いつでも元気

2024年3月29日

その鼓動に耳をあてよ

文・八田大輔(編集部)

 ドキュメンタリー映画「その鼓動に耳をあてよ」。
 舞台は「断らない救急」を掲げた愛知県名古屋市の名古屋掖済会病院だ。
 年間1万台もの救急車を受け入れる救命救急センター(ER)は、コロナ禍でかつてない窮地に立たされる…。
 (全国公開中。詳細はQRコード、ホームページから)

名古屋掖済会病院 1948年に診療を開始。「掖済」は「導き・助ける」を意味する

 名古屋掖済会病院は、名古屋駅から6kmほど南にある診療科36科、病床数602床を有する大病院。ERでは15人の救急医と看護師・救急救命士30人が、24時間体制で急患を受け入れる。救急車の受け入れ数は年間1万台と愛知県内随一で、どんぐりを鼻に詰めて取れなくなった男の子から心肺停止の重症患者まで、さまざまな患者が運び込まれる。
 「何でも診ることができるのが、救急のいいところ」と語るのはERの蜂矢康二医師。大学工学部を3年で中退、医学部へ入り直して「究極の人相手の仕事がしたい」と救急医を志望。病気を診るだけでなく患者の声に耳を傾けることを大切にしている。
 ERでは生活困窮者と向き合う機会も多い。ある雪の夜、ホームレスの男性が「お腹が痛い」とやって来た。健康保険証もお金も持っていない。症状は軽く帰っても良かったが、待合室で朝まで過ごす男性を見ながら看護師がつぶやく。「寒かったもんね、温まりたいのよ」。
 「何でも診るは年齢と病気の“何でも”だと思っていたら、社会的な問題の“何でも”まで含まれていた」と蜂矢医師。

コロナ禍のER

 2022年1月、新型コロナの第6波で感染者数は過去最多を更新した。ERにも発熱やコロナの患者があふれ、集中治療室、救命救急室、一般病棟と、次々に病床が埋まっていく。
 「最後までうち(ER)が踏ん張りきる。それがプライド」と奮闘するERのスタッフの元に「のどに物を詰まらせて窒息した」という救急要請の電話が。病院全体の空床は0。受け入れは不可能だが一刻を争う事態に、救急医たちは苦渋の決断を迫られる…。

人間を撮る

 「とっつきづらい医師にどう食い込むか、その闘いは常にありました」と語るのは、本作が映画初挑戦の足立拓朗監督。東海テレビ(名古屋市)の報道マンで、御嶽山噴火、熊本地震、北海道胆振東部地震など、多くの被災地取材を経験してきた。
 ERの密着取材は2021年6月から。撮影期間は9カ月に及び、コロナ禍の医療現場にカメラが入ることに警戒心を抱く職員も多かったという。
 「職員は、どう描かれるのか不安だったと思います。でも、『こう描きます』とは言えません。ニュース取材はある程度予想した現象を狙って撮るけれど、ドキュメンタリーは“人間を撮る”ものですから」と足立監督。顔写真入りの職員リストを作って日々の会話を書き留めるなど工夫し、徐々に職員と打ち解けていった。
 救急車の受け入れを巡り、医師同士が言い争う場面がある。極限状態で赤裸々に本音をさらけ出す医師たち。「ガチ(本気)のシーンでした」と足立監督が振り返った貴重な瞬間は、しっかりと信頼関係を築いたからこそ撮影できた。
 22年11月に地上波で放送された「はだかのER」(放送時のタイトル)は文化庁芸術祭優秀賞に輝くなど高い評価を受け、今回の映画化へとつながった。

究極の社会奉仕

 救命救急センター長(当時)の北川喜己医師は「救急をやりたがる人がいないのが現状」と話す。慢性的な医師不足と長時間労働に加え、「救急医は専門医より少し立場が下に見られる」とも。「救急医は初期対応をして、各科に振り分けているだけ」と考える専門医もいるという。
 救急医を取り巻く状況は、コロナ禍でより苛酷になった。「究極の社会奉仕をしている感じ?」と少し自虐的に笑う蜂矢医師。それでも映画の最後ではこう語る。「やり直せたとしても、また救急科を選ぶ」と。
 そんな医師の覚悟に触発されたのか、テレビ版の放送後、掖済会病院を志望する研修医・医学生が急増したという。「(密着取材を許可した)北川医師はこうなることを見越していたのかも」と冗談めかして語る足立監督。真摯な取材姿勢と病院全体の協力がもたらした成果といえるだろう。
 今年元日の能登半島地震。掖済会病院院長となった北川医師は、翌日に被災地に入った。蜂矢医師もすぐにその後を追い、被災者支援に当たった。

 ナレーションを一切排した映像から伝わってくる「鼓動」。
 それは、救いを求める患者の鼓動なのか。ぎりぎりの状況で目まぐるしく働く医療従事者の鼓動なのか。あなたはどう思うだろうか。ぜひ、劇場で観てほしい。

いつでも元気 2024.4 No.389

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