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2021年3月2日
「あの日」から10年 特集3・11 東電 福島第一原発事故から10年 すすむ避難者の孤独と貧困 加害者=国・東電の責任逃れを許すな
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から10年がたとうとしています。福島の被災者が望む復興は、すすんでいるのでしょうか? 福島民医連も参加する「ふくしま復興共同センター」の代表委員・斎藤富春(よしはる)さんと、福島民医連の職員に聞きました。(丸山いぶき記者)
ふくしま復興共同センター 代表委員 斎藤富春さんに聞く
原発事故から10年、福島県の発表では、避難者数は3万6192人です(2月5日現在)。しかし、実際はその倍の約8万人がふるさとに戻れずにいます。国・県のカウントには、仮設住宅を出て災害公営住宅に入居した人や、避難先で住宅を再建した人が含まれていないからです。避難指示解除区域の12市町村の居住率は31・4%です(2月1日現在)。
現在、原発事故被害者に対する賠償や支援は、ほぼないに等しい状況です(表)。加害企業の東京電力は賠償をほぼ打ち切りました。全国約30の福島第一原発事故関連訴訟のみならず、裁判に至らないADR(裁判外紛争処理手続)を申し立てる人も大勢います。その和解案を東電が拒否することが増えているのも特徴です。
昨年3月末には、第一原発立地自治体の大熊町・双葉町を除く帰還困難区域避難者への県の住宅無償提供も打ち切られました。現在、無償提供を受ける人は1700人、県発表避難者のわずか5%。さらに、県は東京都内の国家公務員宿舎に自主避難する世帯の家賃を2倍にし、4世帯に退去と賃料支払いを求めて提訴する異常な対応に出ています。
避難者は今、賠償や支援の打ち切りで生活に困窮しています。浪江町の生活保護世帯は、2016年に14世帯だったのが、20年は74世帯に増加。孤立と貧困がすすむ一方、それが見えにくくなっているのも課題です。
避難者切りすての一方で巨額投じ東電救済、先端産業
昨年12月、国は帰還困難区域の「除染なき避難指示解除」を決めました。除染作業は本来、汚染企業の東電が責任を持ち、国や自治体が代わりに行った場合は東電に償還を求めることが大原則です。しかし、17年、安倍政権は除染を公共事業とし、国が肩代わりする仕組みをつくりました。私たちの税金で東電を救済する政策です。当時の浪江町長は、公共事業化で費用対効果が叫ばれ、除染がすすまなくなると批判しましたが、その通りになっています。
浜通り(県沿岸地域)をどう復興させるかは、福島にとって大きな課題です。福島の生業(なりわい)はどれも原発事故前の水準に戻っていません。漁業(水揚げ量)に至っては、わずか15%です。一方で国はイノベーションコースト構想で国際教育研究拠点を被災地につくろうとしています。ロボットや航空宇宙などの先端産業を呼び込む惨事便乗型の復興で、17年以降の4年間で3200億円を投入。ふるさとを奪われた被害者は「私たちが願う復興がいっそう後回しにされる」と複雑な思いでいます。東京オリンピックは復興五輪と言われますが、県民の半数が「実感がない」と答えています(「福島民報」調査、19年7月)。
地域経済は、一次産業の土台のうえに二次、三次産業がある、地域循環型でなければ持続できません。原発立地自治体は、原発関連交付金で地域にそぐわない大型施設をつくり、維持費が自治体の財政を圧迫。さらに交付金を求めるようになりました。福島県は、イノベーションコースト構想で同じ道をたどろうとしています。
「原発は地域経済をささえている」との意見を疑問視する報道もあります。事故後、新潟の企業100社のうち3分の2が、東電柏崎刈羽原発運転停止による売り上げの減少は「ない」と回答しました(「新潟日報」調査、15年12月)。
10年の努力を水疱に帰す暴挙 県民は許さない
政府は昨年2月、福島第一原発に地上保管されているトリチウム汚染水を海洋放出する意向を示しました。今年から本格操業を予定していた漁業をはじめ、県内すべての産業の10年の努力を水泡に帰す大問題です。県内では、反対運動が大きくなっています。若者が学習会やデモにとりくみ、原発ゼロの共闘組織では、昨年10月2日までに42万8044筆の反対署名を国に提出しました。しかし、国は方針を撤回していません。
福島県民はこの10年間、(1)放射能被害の特異性、(2)県民の分断など被害実態の深刻さ、(3)国・東電の対応の理不尽さを痛感し、団結してきました。「福島」の風化は、これらを曖昧(あいまい)にしたり、なかった、とすることから始まります。県民を裏切り、だまし続けてきた国と東電には、落とし前をつけてもらわなければなりません。その第一歩として、私たちの運動は県議会と全59市町村議会で「全10基廃炉決議」を実現し、福島第二原発の廃炉を決定させました。
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19年の台風19号と豪雨では、線量計85台が水没し、除染廃棄物90袋が流出、第一原発の汚染水も急増しました。最短40年と言われる廃炉作業中も自然災害は起きます。全国の原発も同様に危険です。若い人もあらためて関心を持ってください。
昨年9月に出た生業訴訟仙台高裁判決の学習運動や、野党の原発ゼロ基本法の成立へ向けた運動を強めましょう。国の原子力政策、原発にしがみつく“原子力ムラ”や財界とのたたかいです。視察や学習会で福島に寄り添ってくれている民医連に期待しています。
分断を生んだ事故 原発でいいことはひとつもない
わたり病院 大橋学さん(放射線技師)
福島・わたり病院は、原発から60km離れた福島市にあります。原発事故直後は浜通りからの避難者や透析患者を受け入れ、余震でエレベーターが止まる中、病院食を階段リレーで運びました。幸い水や電気などが使えたので診療を続け、避難所の学校での支援もすぐに始めました。
わが家は下の子がまだ1歳で、妻と子どもたちは東京、その後、山形へ1年半避難しました。いわゆる自主避難です。国から避難指示を出されない分、自ら決断しなければなりませんでした。家庭ごとに状況は違うため、周囲に相談もできません。「避難できる人はいいね」との声もある中、わが家は、「一番安心できる方法」として避難を選択し、私だけが残り仕事を続けました。隣の伊達市でシイタケ農家をしていた実家も大変な思いをし、約1年かけようやく出荷できるようになりました。そのころ両親は「米を持ってけ」と言わなくなりました。
放射性物質の影響に関する感情は、世代や家庭状況、夫婦間でも違います。放射線技師として、安心してもらおうと教科書的なことを伝えても、当時は受け入れられませんでした。全国の支援を受けて導入したホールボディカウンターによる内部被ばく検査や甲状腺エコー検査もたくさんしました。受ける人は次第に減りましたが、健康不安を抱える県民に寄り添い、受けたいと思えば検査を受けられる場所を提供し続けることが、私たちの役割だと考えています。
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私たちはこの10年、直後は炊き出しなどもして必死に対応し、後半は検査体制を整え不安に寄り添い続けてきました。今後は、より発信しなければならないと感じています。ただ、県民が全国へ発信しにくい心情も理解できます。そこで暮らす自分たちの健康被害を認めることにもなるからです。
原発があっていいことはひとつもありません。2月13日の福島県沖地震でも、「津波なし」「原発に地震の影響なし」と確認されるまでの不安と緊張感は耐え難いものでした。本来必要ない決断を迫り、さまざまな感情、不安、そして分断を生んだ原発事故を、二度とくり返してはいけません。全国の老朽原発を再稼働させないよう、福島からも発信します。
メディアが伝えない被害の実態を写真展で全国へ
浜通り医療生協 工藤史雄さん(事務)
2月13日深夜、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震がありました。この10年間、地震のたびに私たちは、まず身を守り、次に原発を心配するのが習慣になっています。一方、当法人でも半数は10年前にはいなかった職員です。当時のことを伝えることも課題になっています。
19年11月の医福連東北ブロック組合員活動交流集会をきっかけに、私たちは写真展「福島のいま」開催のお願いを全国へ発信。30件以上の問い合わせがありました。福島に関する報道はぐっと減っています。県内ならトップニュースになることが、一歩県外へ出ると伝えられません。写真展への反響も、報道されない福島の姿に対するものが大きいと感じます。厳選した写真にはただ絵になるものだけでなく、私たちの視点で伝えたいことが多数あります。
事故の数年後に広島の被爆者に言われた言葉があります。「福島から発信し続けないと、忘れられてしまう」。被爆者援護法も被爆者の長年の運動で成立しました。私たちには発信する責務があることを痛感しています。
避難者が押し寄せたいわき市の市民に、「避難者はお金をもらっているから働かない」などの負の感情が渦巻いたことも事実です。国や東電はそれを利用し、さまざまな分断とあつれきを生み、分断をあおり、福島の切りすてをすすめています。それが、原発事故被害の実態です。しかも、あろうことか加害者である東電が、市民感情を利用して賠償を打ち切ったことを、私は決して許しません。
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事故から10年を迎え、落ち着いたかに見えても、避難者は孤立しています。避難先の地域にもなじめず、あい次ぐ賠償や生活支援の打ち切りで、もともといた自治体の支援も少なくなり、取り残されています。その取り残された人に寄り添うのが、私たち民医連の役割です。コロナ禍で現地に来られなくても、正しい目で情報をとろうとアンテナを高くしてください。そのためにも、全国で写真展を開いてください。
問合せ‥0246(92)3099
メール‥kudo@outlook.jp
(民医連新聞 第1732号 2021年3月1日)
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