民医連新聞

2004年1月5日

ヒューマンコミック『Dr.コトー診療所』作者にきく

患者さんと医師の絆(きずな)に読者は共感してくれた

離島で奮闘する青年医師と島民との人間的なふれあいを描いた漫画『Dr・コトー診療所』。四五〇万部売れ、テレビ ドラマにもなったこの本が、読者を魅了した秘密は? 作者の山田貴敏さんに、鹿児島・徳之島診療所で離島医療にとりくむ坂口美也子医師と医学生の日比野将 也さんが会いに行きました。(鐙(あぶみ)史朗記者)

日比野 この作品をなぜ描こうと?

山田 僕の今の担当編集者が「鹿児島県の甑島(こしきじま)という離島にすごいお医者さんがいらっしゃるんですよ」と教えてくれました。それで、取材に行ったんです。そしたら、面白い話がたくさん聞けて。モデルはこの人に“決まり”でした。
 そのお医者さんは、ある大学病院の元外科部長でした。三五歳の時「開業するまでの間」と考えて、甑島に渡ったそうです。医療器具も満足にない島で「何が できるんだ」と言ったら、「できることだけしてくれ」と言われたそうです。
 そこは彼が赴任するまで無医村状態でした。医師不足で、台湾人のお医者さんを呼んだこともあったり、島民の信頼を得るには程遠い状況だったといいます。
 だから大学病院の外科部長先生が島に来るといっても、もろ手を上げて「いらっしゃい!」という状況ではなかった。島民はお腹が痛くても、島の診療所には行かず、本土の病院まで行ってたそうです。
 彼を島に呼んだ役所の課長さんの奥さんが盲腸になった。その手術をしたのがきっかけで、少しずつ島民の信頼を得られたそうです。
 僕が見た診療所は「本当にここで全部やっていたのか?」と思ったくらい、古い建物でした。今では、MRIやCTまで揃っている新しい診療所になってます が、それは、先生が自治体とかけあって揃えたそうです。
 ある老人は、「先生は私にとって神様なんです。先生がくれた命で私はいまも生きているんです」といって、涙を浮かべて手を合わせました。ドラマや小説に でてくるような話でした。実物の先生は、わらじを履いて島を歩くような、ちょっと変わった人で、漫画の主人公とはキャラクターが少し違いますけどね。

坂口 緊迫の手術シーンは実際にあったことですか?

山田 盲腸の手術を船の上でするシーンですか? あれは僕の創作です。でも腹部大動脈瘤や肺癌の手術などを、先生と看護師さん二人だけでやったのは本当だそうです。
 僕は主人公を追い込むのが好きなんで(笑)、船の上で手術するのも、主人公がそうしないとこの少年の命は消えてしまう、離島で、しかも本土まで船で六時 間かかる状況設定で追いつめてみた。こうすることで人と人との関係がより濃密に描けるんです。
 それに、信頼を得るまではすごく長くかかるけど、何かで一瞬にして崩れる時もある。そういう人間の心の機微とか絆を描く題材が、離島医療にあったとも言えます。

日比野 人を描くのがお好きなんですね。

山田 それは一貫してますね。人と人の絆、親子の絆をどう描くかをずっとテーマにしてきたんです。
 この仕事で取材するなかで、患者さんとお医者さんとの間でも、信頼関係や絆が大切だと思い知らされました。
 島の医者が信用されなかった一番の理由は「どうせ二年間で帰るんだ。この医者に期待してもしょうがない」ということのようでした。モデルのお医者さんも信頼を得るまで何年もかかったそうです。

坂口 私はいま、離島の徳之島診療所で研修しているのですが、私も二年なんですよね。私が働く医療生協は、組合員さんから出資金を預かって、病院や診療所を運営しているので、診療所に派遣する医師は絶対に途切れさせない。

山田 島民にしてみれば、二年で替わってしまうのは不安ではないですか?

坂口 そうでしょうね。でも、いままで私たちが継続してきた医療を島民のみなさんはよく知ってますか ら、安心している面もあると思います。島を離れた医師を「あの先生は元気?」と気にしてくれたり。関係が全部切れるわけでもなくて、前に常勤で赴任してい た医師が、特診日にはまた島で診療しますし。ところで、山田さんにとって信頼できる医師とは?

山田 実は私の親父が二月に亡くなったんです。父の入院中でも私はしめきりに追われる身で、夜一〇時に 仕事を終えて車とばして行っても、午前二時、三時になってしまう。その私のために担当の医師は、わざわざ自宅から病院に戻って来てくれて、お父さんの状態 はこうですと説明してくれた。
 私の都合に合わせてもらって、本当に心苦しかったけど、先生の思いやりに今でも感謝してます。

坂口 このお仕事で医療に対するイメージが変わりましたか?

山田 一八〇度変りましたよ。お医者さんてどっちかというと上流階級で、普通の仕事より実入りが多くて、と思っていました。しかし、お医者さんはとても辛い仕事なんだ。内情を知れば知るほど、そう思いましたね。

日比野 最後に医学生や医療従事者にメッセージをお願いします。

山田 医学生には特に、癒しの医者をめざしてほしいですね。世の中に出たら、患者さんの背後にあるもの、例えば家族とか、経済状態とか、そういうものと格闘する方が多くなると聞きました。そんな時でも、癒す心を忘れないでほしい。
 医療従事者の、特に離島医療、僻地医療に携わっている方の苦労は、はかりしれないものですよね。医療事故があったりするとマスコミでたいへん騒がれます が、そういうことで萎縮しないでほしいと言いたい。
 このドラマが支持されたことからみると、みんな本当は医師と患者の絆を大切に思っているのではないですか。


 

漫画家 山田貴敏(たかとし)さん

1959年、岐阜県生まれ。大学4年生の時「漫画を描いたらカツ丼おごってやる」という同級生の言葉に、本格的に漫画を描き始める。処女作『二人ぼっち』、次作『マシューズ心の叫び』があいついで各賞を受賞。

日比野将也さん

 山田さんとは同郷なんです。『Dr.コトー』の原さん家族のやりとり、人間味あふれた場面が僕は好き。 「人間の機微を描きたい」という話に納得。大学病院の実態や僕らが出ていく社会の現実も描かれているんだけど、山田さんが言いたいのは「現実は現実、信念 を持っていこう」ということ。「難しい仕事でもチャレンジしてほしい」と励まされました。

青年医師の姿を描く

『Dr.コトー診療所』(小学館・『ヤングサンデー連載中』)は、本土から船で6時間もかかる絶海の孤島、古志木島が舞台。満足な医療設備も整わぬその島 に現れた外科医・五島健助の献身的な姿に、島民たちは次第に心を開いて…。

(民医連新聞 第1323号 2004年1月5日)

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