いつでも元気

2007年8月1日

鼎談 “核兵器廃絶と憲法9条”いまこそ 法律家・宗教者・医師が語りあった 9条は人類生存に不可欠の掟です

  医師の肥田舜太郎さんと弁護士の池田真規さんは、被爆者運動の盟友です。お二人が僧侶の鈴木徹衆さんを、葛飾区の乗願寺に訪ねました。鈴木さんは宗教者の 平和運動に長年とりくんできた人。「憲法九条の平和のこころを今こそ広げたい」―医療人、法律家、宗教者の三人が自由闊達に話しあいました。

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鈴木徹衆さん 僧侶
一九三一年生まれ。真宗大谷派 乗願寺住職、日本宗教者平和協議会理事長。アジア仏教徒平和会議日本センター副理事長
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肥田舜太郎さん 医師・被爆者
一九一七年生まれ。被爆直後の広島に入り救護にあたる。全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。著書に『ヒロシマを生きのびて』、『内部被曝の脅威』(共著)など
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池田真規さん 弁護士
1928年生まれ。弁護士、原爆症認定集団訴訟全国弁護団長。自衛隊百里基地訴訟や長沼ナイキ訴訟、湾岸戦争の国費支出違憲訴訟などを担当。日本反核法律家協会会長。日本被団協中央相談所理事

戦前に似た空気、じっとできずに

 肥田 国民投票法まで通ったいま、憲法九条が危ない、と二人で悲憤慷慨しています。戦前、子どもでさえ軍国主義の圧力を感じるようになっていった時代の雰囲気が、今に似ていると感じます。
 池田 この問題で、これまであまり連絡がなかった宗教者の皆さんとも手をつなぎたい、とおしかけた次第です。
 鈴木 そうですね。市民の自由な言論を弾圧する流れの強まりを感じます。ビラを配って逮捕される事件がいくつか起きていますが、葛飾区の事件でつかまったのは、実は私の娘婿なのです。

宗教者にも被爆者にも権力の手が

 池田 そうでしたか…自衛隊が国民のあらゆる活動を監視していたことまで明るみに出て、まさに戦前の憲兵を思い出します。
 鈴木 平和や反核の問題では、宗教界がもうひとまわり共同の力を発揮できればと、われわれも願っています。太平洋戦争では、教祖の教えを命がけで守らなければならない坊さんが、教祖の言葉をひん曲げてまで戦争協力した。これほど重い罪はないんです。
 仏教徒をはじめ宗教者の平和運動は一九五〇年代から起こりました。私どもの日本宗教者平和協議会(日本宗平協)は一九六一年七月、京都で開いた第一回世 界宗教者平和会議の決議のもとに六二年に設立されました。当時は被爆者と宗教者の協力・共同もあちこちでありました。追悼会や日蓮宗の「折り鶴平和行脚」 など、被団協と協力しながら、分裂の混乱にあった原水禁運動の統一を守れ、という発信もしていました。
 一九六四年には第二回世界宗教者平和会議を成功させました。ベトナム戦争のさなかに、世界三五カ国の宗教者が集まり、しかも関係の悪かった中国、ソ連代 表を含め満場一致で「ベトナムに対するアメリカ侵略戦争の阻止を」という「特別宣言」を発表しました。原爆については「人類絶滅の危機にあるときその外に 立つ信仰などは成り立たない」としました。これは今でも重要な認識だと思います。
 ですが、その後の権力からの弾圧がひどかったのです。
 肥田 国民への影響力の大きさが危険視されたのでしょうね。
 鈴木 平和運動に協力した団体・教団の情報を公安警察が流し、地方の 寺や仏教会に駐在所の警官がいく。「駐在さんが寺にいった。うちへも来て住職のことを言っている」と。この方法は効果がある。「そんなことをやると、“ア カ”に利用される」という妨害に宗教界は弱いんですね。鹿児島から北海道まで、各地にあった日本宗平協もつぎつぎと解体に追いこまれていきました。
 池田 宗教者の平和運動にそんな圧力がかけられたとは知りませんでした。

被爆者は10年語ることを許されず

 肥田 被爆者も悔しい思いをしています。戦後すぐ、アメリカは被爆者に被爆体験を語ることを禁じ、医者に対しても、診察した被爆者の症状について、仲間同士で相談したり、発表することを禁じる強い圧力をかけたのです。原爆投下から一〇年間、口を開けないでいました。
 私は二八歳で被爆してから六二年間、死んでいく人たちをみてきました。直接原爆にあわず、後から被爆地に入って亡くなった人たちも大勢いました。体内に 入った放射線が人体を蝕む「内部被曝」の影響だと私はみています。しかしそのメカニズムを証明する医学がありません。解明できるとしたら被爆国である日本 の医師たちに一番可能性があったのに、それをアメリカと日本政府が阻んだ。世界の医学会は「放射線の影響はごく一部」というアメリカの学会の言い分を信じ ています。それに根拠を示して反論できない。こんな残念なことはありません。
 アメリカが核兵器の被害を隠したのは、どうしても核兵器を持っていたかったからです。「戦争が終わっても被害は終わらず、三〇年、五〇年経ってからもま だ人を殺す兵器だ」とわかれば、「そんな非人道的な兵器は使ってはいけない」と必ず世界の世論になりますから。
 これが人類に対するアメリカの最大の罪だと思います。「爆発したらおっかない」というだけではない、被害の本質をもっと多くの人に学んでもらいたい。
 いま被爆者は二六万人生き残っていますが、何にも言うことができず死んじゃった人が、四五~四六万人になるでしょう。自分が生きている間に、この人たち の思いを少しでも皆のものにして、国民が被爆者を支える運動を大きくしたいと、九〇歳になる今までたたかってきました。
 池田 原爆症の認定に際して厚生労働省は、医学で証明できない健康被 害は「なかった」ものとしてきました。長年健康被害に苦しみ、それが原爆のためだと認めてほしいといった被爆者に「放射線によるものと証明しろ」と、医師 にさえできないことを求めました。僕ら法律家は、「科学の進歩が追いつかない部分は、放射線によるものでないと国が証明しない限り、全部認めろ」と求めて います。これが本当の救済だと思うのです。
 原爆症の集団訴訟をはじめて三年、民医連の総力をあげたバックアップがなければたたかえませんでした。民医連に特別チームや医師団ができ、そして分厚い 医師団意見書が出ました。肥田先生が指摘する内部被曝についても、これを認める画期的な判決が出されました。
 鈴木 被爆者も法律家も医師も宗教者も、試練をかいくぐってきたのですね。

「人類の希望」を何にみるのか

 池田 私が被爆者と出会ったのは一九七七年の百里基地訴訟判決がきっかけでした。「自衛隊違憲訴訟」とも呼ばれますが、憲法九条を徹底的に論じたものでした。その裁判の第一審判決は「自衛のために防衛措置をとることを憲法は禁止していない」という最悪のものでした。
 「これは裁判官が『政府の行為によって再び戦争の惨禍をくりかえさない』という憲法の立場で九条を解釈していないからだ」と私たちは考えました。そこで 控訴審では「戦争の惨禍」を裁判官の頭に叩き込もう、と法廷での証人を被爆者にお願いしたのです。人類初の核兵器に苦しむ、戦争の最大の犠牲者ですから。 「戦争の惨禍の極限である原爆の実情」を証言した最初の被爆者が肥田先生でした。
 肥田 「二度と核戦争を起こさないでほしい」という被爆者の願いは憲法九条とつながっています。いま戦争になれば核兵器が使われますから。今年四月二八日に「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」が発足しました。
 池田 被爆者にとって、憲法九条は生きる希望なのです。病人ばかりですが、最後の力をふりしぼって先頭に立ちたい、と。名古屋地裁で敗訴した被爆者が「まだまだする仕事がいっぱいあるのね」と元気になっています。九条を守りきれば、戦争はできなくなりますから。
 鈴木 われわれ宗教者はあらためて「宗教って何だ?」ということを自 らに問いなおす時だと思っています。自分の教団の危機ばかりいい、人類の危機に目をとめないことこそ宗教の危機です。宗派の違いを理由に殺しあいをした り、信者の激減に危機感を強くしたりと混乱する宗教界ですが、逆に救いもあります。宗教が洗い直され、良い宗教者たちが国境や民族を超えて団結していく道 もできつつある。また、つくられていかなければ。それを妨げる政治問題を明らかにするチャンスでもあります。
 アメリカや日本政府のお墨付きでできた、世界宗教者平和会議という集まりがあります。比叡山などで祈っている所が報道されますが。しかし最近その会でさ え質が変わってきました。戦火に苦しんでいる国々の宗教代表がきて発言するからです。「祈るだけではダメだ」と。
 日本でも各宗が戦後五〇年を機に、戦争協力への懺悔や「平和宣言」など、今までやれなかったことをしています。東本願寺は教団として「憲法改正反対」 「教育基本法改正反対」を決議しました。またイラク戦争直前、アジア仏教徒平和会議の総会が「イラク戦争反対、米軍は介入するな」という特別決議をしまし た。
 これが「空念仏」にならないよう、平和運動を一歩でも広げたいと思います。

被爆者には9条が生きる希望
力ふりしぼり先頭に立ちたい

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4月2~4日、原爆症認定行政の抜本的改善を求める連続座り込みが厚生労働省前で行われた。みぞれの降るなか、高齢の被爆者たちは命がけで訴えた(撮影・森住卓)

 池田 一八九九年にハーグで開かれた第一回国際平和会議、不戦条約 (一九二八年)、そして一九四五年の「紛争解決のための武力の行使と威嚇は慎まなければならない」とした国連憲章へ、戦争を違法とする人類の認識はすすん できました。それをさらに発展させて、日本が憲法九条で軍備まで捨てた。最近、ボリビア大統領が、日本の憲法九条を自国の憲法にもとり入れたい、と表明し ました。憲法九条は人類の生存に不可欠な掟だと、世界も少しずつ気づき始めた。
 国際法の歴史から見た人類の英知の発達、宗教界が到達している「殺すなかれ」という掟、それと日本国憲法とが、ぴったりあわさりますね。
 日本国際法律家協会では、九条を世界にひろげようと、来年五月に「九条世界会議」を東京で計画しています。

武器をスクラップにする「夢」も

 肥田 核兵器廃絶の夢も、被爆者が生きているうちに実現を、と思いますね。
 池田 九六年に国際司法裁判所が国連総会に対し「核兵器の使用と威嚇 は国際法違反だ」との勧告的意見を出しました。地球の南半球はすでに非核地帯です。北半球では、欧州のEUは加盟国間で戦争ができない仕組みをほぼ完成。 アジアでは東南アジア非核地帯条約が実現し、東南アジア友好協力条約に中国、インド、パキスタン、日本、韓国まで加盟し、「紛争を武力によらず、平和的交 渉で解決する」ことに合意しました。同様の動きが中央アジア、南米諸国に広がっています。
 あとは私たちのいる北東アジアの非核化です。日本には非核三原則がある。北朝鮮を六カ国協議で説得し、韓国も入れて朝鮮半島と日本で非核地帯条約を結べ ば、周辺の核保有国である米国・中国・ロシアから「条約国には核兵器を使わない」という追加議定書がとれます。
 六カ国協議を定例化し、アジアの平和共同機構が確立すれば、米国がアジアで武力を使うことも難しくなります。米国の核戦力、日本の米軍基地、自衛隊の武 器を無用の長物にし、スクラップにすることだって夢じゃない、楽しくたたかいたいものです。

いつでも元気 2007.8 No.190

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