民医連新聞

2021年5月25日

あれから10年 私の3.11 ⑥かけぬけた60代

福島・生協いいの診療所 松本 純

 東日本大震災からまもなく10年を迎える今年2月13日、バレンタイン前夜のことでした。最大震度6強の福島県沖地震、さあ津波が来る、今の福島第一原発は津波にもっともぜい弱、車のガソリンを満タンに…、「あの時」の記憶が瞬時によみがえるには充分な強い揺れでした。
 生協いいの診療所は第一原発から北西51kmの山の中にあります。10年前の3.11の時、津波と原発事故により海岸の町の人たちが避難してきた小学校体育館へ、私たちは医療支援に出かけました。その人たちは次の日には福島県中通りや会津方面に去り、あとからの人たちに入れ替わっています。避難者を支援している自分たちも避難の準備をするようにとの町内会からの知らせ、いち早く自主避難する人たちもいて、ガソリン不足で車も少なく、町もひっそり、外来患者も少なくなって、放射能汚染の中に取り残されてしまったのかと心細くなりました。
 結局、避難指示はまぬがれましたが、飯野町から10km西にある県連研修センターのわたり病院では、職員も避難するか否か葛藤の日々でした。医局にあっても例外ではなく、「すみません退職します」と泣く泣く離脱する仲間を責められないのは、自分に置き換えて考えられるからでした。そこに全国の民医連の仲間たち、20代の看護師、周囲の県連から支援を受けて送り出された小規模県連の医師、全日本民医連からは幹部医師の派遣…、原発事故でダメージを受けた福島県の医療を立て直すためには、民医連の研修病院の存続を! との大きな方針とその実践でした。この10年間で福島民医連に参加した初期研修医は15人を数えました。
 私はプライマリーケアの認定試験を受け、指導医になりました。福島県立医大と福島赤十字病院から2年目の地域医療研修医を受け入れています。県の甲状腺エコー一次検診を受託しました。コロナ禍に襲われたこの間、プレハブを建てて発熱外来、これからはワクチン接種です。
 私は震災を前に定年延長手続きをして、幸いにもさしたる病気やケガに見舞われることなく、かけぬけた60代でした。
 自然災害はこれからもくり返しやってきます。まず自分自身が要介護者にならず、身の回りの人たちの助けになることができたなら。そう願いたいものです。(医師)

(民医連新聞 第1737号 2021年5月24日)

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