民医連新聞

2022年4月19日

にじのかけはし 第2回 気づきと出会い 文:吉田絵理子

 第2・3回では、私自身のセクシュアリティーについてお伝えします。私は幼少期から男の子っぽく、父親からは「えりお」と呼ばれて育ちました。女の子の格好をするのに抵抗感はなく、おままごとやぬいぐるみ遊びも好きでした。小学生になると徐々にスカートをはくのが嫌になり、いつも短パンをはいて、ボーイッシュな女の子として過ごしていました。
 周囲と自分が違うとはっきり感じるようになったのは、中高生になってからです。メイクに興味を持てず、制服のスカートには違和感がありました。男性用の洋服を着たかったのですがサイズが合わず、友人と女性用の洋服を買いに行くのが苦痛でした。男の子と交際していましたが、高校生の時に女の子に恋をしてしまい、「これは非常にまずい」と感じ、何とか男の子を好きになろうと努力をしていました。
 大学生(当初は理学部)になると、自分は同性愛者なのかもしれないと本格的に悩むようになりました。思い悩み、10歳の時に亡くなった母の墓前で「自分は変態だ、これからどうやって生きていったらいいんだろう」と泣き崩れたこともあります。ジェンダー論の本を手当たり次第に読み、常に自分は何者なのか、病気なら治せるのかと考えていました。インターネットはまだ利用できるようになったばかりで、情報は多くありませんでした。レズビアンの人が集まるクラブイベントに恐る恐る参加し、タバコとお酒とクラブミュージックの音に圧倒され、誰とも話せずに帰ったこともあります。
 その後、当時住んでいた京都でセクシュアルマイノリティーの大学生が集うサークルに繋がり、多くの友人に出会うことができました。そのサークルはみんなで家に集まって語り合ったり、市の体育館を借りてバレーボールをやったりと、健全な雰囲気で遊ぶことのできるとても貴重な場でした。そんな友人たちとの交流を通し、一時は自分のセクシュアリティーを肯定的に受け入れられ、家族や友人に「自分は異性の人も同性の人も好きになるバイセクシュアルだ」とカミングアウトして生活していました。しかし、医学部への編入をきっかけに、私は再びセクシュアリティーをひた隠しにするようになります。


よしだえりこ:神奈川・川崎協同病院の医師。1979年生まれ。LGBTの当事者として、医療・福祉の現場で啓発活動をしている。

(民医連新聞 第1758号 2022年4月18日)

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