いつでも元気

2021年5月31日

「死者の冒涜だ」

文・写真 森住卓(写真家)

沖縄県庁前でハンスト中の具志堅さん

 政府は辺野古新基地建設の埋め立てに沖縄戦犠牲者の遺骨が眠る沖縄島南部の土砂を使用しようとしている。
 死者を冒涜する非道に、遺骨を収集する具志堅隆松さん(67歳)がハンガーストライキ(ハンスト)で抗議した。写真家の森住卓さんの報告です。

 政府は沖縄県民の反対を無視し、2018年12月から米軍新基地建設のため、名護市辺野古沿岸部へ土砂の投入を始めた。当初は沖縄島北部と県外で土砂を採掘する予定だったが、県内で調達する方針に変更。沖縄戦の激戦地だった沖縄島南部からも採掘する計画を打ち出した。
 具志堅さんは3月上旬、「戦没者の血と遺骨が混じった土砂を埋め立てに使うことはやめるべき。知事は採石事業の中止命令を出してください」と訴え、沖縄県庁前でハンストを始めた。
 既に採掘業者が、沖縄島南部の各所に用地を確保し準備を始めた。具志堅さんが遺骨を収集していた糸満市でも、採掘に向けて立木を伐採し表面の石灰岩を取り払って立入禁止としたため、やむなく収集作業を中止した。
 採掘の予定地は散乱した遺骨を集めて祀った「魂魄の塔」からわずか200m。県民にとって聖なる地で、いまも多くの行方不明者の遺骨が眠る。遺骨は沖縄県民だけでなく米兵、日本兵、朝鮮半島から連れてこられた人などさまざまだ。
 沖縄戦犠牲者は20万人と言われるが、いまだに多くの遺骨が見つかっていない。米軍は日本軍本部のある首里(那覇市)方面に猛攻をしかけ、多くの人が南部で犠牲になった。自然洞窟のガマに逃げ込み、米軍の攻撃や「集団自決」などで亡くなった人も多い。
 具志堅さんはガマに入り遺骨を見つける「ガマフヤー」の一人。「ガマフヤーは無念の死を遂げた死者の声を聞く作業。遺骨の声なき叫びは、この手で拾い上げたものにしか聞こえない」と38年前からボランティアで始めた。戦没者の遺骨を埋めた海の上に、戦争のための基地を造る。絶対に許せることではなかった。

「助けてください」

 ハンストに入った日、集まった支援者に向かってマイクを握った具志堅さん。「世の中、間違っていると断言できることはあまりないが、このことは断言できる。絶対に間違っています」と語った。
 「基地建設に反対の人だけでなく、すべての人が戦没者への冒涜として反対してほしい。沖縄県民だけでなく、本土の人にも考えてほしい」。
 続いて県庁舎に向かい「デニーさん(玉城デニー沖縄県知事)聞こえますか。直接話を聞いてください。デニーさん、助けてぃくみそーれー(助けてください)」と何度も叫んだ。
 この叫びは沖縄戦末期、ガマの入り口が艦砲射撃でふさがれ、幼子を抱えながら生き埋めになった母親の助けを求める声にも聞こえる。その声は沖縄戦で犠牲になった人々の全ての叫びだ。

尊厳にかかわる問題

 県庁前には戦没者の遺族や沖縄戦を生き残った人たちが、次々と具志堅さんの激励に訪れた。看護要員として沖縄戦に従軍した翁長安子さん(91歳)は「いまも多くの遺骨が拾われずに眠っている。血や肉や骨が土に戻った場所の土砂を辺野古の埋め立てに使わないで」と訴えた。右も左も、基地賛成も反対も「戦没者の尊厳にかかわる問題」と共感が広がり、県庁前には若者の姿もあった。
 沖縄選出の赤嶺政賢衆院議員(共産)は、国会で「かつての自民党政権は歴史への最低限の認識を持ち、沖縄でやってはいけないことを知っていた。しかし、安倍・菅政権には全く感じない」と政府を厳しく追及。沖縄県議会など多くの自治体で、南部の土砂を埋め立てに使わないよう求める意見書が次々と可決されている。
 具志堅さんの決死の行動に政府はどう答えるのか? 6月23日は、沖縄戦が終わったとされる「沖縄慰霊の日」。政府に採掘を断念させるためには、特に本土の世論がカギを握る。

沖縄戦 太平洋戦争最大の地上戦。1945年3月26日に始まり6月23日に組織的な戦闘が終わったが、その後も散発的な戦いが続いた。死者は日米合わせて約20万人。当時の県民の4人に1人に当たる約12万人が亡くなった

ガマフヤー 沖縄言葉で「ガマを掘る人」という意味。ガマは沖縄島南部の石灰岩地層にできた自然洞窟のこと

いつでも元気 2021.6 No.355

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