民医連新聞

2021年4月6日

あれから10年 私の3.11 ③身をもって学んだ団結力と温かさ

福島・小名浜生協病院 八嶋 正史

 2011年3月に5歳だった娘は、この4月に中学3年生になりました。当時、外で遊べなくなり母親と2人でずっと家の中にいたことを覚えているそうです。いわき市は震災や津波による被害が甚大で、その上に原発事故がありました。私の住む地域は避難や屋内退避の指示は出ませんでしたが、しばらくは子どもの外出を控えました。多くの住民が、原発事故がどうなるのか、放射線はどれくらい危険なのか、避難した方がいいのか、わからないまま、不安や混乱、いらだちの中で過ごしていました。わが家もそうでした。
 県外の親戚から避難してこないかと連絡があり、妻と話し合いました。当院は断水が続き、毎日給水活動を続けていました。そんな中、長年被ばく医療に携わってきたわたり病院の齋藤紀医師から、放射線や晩発性の影響について話を聞き、放射線の影響を考えた上で、目の前の復興活動にとりくもうと考えました。しかし妻は、絶対に安全という保障はなく、避難した方がいいと考え、口論になったことを覚えています。妻と娘だけの避難も考えましたが、妻は、水道とガスが止まり食料も十分にない状況に私を置いていくことも心配だったようで、結局避難はしませんでした。
 当時は、原発事故の状況や放射線の影響について、デマも含め情報が飛び交っていました。生活することだけでも精いっぱい。正しい情報を見極める余裕があった人たちはどれだけいたのでしょうか。安全と言われ続けていた原発への不信や怒り、放射線への恐怖から、むしろネガティブな情報に気持ちが揺らぎ、正しい情報を受け入れられない人がたくさんいたと思います。それをあおるように、危険性を誇張する報道もありました。震災から10年の節目に、コロナ禍でも同じことを感じます。
 私の仕事はソーシャルワーカーです。疾病や貧困などによるダメージの上に自己責任論を押し付けられ、パワーレスな状態にある患者も少なくありません。適切な社会資源の情報を提供しても、患者にそれを受け入れる心の余裕があるとは限りません。だからこそ患者に寄り添い、つらい気持ちを受容する姿勢が大切です。被災者の立場となり、その姿勢の大切さを学びました。
 ふるさとを追われ苦しい思いをしたり、風評被害に悩まされている人がいます。原発事故のもたらす影響は計り知れず、過ちがくり返されないことを切に願います。
 最後にこれまで支援していただいた、たくさんの人たちに感謝を申し上げます。民医連の団結力と温かさを、身をもって学んだのも、あの震災を体験したからでした。

(民医連新聞 第1734号 2021年4月5日)

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