いつでも元気

2009年10月1日

元気スペシャル いのち守るネットワークをいま!

“困ったときはお互いさま”

石川・金沢北健康友の会

 秋です。医療生協や友の会の仲間増やしの季節がやってきました。今回のスペ シャルは6ページ。「日本中にこんなネットワークをひろげたい」と、思いながらのご紹介です。100年に1度の経済危機なら、人間らしく生きることをあき らめない仲間たちだって100年に1度の勢いで広げたい!

ホームレスが連絡先を手に

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中央が塩田さん

 金沢北健康友の会の事務所に、ホームレス男性が助けを求めてやってきました。手には友の会の連絡先と「相談に乗ってくれます」という言葉が書かれたカードを握って。
 金沢駅の地下にいたところ、見知らぬ女性から、テレホンカードとともに手渡された、という話でした。友の会メンバーが市役所に同行し、生活保護を申請。路上生活を脱することができました。
 その夜開かれた役員会議でこのことが報告されました。いったい誰が? といいながら、そのカードを回覧すると…「これはうちの女房の字や!」と副会長の 西村昭さんが。妻の洋子さんが、ひとりでしていたことだったのです。「知らんかった。こんなことをしてたなんて」。驚きと感動が広がりました。

「まさか、自分が?」

 相談にきた当の塩田紀夫さん(69)が取材に応じてくれました。友の会とつながり、救われたのは四月三〇日のこと。四月に家を失ってから約二〇日間、金沢駅にいました。
 三月までは妻や派遣労働者の息子とアパートで生活していました。しかし、昨年秋からの不況を境にしてそれぞれの仕事が激減、収入も減り家賃が払えなくな りました。滞納した家賃は三カ月になり、部屋を退去するよう言い渡されて、ある日、「『これからは、別々に生きていこう』と、家族からのメモがあった。僕 の日雇いの仕事も、年末からぱったりなくなっていた。生活が傾いたら、家族の関係もおかしくなった」と。文字通り一家は離散、塩田さんは路上生活になりま した。
 中学を卒業してからずっと働いてきました。ヤマハやスズキなどの世界に名だたる企業の臨時工だったことも。がんばっただけ収入になり、海外旅行をし、二世帯住宅を建て、住んでいた時期もあったのです。「だからまさか自分がこんな境遇になるとは思いもよらんかった」。
 家を出た時の所持金は五〇〇円ほど。市役所に助けを求めること四度。毎回違う職員が対応しましたが、「敷・礼金のないアパートを探してくれば保護する」 という説明は同じ。実質の門前払いです。市内中探したが、そんな条件で塩田さんを入れてくれる物件は見つかりません。公園で水を飲み、コンクリートの上で 寝ました。たまに他のホームレスが分けてくれるパン以外は食べていませんでした。
 「もう何も考えられなかった。きょう、あしたの命でもいい、と思って路上にいた」塩田さんの声が震えました。

「友の会なら助けてくれる」

genki216_01_02 そんな塩田さんに気づいたのが洋子さんでした。
 「駅を通るたび見かけるので、ホームレスだと確信しました。遠慮がちに柱の陰にいる姿が気になって。それで、四月二六日にみかけた時に声をかけたんで す。失業して家もなくなったという人たちのニュースには胸が痛んでいました。何かできないかと友の会の連絡先を書いて、テレホンカードといっしょに持ち歩 いていました」勇気を出して歩み寄りました。
 なぜ友の会の連絡先をカードに書いたのですか? とたずねると「友の会は困った人を助けてくれるところですから」。洋子さんがそう言い切るには理由がありました。昨年末から友の会がたくさんの生活相談を引き受けてきたからです。

年末から激増した生活相談

 「相談件数は年末から三〇人は超えたかね」友の会の桑原和子事務局長と、職員の礒貝幸恵さんは顔を見合わせました。
 電話相談もありますが、直接来る人も多い。窓越しに事務所をのぞいて人がいるな、と思っていると「困っているんです」と入ってきます。相談内容に応じ て、前会長の鍋野正通さん、友の会の世話人で金沢市議の森尾嘉昭さん、地域社保協や病院のケースワーカーなどに援助を要請します。「友の会で毎週水曜日に 相談会をおこなってきましたが、最近急に相談活動に熱心になったということはないんです。困った人があふれている結果です」と、藤牧渡会長。
 明らかに今回の経済危機や、不十分な社会保障が地域に影を落としています。市内では派遣切りどころか、派遣会社そのものが潰れ、大勢の社員が会社の寮を 出されてしまった、ということも。森尾さんは、車で生活していたホームレスの相談に立て続けに乗っています。六〇代と三〇代の親子のケースもありました。
 そうして相談に乗ってもらえた人が、「困ったら行きまっし(行きなさい)」と、次の相談者を二人、三人と友の会事務所に連れてくる、ということもあるそうです。

相談者がさらに相談者を連れてきて―

genki216_01_03 塩田さんがカードをもらってから友の会に連絡するまで三日かかりました。役所でさえ助けてくれないのに見知らぬ人を信じていいのか? というためらいもあったから。しかし、疲れ切って向かった事務所であたたかく迎えられ、「心からホッとした」。
 鍋野さんといっしょに、友の会員さん差し入れの筍ご飯を食べてから、付き添われていった五度目の市役所の窓口対応は、信じられないほど親切になっていました。書類の提出は後、とにかく住居をと市役所が物件を探し、その日のうちに住居が決まったのでした。
 偶然その日の午前中、友の会も参加する地域社保協が生活保護の対応を改善してほしい、と金沢市に申し入れていました。「その効果もあった」と、藤牧さん。
 「チームプレーやね」と、鍋野さん。

僕らの「原点」は

 「私たち、『助けてあげた』という感覚はないんです。会員それぞれの得意分野を生かして、支え あっているという関係かな。あのときは塩田さんが助けられたかもしれないけれど、いまは友の会が塩田さんに助けられてます」と、桑原さん。いまでは塩田さ んが「何かあるか?」と、事務所に顔を出し、仕事を手伝ってくれる存在なのです。
 「ほんまによかった」と振り返って、あらためて喜ぶ仲間たち。「若い人が働けて、安心して食べていける社会にしないとなあ」と、企業の冷たいやり口や、それを許す政治の問題にも話が至ります。
 友の会はいま、相談活動などを通じて生活保護を受け、住居を決めた人たちをひとりぼっちにしないために、班をつくって食事会をひらくなど、新しいとりくみも始めています。
 森尾さんが語った実感が印象的でした。「相談者の事情を聞けばきくほど、この人たちは『自己責任』などで困難に陥ったのではない、と確信します。たいへ んな目にあってきた人たちに手を貸し、傷ついた気持ちに寄り添いながら、なぜそうなったのか、その原因に怒ろう。人間を人間扱いしない社会を変えるために いっしょにがんばろう。そういえるのが民医連や友の会の原点だと思う」
文と写真・木下直子記者


「命を守る月間」で900軒を全戸訪問

北海道・道南勤医協

 道南勤医協では、6月15日から1カ月間「命を守る地域訪問月間」にとりくみました。内容は、4月から始めた無料低額診療事業を地域に広めることと、医療・介護制度改善の署名活動です。
 事前に、学習会や「命を守る」ポスターを公共の場所に張り出すなど精力的におこない、月間中、稜北病院周辺の900軒以上を全戸訪問。職員112人、友の会員27人が参加しました。
 訪問先では「年金が少ないうえ息子や孫が失業し、生活がさらに苦しくなった」「少しぐらい具合が悪くても病院にはかかれない」などたくさんの声を聞くことができ、ポスターを見た人からの相談も寄せられました。
(舩木幸子通信員)


始めてよかった!

無料・低額診療事業

兵庫・尼崎医療生協

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尼崎医療生協がつくったリーフレット

 尼崎医療生協は、今年三月一日から「無料・低額診療事業」を始めました。社会福祉法にもとづき、生活に困って医療費の支払いが困難な方に対し、患者負担分の免除または減額をおこなう事業です。

受診できない人が増えて

 尼崎市は、以前から非課税世帯の割合が高く、国民健康保険の保険料滞納世帯も、最近の報道では 四三・六%になっています。ことに昨年の秋以降、派遣切りや雇い止め、倒産も相次ぎ、今年三月末にはパナソニック尼崎工場で八〇〇人が派遣切りされまし た。市民の暮らしはいっそう深刻になっています。
 尼崎医療生協の病院・診療所も、治療を「中断」した患者さんや気になる患者さんの訪問を強めていますが、隣の人に引っ越し先をいわずに転居する人や、 「お金がないから」と受診をためらう人が増えています。私たちは、医療の必要な人に、何とか、お金の心配なく医療をうけてほしいと議論を重ね、無料・低額 診療事業を始めました。
 八月中旬までで、適用者は四四件、七五人です。所得が生活保護基準の一五〇%程度までの人が減免の対象になりますが、実際に適用になった方の所得を見る と、保護基準以上の世帯は一一件しかいません。残り三三件は生活保護基準以下でした。しかもそのうち一一件は、基準の半分以下の所得だったのです。どう やって生活していたのかと思うほどです。
 一時この事業でつなぎ、生活保護の受給に結びついていく方もいます。

4分の1は生保基準の半分以下の所得だった

政治災害が弱者を直撃

 相談者の年齢で見ると、三〇代四人、四〇代三人、五〇代五人と、働き盛りの方が三分の一近くを占めました。この世代は子どもや親など家族が多いのも特徴です。事情を聞くと、まさに政治災害の大津波が弱者を直撃していました。
■会社が倒産し、親元に帰ってきた。時給八〇〇円のパート勤務をしているが、糖尿病の自己注射の費用が払えない。
■自営業だが仕事がなく、国保料も分納している。
■ヘルパーをしているが、低賃金のため預金を取り崩しながら家計を維持している。医療費に回すお金がない。
■「会社都合」により、三月末に解雇。雇用保険受給期間は六カ月あるが、まだ待機期間で、退職金を崩して生活、など。
 始めてよかった、もっと早くやれていればよかった、というのが実感です。

関係団体や市と連携して

適用になった相談者の所得は?──
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 実施にあたって、兵庫県がすんなり届け出を受理してくれたわけではありません。昨年八月からたらい回しされたあげく、やっとたどり着いた担当者は「厚生労働省が、この事業の『抑制』方針を変更していないのでむずかしい」と相談にのろうともしませんでした。
 しかたなく、日本共産党の小池晃参議院議員事務所に相談。九月二九日に小池議員が「無料低額診療事業の拡充に関する質問趣意書」を提出し、答弁書が閣議 決定後、参議院議長に送付されました。「自治体の判断にまかせる」という内容でした。これでようやく、届出書式一式を手にすることができました。
 無料・低額診療事業は、多くの関係団体との連携があってこそ成功します。市内の民主団体や福祉施設、関係団体に呼びかけ、懇談会を開催し、事業内容を説明し「安心と助け合いのまちづくりに向けて協同を」と訴えました。各団体からは、大きな期待の声が寄せられました。
 また尼崎市からは、無料低額診療事業は「市民の最後の拠り所になる」「生活保護制度と両輪の制度」と期待を寄せられました。尼崎では、〇二年一一月、広 範な市民の運動で白井文市長が誕生。国・県の公立病院つぶしともたたかっています。事業を開始するとさっそく、福祉事務所から「ホームレスの人を生活保護 適用したので、診察をお願いしたい」など、八人の紹介がありました。

 尼崎で、医療生協の事業所ができて六〇年。政治災害のどんな大津波が押し寄せても、尼崎には「自治体が防波堤の役割を発揮しているではないか」「医療生協があるじゃないか」、そういってもらえるようなまちづくりをすすめていきたいと思います。(粕川實則通信員)


市長が変わると大違い

兵庫・宝塚医療生協

 阪神間のベットタウン・宝塚市。二〇〇六年、〇九年と二代続けて現職市長が汚職で逮捕。出直し選挙を繰り返してきました。今年四月、「今度こそクリーンな市長を」という市民の願いが実現。市政初の女性市長・中川智子さんが当選、民主市政が誕生しました。
 着任早々の五月、新型インフルエンザ対応でさっそく成果が。▽高齢者、障害者、妊婦等には市からマスクを無償で提供。▽また国保料を滞納し資格証明書に なっている一一七人全員に、六カ月の「短期保険証」が配布されました。保険証がなくては、医療機関にいきにくいからです。
 四年前、地域社保協「社会保障をよくする宝塚の会」を結成。毎年数カ所で国保の相談会活動や自治体との懇談など続けていますが、「市長の市民への姿勢が 変わればこんなにも変わるのか」と、市民の実感こめた声が広がっています。
 「憲法を市政に生かす」と公約した新市長。七月の国民平和行進では、自ら出向え激励のあいさつをし、「宝塚市から世界に平和を発信していく」と新国際署名に署名。平和市長会にも加盟しました。
 今後とも市と連携しながら「健康づくり、まちづくり運動」の輪を広げていきます。(田淵正俊)

いつでも元気 2009.10 No.216

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