民医連新聞

2004年5月17日

私と憲法(3) 子どもの権利うばう基地

田仲末子(沖縄医療生協・非常勤理事)

 私の住む嘉手納(かでな)町は、「安保の見える丘」に近く、米軍基地のすぐそばです。家から二五〇mのところに基地のフェンスがあり、滑走路をひんぱんに軍用機が出入りしています。

 軍用機は、明け方五時前からエンジン調整を始め、六時ころになると飛び立っていきます。この轟(ごう)音の中を、子どもたちは通学しています。友だちの声は爆音で聞こえません。通学のおしゃべりは楽しいはずなのに、ここの子どもたちは終始無言です。

 爆音の影響は、幼い子どもたちに出ています。子どもたちは、本来ならたくさんの会話の中で育ちます。それができない子どもは、言葉が出ないせいで、「先に手が出て足が出る。だから打撲や骨折が多い」と、基地のない町から来た教師は言います。

 「学校でのケガは、すり傷や切り傷が多いはずなのに」と不思議に思ったその教師は、放課後の子どもたちの遊びを観察しました。すると、ぶつかり合いになった時、口げんかする前に手が出ることに気づきました。「これは爆音のせいだ」と言っています。

 もう一つの調査があります。別の教師は、授業中に爆音量が基準値を超えた時間数を記録しました。すると小・中・高一二年間の学校生活の、なんと二年分に相当しました。この先生は「子どもたちの二年分の教育権が侵されている」と言っています。

 私も左耳がよく聞こえません。医師は「静かな環境で生活するしかない。この町には、他にも同じ患者がいますよ」と言います。

 悔しい体験もありました。娘が二歳くらいの時、公園で子犬と遊んでいましたが、戦闘機が真上を飛んでいきまし た。爆音に驚いてしがみついた子犬の爪が、娘の額に刺さってしまったのです。そばにいた私には、娘の泣き声が聞こえませんでした。今も、娘の目の上にある 傷を見るたび、基地への怒りを覚えます。

 私たち住民は声を上げ続けています。一五年前に「戦闘機の急上昇はやめるように」と申し入れ、これは中止されましたが、被害はなお続いています。

 憲法で保障されているはずの「生命、自由および幸福追求に対する権利」がここにはありません。基地周辺の町には憲法がゆき届かないのです。

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 九条の重みは、沖縄の地上戦のさなかをさまよい歩いて生き延びた両親に、小さいころからずっと聴かされてきました。

 「戦争をやってはいけない。戦争につながるものを持ってはいけない」。これは戦争を体験した国だから掲げてきたものです。戦争で死んだ人、血を流した人の命の代償で、私たちが得たものです。戦後、苦労して守ってきた宝物です。

 子や孫へ、永久に引き継ぎ、未来を保障する条件だと思います。変えてしまったら、亡くなった人に申し訳ないです。

(民医連新聞 第1332号 2004年5月17日)

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