりくみを取材しました。 (斉藤千穂記者)

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知ったことは伝えなくては
平和学校 卒業生が運営委員になって

「基地のまち」神奈川で
毎月1回学習会ひらき

 「原爆を落としたことは正しかったというアメリカ人に私はいいたい。“ではあなたは自分の子どもの上に原爆を落とせますか?”と」。中村雄子さんの被爆体験にじっと聞き入るのは、神奈川県民医連主催の平和学校の受講生たちです。
 日本で二番目に米軍基地の多い県、神奈川。神奈川県民医連では青年職員を対象に二〇〇〇年から平和学校を開いています。〇六年一〇月に第六期がスタート。一年間、毎月一回の学習会があります。
 二回目の今回(一一月二四~二五日)は合宿企画。一日目に中村さんの被爆体験を聞き、翌日は一九七七年に九人の民間人の死傷者をだした米軍機ファントム の墜落現場(横浜市青葉区=当時緑区)で、被害者の椎葉寅生さんに話を聞きました。

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平和学校で語り合う受講生たち

初めて聞いた被爆体験

 中村さんは一三歳のとき広島で被爆。「周りのほとんどの人が二~三日以内に亡くなりました。苦しみながら亡くなった子どもたちの声、皮膚がずり落ちた状態で助けを求めてさまよう人たちの姿を今も忘れられません」と、原爆症認定集団訴訟に立ち上がった思いを話しました。
 受講生たちの感想は―。
 「被爆体験、初めて聞きました。リアルで怖く、悲しくなりました。原爆・戦争は絶対ダメ!って思いました」と片山有さん(汐田総合病院)。
 「戦争は二度としてはいけないと思いました。未来への責任は大人たちにあるということばが心に響いて…。聞いたこと、知ったことを伝えていかなければと 思います」と藁谷美希さん(かながわセントラルキッチン)。
 平和学校では運営委員会を作り、学習のプログラムなどを話し合っています。

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「愛の母子像」米軍機墜 落により亡くなった2人の幼い男の子とその母親の像。1985年に遺族が横浜市へ寄贈した。しかし米軍への配慮から、墜落現場ではなく「港の見える丘公 園」に設置。遺族や市民の声に押され、事件の概要を簡潔に記述した碑文が2006年1月、ようやく設置された。
写真・尾辻弥寿雄

医療人として社会人として

 運営委員の一人、佐々木剛さんは三期生です。「平和学校に参加するまでは平和活動の経験はありませんでしたが、沖縄の辺野古に行って、平和の大切さを痛 感しました。それで運営にも自主的にかかわってます。受講生にも、自分に何ができるか考えてほしいし、自分一人だけではなく、いろいろな人とつながってい くことの大事さを感じてほしいです」
 一日目の夜の交流会には卒業生たちも参加し、受講生たちに自分たちの思いを伝えます。
 五期生の中尾匡史さんは「平和学校のよさは、職場をこえて同世代の仲間が平和について学べること。医療人として、社会に生きる人間として、いい勉強にな りました。戦争が人間を人間じゃなくする、ということを平和学校で沖縄に行き、改めて感じました」と語ります。ほかの卒業生たちも「平和学校は、平和を通 して仲間づくりができる」と口々に…。
 卒業生たちの話をじっと聞いていた石田紘子さん(戸塚病院)は「自分から希望して参加しました。ふだん学べないことをこの機会に学びたいと思います」と。

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米軍機墜落現場で

基地がある限り犠牲が

 翌朝に訪れた米軍機墜落現場は、いまは公園になり、周りには新しい家が立ち並ぶ閑静な住宅地でした。
 あの事件で自宅が炎上し、妻が大やけどを負った椎葉寅生さんは、毎年平和学校に協力。墜落当時からその後の裁判などの経過を受講生に語ります。
 淡々と話す椎葉さんですが、あのとき真っ先に到着した自衛隊のヘリが、被害者を救出しなかったことに話が及ぶと、「米軍にも腹がたつが、あのとき米兵だ け助け、一一〇番にも一一九番にも連絡しなかった自衛隊に腹がたつ。自衛隊は日本国民ではなく、米軍を守っていることが明白です。あまりにひどい」と絶 句。
 「日本は住宅地に基地がある。基地がそこにある限り、墜落などが起きたら必ず犠牲がでるのです。基地をなくさなければ、またいつかこんなことが起こりうるのです」
 椎葉さんの言葉にしっかりうなずく受講生たち。こんな感想が出されました。
 「横田基地の近くで育ち、飛行機の音は日常になっていたが、実は異常なのだということに気付いた。今は“戦争反対”と自由にいえる時代なのに、なぜここまでアメリカのいいなりになるのか」
 「穏やかな場所にそんな悲惨なことがあったのかと思うとあ然とした。起きたことを知らないことも罪なのでは。知ったからには伝えていかなければ」
写真・五味明憲

ぴぃ~すくっきんぐ
東京・健和会

九条の会が主催して
みんなでワイワイ

 「平和だからこそ幸せを分かち合いながら料理が食べられる…本当に素敵なことです」。健和会九条の会主催の料理教室「ぴぃ~すくっきんぐ」のお誘い文です。まとめ役は長岐陽子さん(看護師)と宮崎結さん(事務)。
 「“九条の会で青年のとりくみを何かしたいね”という話がでたころ、ちょうど“レパートリー増やしたいから料理教室あるといいな”という声が聞こえてき たのです。じゃあ、九条の会主催でやろうかと、始めました」と宮崎さん。

すっごく楽しみ

 仕事が長びき、今回は調理には参加できなかった長岐さん。「今のところ隔月で、いつも一〇人前後参加します。食べにくるだけの人も何人かいます。きょうの私みたいに」と笑います。
 メニューは栗ごはん、鮭ときのこのホイル焼きなど四品と、材料が余ったときに作れるきのこご飯と鮭のマリネ。
 室井信子さん(放射線技師)は「長岐さんに誘われて、初回から参加してます。毎回、すっごく楽しみにしてるんですよ」と始終ニコニコと材料の下ごしら え。「入職が同期の人がほとんどなので自然に参加しました」と猪瀬大助さん(事務)。エプロン姿もさまになっています。
 マリネ用の鮭のそぎ切りをさりげなく教えていたのは森屋友裕さん(調理師)。「ふだん、他職種の人たちとはあまりかかわりがないので、いろいろ話せてうれしいですね」と話します。 
 「日本を戦争する国にしようとする動きがありますね。戦争は若者や子どもや女性、弱い人たちが犠牲になる。何としても九条を守りたい。自分に何ができる だろうと思ったとき、やっぱり同世代の仲間と考えていきたいな、と。仲間づくりをしながら、押しつけでなく、平和についてそれぞれがきちんと考えて、話し ていけるようになりたいと思っています」と長岐さん。
写真・酒井猛

いつでも元気 2007.2 No.184

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