いつでも元気

2008年9月1日

元気スペシャル 道北の地に研修医になって帰ってきた

“医師としての船出は宗谷岬から…”と地域ぐるみで

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 学生時代、実習にきた医学生が、研修医になって帰ってきた――7月号「あらかると」に寄せられた通信です。うれしいニュースに早速、北海道に飛びました。

「いっしょにお祝いしよう」と

 この研修医は身崎伊織さん。現在、道北勤医協の一条通病院(旭川市)で研修中です。訪ねた日は、内科病棟での回診をしており、患者さん一人ひとりに、ていねいに声かけしていました。

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患者さんにやさしく話しかける身崎医師

 国家試験に合格し、一条通病院で研修を始めることになったとき、稚内市の「宗谷友の会」を再び訪ねたわけは――。
「大学一年のとき先輩に誘われて道北勤医協の実習に参加して、初めて宗谷医院にいきました。そこで、友の会の役員であり、いま稚内中学校の校長をされてい る平間信雄さんから声をかけられたんです。“医師としての船出は宗谷岬から…。国家試験が終わったら一緒にお祝いしよう、立派に成長して帰って来てくれ よ”と。熱いメッセージに感動して…」
 宗谷友の会は大喜び。身崎さんに「認証書」(写真)が渡されました。
 宗谷医院で実習する前日、身崎さんは隣町の公立病院を訪問しました。そこでは、困難を院長が一人で背負って奮闘しているという印象を受けたそうです。
 「ところが宗谷医院にいってみると、地域のみんなが医師を支えようとしている。医師が必要とされていると実感しました。一緒に命と健康をまもってほしいという願いがひしひしと感じられたのです。

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「日本最北端民医連医師誕生を認定した」認証書

 僕は、なんとなく“町医者”になろうと思っていたのですが、大学での勉強は病気だけをみることが多く、患者さんの生活背景まではみようとしない、と感じ ていました。宗谷で、自分のめざす医師像が、はっきりしてきた気がします」
 「いまは北海道全体で医師が足りず、宗谷医院も医師一人です。成長した身崎先生と一緒に複数体制が実現できたらうれしいですね」宗谷医院の百瀬浩所長は笑顔で話します。

離島健診から診療所建設へ

 稚内市に宗谷医院が開院したのは一九九五年。開院には長い前史がありました。
「私が教師になったのは一九七二年です」と前出の平間さん。
 「当時、利尻島、礼文島を含む日本最北の宗谷管内は医師不足、ベッド不足で、入院の半数近くは管外の旭川市や札幌市に出ていました。宗谷教職員組合は一 九六九年に組合員の健康アンケートの分析を北海道勤医協に依頼し、健診にきてくれるよう要請していました。七三年、検診車がきて離島健診が始まり、さらに 二二年間、働きかけ続け、道北勤医協の宗谷医院が開院したのです」

医学生・研修医と教職員が

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一条通病院に支援に来ていた百瀬医師と談笑する身崎医師

 しかしこの間、漁業や水産加工業の縮小や廃業があいつぎ、農産物の輸入自由化や原材料価格の高騰で酪農もきびしい状況が続いています。若者の就職先がなく、とくにここ数年は人口の減少幅が年々拡大し、激しい過疎化が進んでいます。
 「まちの衰退は、教育現場の荒廃も招きます。もがき苦しむ子どもたちや子育てに悩んでいる親たちの姿が目に映りました。教育で悩んでいる家庭は医療でも 苦労していました。私たちは子どもたちのためになるなら、どんな人とも手を結び、『教育・医療・福祉』三本柱の運動をつくっていこうと決めたのです」
 宗谷医院が開院して医学生の実習受け入れが始まり、〇四年の医師臨床研修制度の開始にともない研修医も宗谷の地を訪れるようになりました。研修医たち は、宗谷医院での研修のほかに、学校訪問をして生徒と交流したり、地域住民との医療懇談会などにもとりくみました。バックアップしたのは、教職員です。
 「若い医師や医学生たちが積極的に教育の分野に入ってきて学ぼうとする意欲に感動し、共感すると同時に、私たちに力を貸してほしいと思いました。将来、 医者になる、教師になるという人材をこの地域でつくり出し、育てていくことは、改めていま私たちの教育の課題になっていたことに気づいたのです」と平間さ ん。
 医療・介護も大変。教育も大変。しかし、人を育てることが決定的に重要なことでは共通しています。お互いが手をとりあって危機を打開するのだという強い思いが感じられました。

まちあげての「医師講座」に

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稚内市

 ことし二月、稚内市内四つの中学校の校長が中心になり、「進路探検・医師講座」が開かれました(5月号参照)。
 「子どもたちの未来のため、この地域のためにいま医師が必要なんだという思いが一致し、四中学校長が連名で呼びかけたことの意味が大きかった」と坪内晃 校長(潮見が丘中)は振り返ります。このとりくみに、医師会長がいち早く賛同し、教育長はもちろん市長も共感し、まちをあげての「講座」になったのです。
 坪内校長は続けます。「講師に、北海道民医連の若い研修医たちが自ら手をあげてくれた。『僕らも子どもたちに夢をもたせたい。この地域から医者をつくり たい』と。お互いの思いが一致したかたちで成功できた」と笑みがこぼれます。
 早くも子どもたちの中に意識の変化が出ているようです。「医師問題」について真剣に話しかけてきたり、「医師になりたい」という生徒も出てきたといいます。
 「医師不足について、子どもたちは大人と同じようにしっかり感じてますよ。将来について真面目に考えているんだな、と私たちもつくづく感心させられます」
 「そういえば、私が宗谷中の教頭時代、生徒たちに最初に語ってくれたのが身崎くんなんですよ」。宗谷での二回目の実習期間中、全校集会「進路を学ぶ対話 集会」でのこと。それが稚内での「医学生と中学生の交流第一弾」でした。

まちづくりを住民みんなで

 「宗谷友の会」会長で、元中学校校長の笹谷陽一さんはこう語ります。
「私たち友の会も『医療』のことだけにとりくめばいいとは考えていない。厳しい情勢のなか、地域のことを住民みんなで考えていくことがいま大事なんだと思 う。今回の『進路探検・医師講座』は、これまでとりくんできた教育と医療の継続した運動が、ようやく一つのかたちになった、ホントにうれしい」
最近では、宗谷医院にきた研修医が市長との懇談もおこなうようになるなど、交流は大きく広がっているそうです。
「医師は地域の現状を知り、地域からの期待を感じることで、『私たちは必要とされているんだ』と実感できる。きっと自信にもつながるでしょう」

医師の誕生へ、夢はふくらむ

 「最北端の地から、続々と医師が誕生したらすごいことだよね。一〇年後、講座に参加した生徒の中から医師がうまれ、講師になってくれるのが私たちの夢だ ね」「二回目もやろう。今度は『医師講座』だけじゃなく、『教師講座』もやろう」…と校長先生たちの夢はふくらみます。
「身崎くんに贈った認証書には、たくさんの人の喜びと期待がこめられている。僕らにとっては、身崎くんに対する感謝状でもあるんです」と平間校長。
身崎医師は「いまはしっかり研修して、外来に出られる力をつけて宗谷医院へ戻ってきたい」。来年には、診療所研修で宗谷医院にいきます。
文・井ノ口創記者/写真・酒井猛

いつでも元気 2008.9 No.203

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