いつでも元気

2007年8月1日

元気スペシャル 「お産の場」ピンチ! 助産師ふんばる 岡山・さくらんぼ助産院(倉敷医療生協) この指をぎゅっと握る赤ちゃんのもみじの手に励まされて

 日本中を覆う医師不足。とりわけ産科や小児科の深刻さは群を抜いています。それは民医連の病院でも例外ではありません。「それでも産む場はなくせない」 と知恵を出し、受け皿として助産師が妊娠・出産をサポートする施設・助産院を開設したのが、岡山・倉敷市にある水島協同病院(倉敷医療生協)です。開設か ら半年を過ぎて、この「苦肉の策」は大好評。さくらんぼ助産院を取材しました。
文・木下直子記者/撮影・酒井猛

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さくらんぼ35人目の赤ちゃん、おめでとう!(5月29日)

 さくらんぼ助産院は水島協同病院のすぐ隣にありました。玄関に入ると、赤ちゃんとお母さんたちの写真をにぎやかに張り付けたタペストリーが。これに目を奪われていると、奥から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
 「二時間ほど前に生まれたの」助産師の中川裕美さんがささやきました。

「どこで産んだらええん?」

 水島協同病院は、岡山大学から産科医二人の派遣を受け、年一八〇~二〇〇件のお産を扱ってきました。ところが昨年七月、大学が「派遣医師を一人に減らさざるを得ない」と伝えてきたのです。一人体制ではお産が困難です。
 「倉敷市内でもお産をとりやめる開業医がどんどん出て…。私たちの病院で、もっとお産の件数を増やそう、といっていた矢先でした」と、柏山美佐子所長。  産科医が一人体制になる一〇月まで、三カ月しかありませんでした。「どこで産んだら、ええん?」急な分娩中止に困ったのは、同院で産む予定だった六〇人 の妊婦さんたちです。一人ひとりに事情が説明されましたが、産む場を突然奪われた不安がつぎつぎと出されました。
 お産の場は日本中で減っています。二〇〇二年から二〇〇五年の三年間で、分娩できる施設が半分に減っていたことが、日本産婦人科医会の調べで、わかりま した。九四~〇四年の一〇年間で、日本の医師数は四万人増えているのに、産科医は九〇〇人も減っています。激務で産科医のなり手がいません。常勤医師数は 一施設平均二・四五人、大学病院をのぞくと一・七四人、二人に満たない状態です。
 それに加え、危険度の高い出産の手術中に患者が死亡し、担当した医師が逮捕・起訴される事件が福島で起き、産む場から去るベテラン医師や、分娩をやめる施設の増加に拍車をかけています。
 「分娩できる『最寄り』の医療機関が、車で一、 二時間もかかる所にしかない」「病院に向かう車の中で産まれてしまった」「妊娠中に異常を自覚しても、病院が遠いため受診をちゅうちょし、手遅れになる例 があいつぐ」「地域で唯一の病院が『お産を先着順か抽選』と発表」という事態も起きています。「出産難民」という言葉までできてしまいました。

02年→05年で産科が半減
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助産師、奮闘する

 助産院の開設は、産婦人科医の大村由紀子医師が提案しました。秋から一人残ることになったママさんドクターです。
 「出産というあたり前のことが、住み慣れた地域でできなくていいの? お産の場を守ろう」と、柏山さんら六人の助産師集団が決意しました。助産院は常勤 二人、分娩や当直に病院助産師が応援する形で、運営することに。
 病院の産科がなくなる一〇月が出産予定の妊婦さんもいます。助産院オープンは一〇月一日。カルテの保管倉庫として病院が使っていた古い民家を突貫工事で改装し、なんとか間に合いました。
 柏山さんはオープンのあいさつをこんな風に書きました。
 「女性は、生む力を兼ね備えています。そして、赤ちゃんも生み出ようとする力を持っています。その力を最大限に発揮できるようサポートするのが助産師で す。この指をぎゅっと握ってくれる赤ちゃんのもみじの手に励まされ、生む方の要求に最大限に応えていこうと思っています」

「ずっと妊婦してても良かった。助産院は楽しいの」

助産院はどんなところ?

(注)正常な妊娠・分娩…逆子、多胎、帝王切開の経験、合併症、胎盤の位置の異常などがなく、妊娠37週以降42週未満の妊婦

 助産師が開業・運営する助産院とはどんなところでしょう?
 対象は正常な妊娠・分娩(注)と新生児です。医師の指示で働く病院の 産科とは違い、助産師の判断で妊娠から出産、産褥を支え、新生児を扱います。手術や医療行為はできません。医療が必要な緊急時は提携している嘱託医が対 応。妊婦健診は妊娠期間に二度以上、助産院が連携している嘱託医、嘱託医療機関で受けることが必要です。
 さくらんぼには、入院できる部屋が二部屋あります。ベッドを置いたフローリングに畳のフロアがつき、シャワー室とトイレがあります。家族の行き来も宿泊 も気兼ねなくできるようになっています。希望すれば、この部屋で産んでもかまいません。
 陣痛促進剤や鎮痛剤を使わないため、部屋の押入れにはバランスボールなど、さまざまな出産を助ける「グッズ」が入っていました。
 「さくらんぼを利用して、すごく楽しく妊婦してました。ずっと妊婦でいたいほどだった」というのは丹谷明子さん、四月下旬に千百ちゃんを出産しました。
 「二人目を産んだ協同病院で三人目も出産を」と受診したとたん産科が閉鎖に。医師がいない助産院に不安を感じつつ、助産師たちのこまやかなアドバイスや、ていねいな診断に信頼を強めました。
 「助産師さんは、『いま何週で、体のこの部分がしっかりできているから大丈夫』という風に教えてくれました。医師がエコーをみて『異常なし』で終わり だった病院とは違い、三人目で初めて、お腹の中で育っているという実感がわきました。『産まされるのではなく、自分で産むんだ』という自覚もできて。出産 も、とても楽でした。これまでは毎回切迫流産になり、『何かあれば注射してもらえばいい』と病院任せだったんです」と丹谷さん。
 柚木真弥さんは、丹谷さんと一日違いで琉ちゃんを出産しました。
 「陣痛が微弱で、なかなか生まれなくて、助産師さんたちが足湯やツボ指圧、整体、総出で工夫してくれました。初めて夫と長男も立会い、大勢に見守ってもらえて」

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産後一カ月健診に来たお母さんたちと。右は助産師の中川さん

立ち去らなくて良かった

 柚木さんは協同病院の産科閉鎖の知らせに悩みました。「上に二人子どもがいて、自宅から歩いていける場所でないとたいへん、どうしよう…って。病院が『医師がいなくなったから』と、閉鎖して終わり、じゃなくてありがたかった」
 スタッフもやりがいを語っています。「責任は重くなったけど、お母さんたちとつながれるのが楽しい。私はこういう仕事がしたかったんだナって。『自分で 産んだ』という実感は、育児にも良い影響を与えると思います」と、中川さん。「産科がなくなるなら、と一度は退職届も書いたんですけれど」
 「苦肉の策」から始まった助産院開設でしたが、口コミで希望者がくるようになっています。妊娠中に異常があっても病院で治し、ここで産みたい、と戻って くるお母さんも。「お産する人は皆安産。お産に前向きで、アドバイスも真面目に実行してくれます」と柏山さん。
 「大学が医師を派遣してくれなくなったからゴメンね、他の所で産んでね」ではなく「立ち去らない、見捨てない」という姿勢で臨んだ結果、「良いお産の場」を地域につくることになりました。
 「地域の医療に責任を持とう、という私たちの病院だからこそ、できたこと」と柏山さん。実際、近隣自治体では、大学の産科医師派遣中止で、分娩をとりやめた病院が出ています。

「出産難民」解消には医師の増員こそ

 取材中、テレビ局から取材の申し込みが。産科医師の負担を軽減するために、助産師の専門性が見直され、病院に助産科を開設するケースは増えてきました。 また、助産院での分娩は年間約一万人、全国の一%を担い、良いお産・満足のいくお産がしたいお母さんたちに応えています。助産師の力が注目されています。
 病院が院外に助産院を出すケースは、さくらんぼが日本で第一号でした。
 「いまは急場の危機を支えることになるかもしれない。でも、産科医療の危機は、助産院の危機なんです」と柏山さんは指摘します。この四月、改正医療法が 施行され、助産院の嘱託医は産婦人科医とする、と義務づけられました。しかし、それは、お産を扱う医療機関が地域になければ難しい話です。猶予期間は来年 四月まで。NPOの調べでも、嘱託医確保を「困難・不可能」とこたえたところが三割にのぼっています。
 「医師がいないために緊急避難で助産院を出しましたが、やはりお産の場の縮小なんです。出産難民をなくすには、医師が増えないと」柏山さんは語りました。

いつでも元気 2007.8 No.190

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