民医連新聞

2021年8月17日

あれから10年 私の3.11 ⑫加害者・国の責任問う裁判は最期の砦 東京電力福島第一原発事故 新潟避難者訴訟・原告 磯貝 潤子

 2021年6月2日、原発事故から丸10年を経たこの日、新潟へ避難した私たちが、原発事故への怒りと、避難の正当性を訴えることのできる、最後の砦ともいうべき新潟避難者訴訟()の判決がありました。
 これまでも各地で国や東京電力を訴える裁判が提訴されていく中で、2013年7月、新潟で提訴した時には、私はかかわることが怖いと思ったし、裁判にかかる長い時間で私たちの怒りや避難生活の過酷さ、惨めな気持ちなどが解消されないだろうと思っていました。ならば、もっと目の前にある1年ごとの「借り上げ仮設住宅の延長」を訴えて、国会へ署名を届けたり、デモやアピールに参加することの方が、この生活を続けていくのに直接繋がると考えていました。母子避難で心細い中でも、自分にやれるだけのことは、と活動してきました。
 しかし、非情にも、2017年3月にこの「借り上げ仮設住宅」は打ち切られ、事実上「避難者はいなくなった」ことと、「原発事故は終わった」ことがつくり上げられました。それが今年の東京オリンピックへの基礎にあったように思います。
 こうして何を訴えてもかなわぬまま、裁判へ希望を託す道しか残されておらず、遅い参加ではありましたが、私も第4陣の原告としてのスタートを切りました。
 私たちが裁判で望んだのは、政府が認めた避難の区域も、それ以外の区域も、同じ避難として認めてほしい。そして、その責任は東電だけでなく、国にもあったと認めてほしい、ということでした。そのため、原告である私たち素人が証人尋問に立ち、そのたびに、東電や国のプロの代理人とのやりとりにひどく傷つけられ、避難のこれまでを否定されながらも、事故当時のことをたくさん証言してきました。
 原発事故が起きてからの10年をふり返り、家族の形が変わってしまった仲間、親きょうだいとの縁が薄くなってしまった人、避難していたけれど避難元へ戻った友人。何より平凡な生活を壊され、どうあれ“完全に元には戻れなくされた”私たちの悔しさを、裁判でどのように認めてくれるのだろうかと、期待もしていたのですが。
 新潟地裁は「国の責任を認めない」との判決を出しました。次は東京高裁へ。新潟の私たちだけでなく、同じ原発事故被害を受けてきた、ふるさとの仲間の気持ちも背負っていると思うからこそ、事故の加害者には、絶対負けるわけにいかないのです。

 ※東京電力福島第一原発事故で福島から新潟に避難した237世帯805人が、国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟。福島の訴訟を除き原告数全国最多。避難指示区域外からの避難が約8割、母子避難も多い。

(民医連新聞 第1743号 2021年8月16日)

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