いつでも元気

2007年7月1日

元気スペシャル 看護改善大運動 集めに集めて署名100万筆突破!

 全日本民医連がとりくんでいる「看護師増員を求める署名」が、目標の一〇〇万筆を大きく突破しました。国会では昨年末、この請願(「患者国民の願 いである安心でゆき届いた医療の確立に関する請願」)が衆参両院で採択されました。民医連が単独で提出した請願が国会で通ったのは、民医連始まって以来の こと。この快挙は、看護師自身が運動の先頭に立ってつくったものでした。

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医師・看護師増やせの全国集会で(06年10月27日)

看護師から悲鳴があがって
 看護現場、とくに病棟に勤務する看護師たちは、激務を強いられるようになっていました。平均在院日数の短縮や電子化、入院患者の重症化、複雑になる医療 機器、安全性への細心の配慮など、仕事の密度は高まっても、看護師は欧米と比べて極端に少ない配置です(図)。就職後一年を待たずに辞めてゆく新人、燃え 尽きるベテラン、病気で現場を離れるスタッフも増えました。「初心を忘れてしまいそう」「看護の感動を味わえない若手が育ってしまう」こんな悲鳴もあがっ ていました。
 「これは社会問題です」看護師の訴えに、看護改善大運動が提起されました。「看護の輝きを取り戻そう」「自ら輝く太陽に」が合い言葉になりました。

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 看護改善大運動を伝えるニュースがあります。これまで発行された五八号を読み返すと…当初は困難にうつむいていた看護師たちが、自分たちや、大切な患者 を苦しめている原因が国の医療費抑制政策にあることを学び、看護の価値を見直し共有しながら、激務の中でも顔を上げ、たたかいに立ち上がるようすが浮かん できました。

見失いかけていた生きがいを
 運動の原動力となったのが、なにより「もっと患者さんに寄り添う時間が欲しい。いい看護がしたい」という思いです。
 「看護師やめようか、海外逃亡も考えた」…東京民医連の看護フォーラムでこう発言した看護師がいます。でも、彼女が辞めずにいるのは、患者さんの奥さん がこんな言葉をくれたから。苦労して準備した患者会の一泊旅行でした。
 「結婚五〇年、生活に追われて旅行もしたことがなかったの。夫が病気になって諦めていたのに、おかげで初めて夫婦で旅行に来られた。ふだん感情を出さな い夫が、さっきトイレで『お前、よかったなあ、よかったなあ』と泣いたの。本当にありがとう、生きていてよかった」…
 彼女は決意しています。「これからも葛藤は続くはず。でも、患者さんから力をもらってがんばってみよう。やりたい看護をめざせるように」
 「自分たちが楽をするために増員を願うのではなかったのです。看護師が増えれば、患者さんのためにこんなこともあんなこともできる、と。それはまた、看 護の輝きを語ることでもありました。運動を通じ自分のやりたい看護を語る…それは忙しさに見失いかけていた生きがいを取り戻すことにつながるから、やれば やるほど元気が出たんです」と、看護改善大運動推進本部の山本公子本部長(民医連副会長)。

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「やればやるほど楽しい」
 運動は、全都道府県で多彩にとりくまれました。県の看護協会との懇談や労組などへの共闘の申し入れ、看護現場の実態を伝える記者会見、看護問題学習会や看護フォーラム、シンポジウムの開催。
 署名集めでは街頭署名や共同組織への協力の訴えはもちろん、「青空健康チェックと署名活動を一体でおこなう」「看護体験に来る高校へ協力依頼」「子ども の保育園に」「近隣の企業に」「年末年始の里帰り署名」など、知恵を絞って広げました。規模の小さな県連がいくつも、職員一人あたりの署名数でトップ10 入りしているのも特徴です。
 その中の一つ、岩手・川久保病院の村上律子看護部長はふり返ります。
 「看護の問題を全体で打開しよう、というアピールが出たとき、よかったぁ『助けて』って口にしていいんだ、と。看護師を夢みて就職した大事な後輩たちを辞めさせたくない、と心から思いました」
 街頭で署名を集め始めると、驚くような反応の良さ。名前を書くだけではなく、心からのねぎらいや共感をくれます。組合員さんの協力も、力強いものでした。

〝声をあげ、たたかって社会は動く〟ってわかった

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【北海道】「看護の輝き」を語り、1年半で287回の学習会を。患者さんのそばにいたい

外の看護師たちとも手つなぐ
 民医連外の看護師たちと、手をつなぐ動きも。
 東京・健和会では近隣行政区の二八病院を訪問し、看護管理者と対話しました。発端は、中途採用を希望して面接に来る四〇代・五〇代のベテラン看護師があ いついだこと。転職すれば年収が二〇〇万円も減ると承知で「患者さんともっと接したい」と望んだ人もいました。
 「民医連外の病院の看護現場はもっと厳しいはず」と、看護部長の星野陽子さんが気付きました。訪問した二八病院は、想像以上の実態でした。看護師が足り ず病棟閉鎖、看護部長自ら手術や夜勤に入っている、という話は珍しくなく、「明日の看護を考えると眠れない」「看護師確保と、退職希望者の慰留に追われ、 看護の質を考えるどころでない」などという声がきかれました。
 訪問時に手渡した署名は、三七〇筆、ひとことメッセージも戻りました。絶え間なく鳴るナースコールに応じつつ会ってくれた師長は、スタッフの声を集め、 自らはこう書きました。「誰がこんな制度にしたのでしょう」
 「彼女たちの気持ちを思うと、抱きしめたくなるほど切なかった。看護師増やせの運動で地域の病院と共同できる条件は広がっています」と星野さん。
 福岡では、民間・公立病院問わず看護改善を願う看護師たちが「福岡県ナースウエーブの会」を、京都は「ひろがれ看護の心Kyotoねっとーわーく」を設 立。山口では「看護をよくする会」が結成、石川では再結成しました。

国会で請願が採択
 看護師たちの動きには、メディアも注目しました。地方紙やラジオ、テレビから、三〇県連が取材されています。看護師不足は、放置すれば地域の医療崩壊に もつながりかねない社会問題だと認知されるようになりました。
 地方議会では、七三一自治体中二一六議会が看護師増員の請願を採択しています。〇六年末には国会でも請願が採択されましたが、国会議員の反応も変化。運 動開始当初、国会で開く看護集会には、共産党しか来ませんでしたが、採択前には自民党議員でさえやってきました。
 〇六年春、診療報酬の改定で、看護職員一人が患者七人を受け持つ、これまでより手厚い「7対1」という看護基準が新設されました(注)。看護職員配置基準の改善は一二年ぶりです。
 思い切って声をあげてたたかえば、社会は動かせる。社会保障費を抑制する一方の国の税金の使い方を変えることだって可能。今回の看護改善の運動は、は
っきりと教えてくれました。
 「『デモや署名をしても政治は変わらない』と看護職能団体のトップの方はいわれていますが、たたかえば動くし仲間も増えます。看護師増員を実現させるた めに、国会採択と、集まった一〇〇万人の署名を大きな後押しにして、運動をさらに具体化したい」と、山本さんは語りました。  文・木下直子記者

(注)一方で予想を上回る病院が7対1基準をとろうとして看護師争奪戦も発生、看護師不足がこれまで以上に深刻化するという事態になった。来年、中小病院に対してこの基準取得を制限する動きもある。看護師の絶対数を増やすことが必要だ。

いつでも元気 2007.7 No.189

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