民医連新聞

2021年8月3日

伝えたい 反核平和の思い 若手職員の奮闘 長野

 アメリカが広島・長崎に原爆を投下して76年目の今年、ついに核兵器禁止条約が発効し、各地でさまざまなとりくみが始まっています。長野で奮闘する、若手職員を追いました。(稲原真一記者)

 「(核兵器禁止条約を)核兵器の終わりの始まりにしましょう」。2017年、ノーベル平和賞の授賞式でのサーロー節子さんのスピーチです。「条約が本当に力を発揮するためには、市民一人ひとりの力が必要だと感じた。いつも心に留めている言葉です」と話すのは、長野中央病院の2年目研修医、河野絵理子さん。長野県で反核医療者の会をつくろうと、準備会で活動する一人です。

■他人事ではいられない

 河野さんが反核平和活動への思いを強くしたのは、全国の反核医師の会に医学生として参加した時のこと。どんな医師になりたいか悩んでいた時、大先輩の医師が、被爆者医療や福島の被ばくについて、科学者として分析し、発信している姿に心を打たれました。「目の前の患者だけでなく、より多くの人の幸せのために仕事ができる、そんな医師にあこがれた」と、当時をふり返ります。
 2017年のRECNA(長崎大学核兵器廃絶研究センター)の中村桂子さんの講演にも刺激を受けました。講演は条約の採択から、核兵器廃絶までの現実的な道筋が見える内容で、「過去の話だと思っていたことが、いまの問題、未来の問題だと感じた。他人事ではなく、自分にできることをしたいと思った」と言います。
 松本協立病院の3年目医師の春日みわさんも、学生時代の経験から活動に参加した一人。「核兵器をなくせるかどうかではなく、どうなくしていくかを考えている人が、国内外にたくさんいることを知って驚いた」と語ります。
 同年、いっしょに活動をしていた若手医師や医学生、看護師や事務職員たちと思いを共有し、長野県に反核医療者の会をつくろうと活動を開始。仕事や学業の合間を縫って、学習会やフィールドワーク、地域の戦争展でのパネル展示などを地道に続けていました。

■思いを共有する場所

 「昨年、核兵器禁止条約の発効が決まり、会結成の気運が高まった」と話すのは、長野県民医連事務局の梶野樹さん。準備会のメンバーです。以前、医学生担当をしていた梶野さんは、「民医連で働き学生とともに学ぶなかで、医療と平和は地続きだと思うようになった。立場は関係なく、いまはいっしょに運動をつくる仲間として参加している」と話します。
 今年3月には有志でRECNAの桐谷多恵子さんを招き、「沖縄の被爆者」についての講演会を開催。県内外から39人が参加し、参加者からは「琉球大学出身だが沖縄の被爆者について知らなかった。いっしょに勉強したい」「自分も被爆二世であり、会の活動に協力したい」などの反応がありました。準備会はこれを機に、本格的に活動を開始しました。
 準備会は現在20~30代の20人余りのメンバーを中心に、県外の有志もかかわり活動中です。看護師として参加するメンバーに話を聞くと、「被爆者がどんな人生を送ってきたかを知り、どれほどの人が生活と健康を狂わされたのかと思った。また過去の戦争では、お金も人も、すべてが戦争に費やされた。戦争になり、核兵器が使われれば、本当に必要な人に医療が届かなくなり、救えるいのちが救えなくなる。医療従事者として、患者を守る立場でも運動をひろげたい」と語ってくれました。
 また、長野県立こども病院で専門研修中の6年目医師、光武(みつたけ)鮎さんは「はじめは正義感だった。学びを深めたいまは、核の時代に生きる当事者として活動している。核が必要かどうかの議論から早く卒業し、核廃絶をどうすすめるか、その先の社会の話ができたら」と思いを明かします。
 準備会では月1回のオンライン学習会と合わせて、会の結成に向けた議論もすすめています。研修などで離れて活動するメンバー同士の交流にもなっていて、「仲間で思いを共有する場所になっている。活動は一人ではできない。形にとらわれず、楽しくやれることが大切」と梶野さん。さまざまな課題はありますが、少しずつ前進しています。

■“世界の病”をいやす

 河野さんに医療従事者が反核平和活動にとりくむ意義を尋ねると、「私たちには、いのちと健康にかかわる専門家、また科学者として核の問題を分析、発信する力がある。いま世界を脅かしている感染症と同様、核兵器も世界にとっての病だと思う。これに立ち向かうのは、私たちの役目です」と力強い答えが返ってきました。
 「なにか特別なことをしなくても、平和や核兵器への思いを共有することに意味がある。いろいろな人が参加して、仲間になってほしい」と呼びかけます。

(民医連新聞 第1742号 2021年8月2日)

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