民医連新聞

2024年5月7日

核兵器も戦争もない 平和な世界を私たちの手で

世界を動かした核兵器廃絶の願い
「続く人たちの努力に期待」
日本被団協代表委員 田中煕巳さん

 日本原水爆被害者団体協議会(以下、被団協)の田中煕巳(てるみ)さんに被爆体験と核兵器廃絶のとりくみ、民医連職員への期待を聞きました。(多田重正記者)

身内5人が犠牲に

 私は1945年8月9日、長崎市で被爆しました。当時13歳。自宅(爆心地から3・2km)の2階にいたとき、突然身のまわりがピカッと光り、とっさに階段を駆け下り、伏せました。そこで気を失い、ガラス戸や格子戸の下敷きになりましたが、奇跡的に無傷で助かりました。
 しかし、爆心地から500メートル地点に住んでいた父方のおばといとこは焼死体に。700メートル地点には母方の祖父、おば、おじとその娘が住んでいましたが、娘以外全員亡くなりました。おじは無傷でしたが、10日とたたずに高熱を出して亡くなりました。
 母方のおばの遺体は、一軒家のため倒壊したものの着火しなかった廃材を集め、私たちが荼毘(だび)に付しました。涙が止まりませんでした。原爆は一度に私の身内を5人も奪ったのです。子ども4人の母子家庭だった私たちの生活は、頼りにしていたおばが2人とも亡くなり、本当に苦しくなりました。

核兵器は悪魔の兵器

 多くの被爆者が、がん、心筋梗塞、白内障、肝機能障害などの後遺症や「原爆症がうつる」などの偏見・差別に苦しめられてきました。「こんな苦しみは私たちで最後に」と被団協は核兵器の廃絶を求め、行動してきました。
 2017年、国連で122カ国の賛成により、核兵器禁止条約(2021年発効※1)が採択されました。転機は2010年4月、赤十字国際委員会の総裁、ケレンベルガーさんの演説だと言われています。彼は「核兵器のいかなる使用も国際人道法に合致するとみなすことは不可能」で、国際条約で核兵器を禁止し完全廃棄するため交渉を、と各国外交官に迫りました。直後の核兵器不拡散条約再検討会議(以下、再検討会議※2)で、核兵器廃絶に向けた法的枠組みの必要性やいっそうのとりくみを求める最終文書が合意され、世界が動き出しました。16カ国の賛同で始まった「核兵器の人道的影響に関する共同声明」は最終的に125カ国にひろがり、核兵器を持たない国々の主催で2013~14年、「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が3回開かれました。
 でも、この変化の背景には、被爆者の訴えがあります。被団協が国連NGOの認可を受けて、再検討会議で初めて発言したのは2005年。私も2007年の再検討会議準備委員会(※3)で初めて被爆体験を語り、「核兵器は非人道的な悪魔の兵器。人類とは絶対共存できない」と証言しました。
 被団協は2005年から再検討会議のたびに、国連本部で被爆の実相を伝えるパネル展も行いました。アメリカでは「核兵器の使用で戦争が早く終わり、犠牲を抑えることができた」と教育されています。しかしパネルを見た多くの人はその被害に驚きます。生徒を連れてきた学校の先生もいました。
 2015年の再検討会議では何も決まらず、「これではいけない」と私たちは2016年、国内外の被爆者代表が「核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶ」ことをすべての国に呼びかける形で「ヒバクシャ国際署名」を始め、最終的に1370万人分以上を集めました。
 世界でも核保有国に遠慮し、消極的だった国まで動き、2016年、国連で条約づくりの作業部会が開かれました。翌年には国連総会決議にもとづいて条約作成を話し合う交渉会議が始まり、7月に核兵器禁止条約が採択されました。これらの会議に被団協代表が出席し、交渉の経過を見届けました。条約制定としては異例の速さだったと思います。

聞く力を大事に

 日本政府は、唯一の戦争被爆国でありながら、核兵器禁止条約に署名していません。アメリカに従属している。情けないことです。
 しかも「武力を持たない」「戦争しない」と決めた憲法9条があるのに、殺傷武器や軍備増強など、守るべき憲法に違反しています。ですから私たちに必要なのは、憲法9条を守れと言うだけでなく、実質化させること。平和を守り、戦争させないために、政治の中身を見て、正すことです。
 民医連のみなさんにお願いしたいのは、聞く力を大事にしてほしいということ。とくに被爆者が差別されてきたことは心の傷だから、なかなか言い出すことができませんでした。被爆者が名乗り出ることができるようになったのは、ビキニ水爆実験(1954年)直後に盛り上がった核兵器廃絶運動があったから。被爆者に寄り添い、その願いに共感し、自分たちにできることを考えてほしい。被爆者に残された時間は長くない。続く人たちの努力を期待します。


※1 今年1月までに93の国・地域が署名、70の国・地域が批准
※2 国連安全保障理事会常任理事国の核保有を前提に他国の核保有を禁じた条約。5年に1度、アメリカ・ニューヨークの国連本部で見直しの再検討会議が行われる。2020年はコロナ禍で22年に
※3 再検討会議までに3回開催


平和・憲法を学び
世代を超えて運動をつなぐ
和歌山生協病院

 和歌山生協病院では、毎年3年目の看護師を対象に、平和と憲法を学ぶ研修を行っています。そこには民医連職員、そして主権者として育つ若手の姿がありました。(稲原真一記者)

 和歌山生協病院は、1~3年目の看護教育を初期研修と位置づけ、その3年目のテーマが「平和」です。毎年職員が平和について学び、自分たちで1年を通してどんなとりくみを行うか決めています。昨年度は3年目看護師6人が集まり、学びを深めました。
 研修の前半では原爆投下の被害を伝えるアニメの鑑賞や、長崎で行われた原水爆禁止世界大会の参加者の報告を聞く学習を行いました。また原水禁大会に参加した医療生協の理事の松本弘子さんは、元社会科の教師でもあり、「憲法と平和を学ぶ」というテーマの学習会を開催してくれました。「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」という憲法の3つの柱や「憲法は国を縛るもの」など、基本的なことから始まり、社会保障とのつながりや選挙制度、今の軍拡が憲法に照らしてどうかなど、政治の問題にも結びつけて学びました。

学びから行動へ

 研修メンバーの中岡千菜津さんは「松本さんの話から、憲法や選挙は難しいものじゃないと思った」と言います。「社会保障を削って軍拡をしていると知り、驚いた。生活保護の患者さんとも毎日接していて、その人たちが医療を受けられなくなるかもしれない。身近な問題だと感じた」と、意識が変わりました。同じくメンバーの辻山ちなつさんも「憲法は難しくて苦手だった」と言いますが、「ちゃんと学んで考えないといけない問題」と気がつきました。
 「とりくみは自由にやっていいと言われて悩んだ」と話すのは、研修メンバーの結城沙理奈さん。他の3年目とも議論して「松本さんの話で自分たちも変わった。学んだことを伝えれば周りの職員も変わるかも」と、各職場での学習会を行うことを決めました。さらに「政治にかかわる方法は他にもある」と、病棟や待合室での署名活動にもとりくみました。

自分の言葉で思い語る

 学習会の内容は、3年目が集まって自分たちでつくり上げ、発表も6人で分担して各部署を回り、約80人の職員に参加してもらいました。憲法の基礎知識と9条に反する日本の軍拡や改憲の動き、投票率の低さなどを示して、平和や憲法を守るために一人ひとりが行動する必要性を訴えました。その後、学習会の参加者にアンケートを実施し、意識調査も行いました。
 そして3月29日に行われた初期研修修了式では、活動をまとめた「平和のとりくみ」を報告。アンケートでそれまで選挙に参加していなかった13人のうち、9人が「学習会に参加して選挙に行こうと思った」と回答していたことから、とりくみの意義や、学習や運動への参加を継続して呼びかける重要性を強調しました。
 個人の研修報告でも平和のとりくみの発表があり、「平和でなければ医療は続けられない。戦争は遠い話ではなく、つながっていると気づいた」(早水美侑さん)、「一人の力は小さくても、みんなでとりくめば国も変えられると信じて行動することが大事」(谷口萌さん)など、それぞれが平和や憲法への思いを語りました。

思いを共有し運動へ

 6人に今の憲法をどう思うか尋ねたところ、口をそろえて「変える必要はない」と返ってきました。研修メンバーの沖歩乃佳さんは「憲法は今のままでも社会の変化に合わせ、ひろくいろいろな解釈ができる。変えてもいいことはないし、政治家が好き勝手に変えてはいけない」と訴えます。
 報告や発表を聞き、看護部長の林李果さんは「一人ひとりが思いを持って自分の言葉で語っていることに感動した」と言います。研修を援助した副主任の内田恵介さんは「若い世代が自分たちの言葉で伝えたことで、上の世代や後輩にもまっすぐ伝わっていた」と、とりくみの成果を感じています。
 林さんは「こうした思いを多くの職員とも共有し、次の行動につなげてほしい。平和に限らず、地域とのつながりも大切に、民医連綱領を実践する職員育成をすすめていきたい」と力を込めます。

(民医連新聞 第1805号 2024年5月6日号)

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