いつでも元気

2008年10月1日

「ノーモア・ミナマタ国賠訴訟」全国で 「共通診断書」つかって潜在患者の救済を

水俣病の新たな局面

 水俣病の原因となった有機水銀を排出した企業・チッソ。前身の日本窒素肥料株式会社が水俣に設立されて、ことしでちょうど一〇〇年になります。有機水銀は一九六八年まで不知火海に放出され続け、数知れぬ沿岸住民の身体を侵しました。
 水俣病が公式確認されて五二年。国は被害の実態を隠し、被害の拡大を放置。患者の認定にも厳しい基準を設定しました。これまで水俣病と認定された患者は約三〇〇〇人です。
 長い裁判の末、九五年の政治解決で、医療費支給などの救済対象となった人は約一万二七〇〇人にのぼりました。けれどもそれでもまだ、偏見や差別への恐れに加え、情報がほとんど届かないために、声をあげられなかった患者たちがおおぜい取り残されていたのです。
 二〇〇四年一〇月、水俣病関西訴訟で最高裁は、国と県が被害の拡大防止を怠った責任を断罪。これまでの基準で棄却された原告を水俣病と認定しました。
 この判決後、新たな認定申請希望者が殺到。〇五年一〇月には、司法救済を求めるノーモア・ミナマタ国家賠償訴訟が熊本地裁に提訴され、これまでに一一次、一四九五人の原告がたたかっています。

大阪 検診した157人中8割が水俣病

 二〇〇四年の最高裁判決後、関西からも多くの患者が、水俣協立病院(熊本民医連)に診察を受けに出向きました。そして約六〇人の関西在住患者が水俣病不知火患者会に参加。約四〇人が、ノーモア・ミナマタ国家賠償訴訟に加わりました。

大阪で近畿支部が誕生

 こうした事態を受けて大阪民医連では、耳原鳳病院副院長の三宅徹也医師を中心に、地元での集団検診を二〇〇六年からおこなってきました。二〇年ほど前、 現大阪民医連会長の池田信明医師など近畿の民医連医師集団が呼びかけ、大阪周辺の患者を診断しましたが、その後の活動は途絶えていたのです。
 「検診を始めると、失調や視野狭窄があり、歩くのもフラフラするような重症の患者さんがまだおられたのです。驚きました。ほとんどの人は、手足の感覚障 害やこむら返りなどの症状だけで、これまではなかなか水俣病と認められない人たちでした」と三宅医師。これまで六次の集団検診で一五七人を診察、なんと約 八割が水俣病と診断されました。
 「私たちは熊本で作成された“共通診断書”を使っていますが、これなしで水俣病と診断することはなかなかむずかしいと思います。いまだにきちんと診断されない患者さんは、全国にもたくさんいるのだと思います」
 大阪では七月六日、「水俣病不知火患者会近畿支部」が設立されました。

水俣を出て47年たったが

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「指がこんなに変形して」と大阪在住の患者

 大阪府豊中市に住む黒田仙治さん(66)は水俣で生まれ育ち、一九六一年(昭和36)に一九歳で大阪へ出てきました。
 「水俣川の河口で育って、フラフラしとるスズキやらをつかまえて食べよりました。当時は水俣病なんて知らなかったので、魚を山ほど食べとったんですわ」
 仙治さんのあとを追って姉や弟が大阪に出てきましたが、水俣に残った両親と末の弟は早くに水俣病と認定されました。仙治さんたちも、こむら返りや頭痛、貧血、手足の脱力など共通の症状に長い間悩まされてきました。
 「わしらも水俣病かとも思っとったが、どうしたらいいか何の情報も入ってこんしね。三年前にみんなで帰郷したとき、実家の嫁にいわれて協立病院で高岡(滋)先生に診察してもらって、初めてはっきりと水俣病と診断されたんですわ」
 黒田仙治さんたち親族五人は、大阪地裁にこの秋にも提訴される裁判に加わる決意でいます。
 「この先具合が悪くなる不安もあるし、裁判で決着せんことには納得できんから」

最高裁も再確認した診断基準

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熊本地裁前で(7月25日)

 国は現在でも、一九七七年に出した「二つ以上の症状の組み合わせがなければ水俣病とは認めない」という診断基準に固執しています。
 しかし、膨大な数の患者を診察してきた藤野糺医師や高岡医師などによって、水俣病は「水銀汚染のあった時期に魚介類を多食し、四肢末梢性や全身性感覚障 害など一症状で診断できる」ことが明らかにされ、八五年の福岡高裁判決で、この診断基準が確立。関西訴訟最高裁判決で、再び確認されたのです。
 水俣病の「共通診断書」は、家族歴や居住歴、食歴への聞き取りなど診断に必要な項目が網羅されています。ノーモア・ミナマタ国賠訴訟の原告団をはじめ、多くの患者たちがこの共通診断書によって水俣病と診断されています。
 七月二五日、熊本地裁で高岡医師がノーモア・ミナマタ国賠訴訟の証人として五時間にわたる証言をおこないました。
 弁護団の中島潤史弁護士は「この証言で、水俣病がどういう病気かということだけでなく、水俣病の研究がどこまで到達しているのかを裁判所も十分に認識できたと思います」と語ります。

今度こそ早期に決着を

 水俣病不知火患者会は今後、福岡など各地に支部を設立。その人たちの居住地で、「ノーモア・ミナマタ訴訟」を起こしていく方針です。全国に潜在する患者たちの救済をすすめ、同時に水俣病裁判全体を早期に決着させることが目的です。
 公式発見から五〇年以上がすぎて、いまだに各地で人知れず水俣病に苦しんでいる患者たち。各地の民医連の検診活動にも期待が高まっています。
文・矢吹紀人(ルポライター)
写真・若橋一三

いつでも元気 2008.10 No.204

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