いつでも元気

2007年5月1日

“高金利引き下げよ” 平成草の乱

サラ金被害者が米国の圧力にも勝った!
救われた私が救う側に回って
北 健一
(ジャーナリスト)

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最高裁前で、「高金利被害者の救済を」と訴える橋詰さん(3月5日)

 「高金利引き下げを実現するぞ!」
 大地を揺るがすような声が、夕闇を切り裂いた。
 二〇〇六年一〇月一三日、埼玉県秩父市にある椋神社の境内。黒い袴を身にまとい、鉢巻をしめた一団が気勢をあげる。クレジットや消費者金融(サラ金)、 ヤミ金の高利の借金に追いつめられた被害者と、それをサポートする弁護士や司法書士。彼らは、自由民権運動の頂点といわれる秩父事件に加わった農民の姿に 扮していた。
 今から約一二〇年前。政府のデフレ政策で生糸が暴落、重税や高利貸しの横暴が重なって生活に窮した秩父の農民たちは、世直しを掲げて立ち上がる。椋神社 はその「決起の地」だった。奮闘むなしく農民たちは軍に鎮圧され、事件は長く暴動とさげすまれたが、近年復権が進み、秩父事件をテーマにした「草の乱」と いう映画もつくられている。
 秩父事件が「草の乱」なら、高金利引き下げ運動は「平成草の乱」だ。昨年、日本を揺るがした「乱」の先頭には、いつも元気いっぱいの橋詰栄恵さんがいた。

死に場所を求めてさまよい

 二〇〇三年六月のある日、橋詰さんは死に場所を求めて車でさまよっていた。違法な超高金利を取るヤミ金二十数社から追い込みを受け、覚悟を決めたのだ。
 たまたま手にした新聞を見て、クレジット・サラ金被害の救済にとりくむ「大阪・いちょうの会」に電話すると、近所にある「尼崎あすひらく会」を紹介された。
 不安いっぱいでドアを開けると、会のみんなが橋詰さんの体をワッと支えてくれた。「大変だったでしょ。私もそうなのよ」。そう話す元債務者たちの顔は明るかった。
 私も助かるかもしれない。橋詰さんの予感は、会に通うなかで確信に変わった。ヤミ金は犯罪だから払わなくていい、サラ金に払ったグレーゾーンの高金利は、利息制限法違反の過払いだから取り戻せる。会で学んだことが、一つひとつ実現したからだ。
 橋詰さんがヤミ金融のワナにはまったのは、大阪は北新地でスナックを経営していたときだ。それまでの店を閉め、新しい店を契約していた時期のこと。売上がなく資金繰りに困った。商工ローンからの高利融資の返済もきつかった。
 そんなころ、頻繁に電話がかかるようになった。「短期の融資というんです。ヤミ金とも知らずにお金を借りて」
 三万円借りると手数料を五〇〇〇円引かれて二万五〇〇〇円が振り込まれる。一週間して返すのは三万円だが、業者は難癖をつけて完済させない。「借りかえ、借りかえのくり返し。それがヤミ金の手口でした」。年数千%の暴利によって、借金はどんどん膨らんでいく。
 借りたものを返さない借り手も悪い。そういう意見もある。だが橋詰さんは、ヤミ金に約三五〇万円借りて九六〇万円も払った。消費者金融には約八五〇万円借りて約一〇三〇万円払った。
 多くの債務者は、借りた額よりずっと多く払っている。ヤミ金は犯罪だし、消費者金融も利息制限法違反の高金利を取っている。多重債務は「個人的失敗」ではなく、違法な高利金融の被害者なのだ。
 橋詰さんは、気がつくと被害者を救う側に回っていた。
 「会に相談に来た債務者はうつむいています。でも、私が体験を話すと顔をあげてくれる。そんなとき、私が活動する意味を感じるんです」

「グレーゾーン」無効の判決

 高金利引き下げへの追い風は司法から吹いていた。二〇〇四年二月二〇日、最高裁は、SFCG(旧商工ファンド)による利息制限法違反の高金利取り立てを、“無効”とする画期的判決を言い渡す。
 刑事罰が課される出資法上限金利(年利29・2%)よりは低いけれども、利息制限法上限金利(年利15~20%)を超える金利帯をグレーゾーンという。このグレーゾーンでの取り立てを、原則として“違法無効”とする司法判断の第一弾だった。
 今でこそ当たり前にみえるが、高裁レベルでは旧商工ファンド勝訴の不当判決が出ていた。最高裁での旧商工ファンド弁護団のトップは、元金融庁長官の日野正晴氏。日野元長官は法廷で、「商工ローン被害なるものはない。あれば当局が処分している」といい放った。
 官の権威にすがり、被害を隠し無理を通そうとする高利貸し側に対し、借り手弁護団は異例の戦術をとった。全国から膨大な被害事例を集めて提出したのだ。
 最高裁判事・滝井繁男さんは退官後、「立法が動かず、ほかに手段がなくて司法に救いを求めてきたとき、応えないといけないこともある」と振り返っている。その後最高裁は、グレーゾーン金利を無効とする判決を相次いで出していく。次は政府と国会を動かす番だった。

米国の圧力で金融庁腰砕け

 最高裁判決を受け、金融庁は〇五年三月、有識者の懇談会を設置し議論を重ねた。何度か被害者を呼んで話を聞くうち、懇談会委員の間には高金利被害救済への熱意が芽生えた。懇談会の中間整理を、〇六年七月、与党が基本的に了承。法改正はトントン拍子で進むかに見えた。
 ところが〇六年八月末、与党から「具体案を詰めろ」とボールを投げ返された金融庁は、突然、改革を骨抜きにする案を出す。高金利引き下げをいたずらに先延ばし、さまざまな抜け道(特例)をつくり、利息制限法を一部改悪して金利を引き上げよう、というのだ。
 与党合意からわずか二カ月での暗転。金融庁に抗議して政務官を辞任した後藤田正純衆議院議員(自民党)は、私の取材に、「与謝野金融担当大臣のところにシーファー駐日米国大使が来て、『規制強化には賛成しかねる』と迫った」と、米国からの圧力を証言した。
 金融庁腰砕けの背景には、日本の消費者金融市場に数兆円のカネを出投資している外資と米国政府の工作があった。

働いても食えない人がいる限り、挑戦つづく

青木ケ原の樹海に看板
“借金なんかで死なないで”

被害者が「動かなあかん!」と

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立ち上がった被害者たちは明るい(1月20日)

 「やってきたことが水の泡になる。動かなあかん!」
 橋詰さんたちは、高金利引き下げを求める運動を精いっぱい強めた。労働組合や消費者団体も大挙、運動に加わるなか、炎天下、全国をキャラバンカーで回っ た。日本弁護士連合会(日弁連)が主催した集会で橋詰さんらが体験を語ると、与党の国会議員も息を呑んで聞いた。
 クライマックスが、椋神社から国会までのマラソンリレーだった。直訴状が入った竹筒を握って、橋詰さんはほかの被害者たちと一〇月一七日、日比谷公園の 大集会に合流。晴れ渡った秋空の下、日弁連上限金利引き下げ実現本部の宇都宮健児弁護士は「例外なき金利引き下げは国民の声になった」と宣言した。
 テレビも連日、被害者たちの訴えを取り上げる。日本共産党は「高金利引き下げ対策チーム」を組織し、貸金業者による与党買収工作を暴露。民主党も対案を 出すなか、発足したばかりの安倍内閣が「サラ金内閣」と呼ばれるのを恐れた与党は〇六年一〇月二三日、骨抜き案を撤回し、例外なき金利引き下げを決めた。

全国の人々と心を響かせあい

 グレーゾーンをなくし、出資法上限金利を年利20%まで引き下げることが決まった日、橋詰さんは“命の恩人”であるいちょうの会の田中祥晃さんに電話で知らせた。「栄恵ちゃん、泣いてんの」。そういう田中さんも、声を詰まらせた。
 国をあげた多重債務者対策が動き出す。だが、運動は終わらない。田中さんはいう。「働いても食えない人がいる限り、被害はなくせない。貧困社会に挑戦しなければ」
 今年に入っても休む暇がない。最高裁前では「高金利被害者の救済を」と訴え、富士山の麓・青木ケ原の樹海には「借金なんかで死んではいけない」と看板を立てる。三月二四日には東京で、「貧困解決」に取り組む人々が大同団結する集会が成功した。
 高金利引き下げからセーフティネットづくりへ。米国の圧力と札束による工作に勝った高金利被害者たちは、「格差と貧困」の解決を願う全国の人々と心を響かせあいながら、次のステージに進もうとしている。
写真・五味明憲

いつでも元気 2007.5 No.187

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