民医連新聞

2022年6月21日

診察室から たかが握手?

 医師になって28年。どんな患者にも合わせられる、親しみやすさが自分の長所だと思って患者に接してきました。ただでさえ患者にとっては訪れたくない場所の病院で、少しでもリラックスして、自分の生活、症状や気持ちを素直に話してもらうために、患者に合わせて、伝わる言葉で話しかけることを常に心がけてきました。
 自分の長所を最大限に生かして仕事をしていたつもりでしたが、女性医師であるがゆえに28年間変わらないものは、初対面の男性患者からのため口、必要のないお触り、ルッキズム(外見至上主義)、明にも暗にも性的言動の数々。男性医師なら、彼らは同じ行動をとるだろうか? と思うことは多々ありました。若い頃は、大人の女性たるもの多少のことは意に介さず、笑ってスルーするのが当たり前と思っていました。下手に反応すれば、「これだから女医は…」「女医のくせに」「冗談も理解できない」「若くもないのに」と言われるのが関の山、いちいち反応する方が消耗したから。
 でも、今は少しずつミソジニー(女性蔑視)に声を上げる女性が増え、私も遅ればせながら自分のなかのミソジニーに気づき、ジェンダー平等について、意見をのべることができるようになりました。今なら自分や多くの女性スタッフに対して、同じような言動があれば毅然として対応できるだろうと思います。NOと言いたい時にはNOと言っていいのだと。
 ただ、今でも悩ましいのは、男性医師の外来では要求せず、聴診器を当てることも希望しないのに「パワーを」と握手は毎回求めてきた高齢男性患者。元気になるからという理由ではあるけれど、握手は本来必要ないのでは? と疑問に思いながら毎回、最後の外来まで求めに応じてきました。
 それは間違ってはいなかったかもしれないけれど、正しかったのだろうか? たかが握手ぐらいで何を悩むのか? とそんな声も聞こえてきそうですが、男性医師も同じように悩むのだろうか? 私のなかで答えはまだ出せません。(眞木薫、島根・松江生協病院)

(民医連新聞 第1762号 2022年6月20日)

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