いつでも元気

2009年12月1日

特集1 補償の幕引き、許さない 受診者の9割が水俣病だった 不知火海沿岸で水俣病大検診

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問診後、血圧を測定する大阪民医連の看護師。検診には全国の民医連からも710人が駆けつけた

 検診を受けた人の九三%が水俣病だった――一〇月二九日、衝撃の事実が発表されました。
 「水俣病大検診」が九月二〇日~二一日、熊本県水俣市・上天草市、鹿児島県出水市・長島町など、不知火海沿岸の八市町・一七会場でおこなわれました。受 診者は一〇四四人にものぼり、検診結果はデータ集計に同意した九七四人について発表されました。
 実施したのは、水俣病の患者団体や医療関係者などでつくる「不知火海沿岸住民健康調査実行委員会」です。
 折しも七月、加害企業チッソを分社化し、水俣病患者の認定も打ち切るなど、被害者救済の幕引きをはかる「水俣病特別措置法」が国会で成立したばかり。民 医連は「水俣病は終わっていない。被害を掘り起こす大検診がますます重要だ」と全国に呼びかけ、地元の熊本・鹿児島ふくめ医師、看護師など七一〇人の職員 が参加し、検診を支えました。

「非汚染地域」でも被害者ぞくぞく

開始前から受診者の列

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不知火海を挟んで水俣病と向かい合うように存在する龍ヶ岳地区

 九月二〇日朝。上天草市の龍ヶ岳地区にある龍ヶ岳体育館の前には、午前八時の検診開始を待ちかねたように多くの受診者が集まり、列をつくりました。
 龍ヶ岳地区は不知火海をはさんで、水俣市と向かい合う位置にあります。同じ不知火海沿岸でありながら、国は「非汚染地域」として水俣病の認定からはずしています。今回の検診は、こうした「水俣病患者はいない」はずの地域でも七会場でおこなわれました。
 国が水俣病の発生を認めていない地域でも、魚を多食してきた生活歴は、公害指定地域の水俣病患者さんの生活と変わりません。龍ヶ岳で生まれ育ったという四四歳の女性Aさんはこう語ります。

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受診者の訴えは止まらなかった。「1人20分以内」とされた問診だが、30分~40分に及ぶケースが続出。2時間におよんだ人も(龍ヶ岳体育館)

 「親は海運業で漁師ではありませんでしたが、私も船に乗っていたので魚はたくさん食べました。いままで検診は一度も受けたことがない。でも、足がこむら 返りを起こすようになったので、検診のことを聞いて受けにきたんです」
 龍ヶ岳体育館会場の受診予約数は二六二人。受診者が多いため、問診スタッフは「ひとり二〇分以内で」と指示されていましたが、始まってみると四〇分、長 い人では二時間以上にもおよぶ聞き取りが続出しました。「幼いころからたくさん魚を食べてきた」「頭痛がして、手足も震えて生活にさしつかえる」「こむら 返りが痛い」「何もないところで転ぶようになった」―あふれ出すように語られる生活体験、症状の一言ひとことが、水俣病が間違いなくこの地域をも汚染して いることを証明していたのです。

これでも水俣病ではない?genki218_02_04

 会場近くの小さな島、樋島に住む五六歳の女性Bさんも、すでに二〇歳のころから頭痛やこむら返りに悩まされてきました。しかし「自分のような症状が水俣病だとは、誰からも教えられなかったし、考えたこともなかった」ため、この日が「生まれて初めて」の水俣病検診です。
 しかし樋島も「非汚染地域」です。Bさんは、スタッフから「樋島は水俣病と認められない地域」だと知らされて、怒りを抑えることができません。
 「島ではほとんどの人が海のもので暮らしていますから、魚は毎日たくさん食べてきましたよ。それなのに国は私たちの島を汚染地域と認めていないんですか? それはおかしかぁ。いかんですよ」
 龍ヶ岳体育館で問診を担当した、大阪民医連・耳原総合病院の医療ソーシャルワーカー、福丸歩さんもこう語ります。
 「大阪では、不知火海沿岸から移り住んだ方がたくさんいます。大阪民医連でも毎回二〇人ぐらいの希望者を対象に、水俣病検診をおこなっています。それで もこの会場に来て驚きました。不知火海沿岸でも水俣病の検診は初めてだという人がまだこんなにいるのかと。問診で聞いた症状は全部、大阪で受診した水俣病 の人たちと同じでした」

「被害者はまだまだいる」

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廊下も問診会場になった水俣協立病院

 水俣協立病院には最も多くの受診者が訪れ、廊下にもいすを並べ、問診会場にして対応しました。
 診察では、医師が感覚障害、ふらつき、視野狭窄などがないか診ていきます。
 一八歳まで水俣に住んでいたという五二歳女性。高岡医師がティッシュペーパーで肌に触れる感覚(触覚)を診察すると女性は、「腕も顔面も何も感じることができなかった。水俣病なんて自分には関係ないと思ってたのに」と驚きました。
 ノーモア・ミナマタ国賠訴訟原告団の大石利生団長は、こう語ります。
 「一〇〇〇人の予定で始めたこの検診には一五〇〇人以上の予約が殺到し、受診できなかった人、来なかった人もいました。表に出てこない被害者が、まだま だいるということです。被害がどれほど広がっているのか。正直、今回の検診結果が出るのが怖い気がします。でも、私たちは結果をもとに『まともな対応をし なさい』と行政に訴える力にしていきたいと思っています」

公式確認から53年たったいまも

国は被害に向き合え

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まっすぐ歩こうとする患者を、いつでもささえられるように寄り添いながら診察する医師。平衡感覚の悪化も、水俣病の典型的な症状だ(龍ヶ岳体育館)

 受診者のうち三五七人が水俣病の認定申請、六〇三人が医療費が補助される保健手帳交付を希望しました。
 国は、チッソが工場排水を止めた一九六九年以降に生まれた人や不知火海沿岸に引越してきた人たちを救済対象にしていません。しかしこれらの人たちも五九人が受診、五一人に水俣病の症状が認められたといいます。
 今回の検診は全国の民医連の支援、さらに熊本大学医学部神経精神科同門会の有志、地元の医師会の有志や保険医協会の医師らの応援で実現しました。検診が 終わった後の記者会見で原田教授、高岡医師、藤野糺医師(水俣協立病院名誉院長)は、口をそろえて次のように語りました。

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診察中の高岡滋医師(右)。女性(52)は、ティッシュで触覚を調べる診察も受けたが「何も感じなかった」と(水俣協立病院で)

 「これだけの大検診を混乱なく実施した裏方の人たちに感謝します。しかし、なぜこのような検診を民間の私たちがやらなければいけないのか。本来なら行政がやるべきです」
国が「非汚染地域」とする地域でも、一九六九年以降生まれでも、水俣病の症状はある。公式確認から五三年が過ぎたいまでも人知れず症状に苦しむ人たちがい る。今回の大検診で、このような事実が明らかになりました。検診結果を受けて、国は被害者の苦しみにどのようにこたえるのでしょうか。
文・矢吹紀人/写真・五味明憲

環境省が初の視察

 九月二〇日午後、大検診の実行委員長で熊本学園大学教授の原田正純医師が、環境省の椎葉茂樹特殊疾病対策室長をともなって龍ヶ岳体育館を訪れました。
 七月の「水俣病特措法」成立直後、環境省の環境保健部長が「(協立クリニックの高岡滋医師らが作成した水俣病の)共通診断書は信用できない。痛覚検査の ハリの痛みを我慢すれば詐病は見抜けない」と放言。「診てもいないのに、ニセ患者呼ばわりするのか」と被害者などが強く抗議したため、初めて環境省が集団 検診に担当者を派遣したのです。
 受診者を診る原田医師の横に座り、診察のようすを見守る椎葉室長。手足の震えが止まらず、まっすぐ歩くことのできない受診者の姿に、何を感じたのか。
 結局、椎葉室長は二日間を通じて何も語りませんでしたが、原田医師はマスコミ関係者にこう話しました。
 「患者は正直、症状も正直。顔を見ながら診察すれば、嘘かどうかはわかるんです。椎葉さんは何もいわなかったけど、彼も医者の資格があるんだから、本当のことが何なのかわかったはずですよ」

 いつでも元気 2009.12 No.218

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