いつでも元気

2009年12月1日

「民医連綱領」ここに力の秘密あり5 今回のキーワード■民主的な運営を貫き、事業所を守り… 倒産から再建へ新たな誓い 山梨勤医協

 民医連の事業所は現在一七五四カ所、八万人近い職員が全国で医療・介護をおこなっています。地域や規模は違っても、同じ「心」で つながって…それを表すのが「民医連綱領」です。一九六一年に決定されてから半世紀近く経て、さらなるバージョンアップを計画中。読者の皆さんに知らせた い民医連の姿を綱領のキーワードから追う連載。五回目は「民主的な運営を貫き、事業所を守り…」を。

 一九八三年四月五日、山梨勤労者医療協会(勤医協)は、負債総額二三〇億円をかかえて突然倒産。「医療機関で史上最大の倒産」と報じられ、社会に大きな衝撃を与えました。その後さまざまな苦難を乗り越え、再建を果たした山梨勤医協。あれから二六年、山梨を訪ねました。

経営についての考え方に誤りが

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右翼の妨害もあったが屈しなかった。若い大畑院長の姿も(左から2番目)

 「『倒産』することを知っていたのは、ほんのひと握りの経営幹部だけ。ほとんどの職員は知らなかったのでは」。倒産当時、四年目の医師だった大畑和義院長(甲府共立病院)はこう切り出しました。
 負債総額二三〇億円のうち、一一七億円が七七〇〇人の互助会員(のちに友の会に改称)からの協力債。当時の専務理事は独断で「医療はもうからない」と、 本業を逸脱。不動産会社など二〇数社に約一二一億円の投融資をおこない、回収不能となったことが倒産の直接の原因でした。組織の脆弱さも明るみに出まし た。
 「職員一人ひとりが経営に関わる意識が希薄でした。医師は医療、経営は経営幹部に任せればいいんだという持ち場主義があった。こうした組織の弱さもとりかえしのつかない事態を生んだのでしょう」と大畑院長。
 「たとえば医療器機を買うときも、声が大きく影響力が強い医師の意見がよく通っていた。どういう医療をおこなうのか、計画性をもって設備をととのえていく意識が医師集団にも欠けていました」

和議による「再建」を選択

 倒産が明るみに出ると「お金を返してほしい」と債権者の互助会員が甲府共立病院に殺到。泣き崩れる債権者を前に、職員は「医療が続けられれば必ずお返しできます」と説明し、再建を誓いました。
 県は山梨勤医協の倒産に際し、検討委員会をつくりましたが、再建は無理だと「破産」をすすめます。しかし山梨勤医協は「和議」による再建を選択。「債権 者の権利、民医連の医療、職員の生活」を守るとスローガンに掲げ、すぐにお詫びと説明の「債権者訪問」を開始しました。
 当時、債権者の一人だった山梨健康友の会・望月優事務局長はこういいました。
 「債権者のなかには、信頼を裏切られたと感じた人もいました。しかし地域の人と一緒に進めてきた、患者さん目線のあたたかい医療が勤医協にあったのも事 実。債権者宅に何度も足を運び、ていねいに経過を話し、今後の事業計画を説明する職員の姿を目の当たりにした。再建にかける熱意が次第に不信感を克服して いったんです。『この病院を潰しちゃいけん!』という声も大きくなった。職員も粘り強くがんばったと思います」
 こうして翌年五月、一五年で返済することを条件に、債権者の九九・九%の同意で和議が成立します。

再建に向けて大きな一歩に

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再建をはたし2002年、新病院も完成

 和議成立後、山梨勤医協は倒産に至った総括をし、再建にむけた長期計画もつくります。債務返済途上の九三年七月には、地域の要求で新しく竜王共立診療所 (甲斐市)を設立。開設に携わった望月さんは、「倒産後はじめて開設する診療所でしたから、大きなハンディだった。『借金も返済できていないのに、大丈夫 なのか』と心配する声もあった。でも、地域に出て私たちのめざす医療を知ってもらい仲間を増やすことが再建に向けた大きな一歩になると思い、必死に動い た」と。
 大畑院長も「倒産後一〇年で新しい診療所をつくることができ、職員にとっても大きな自信になった。勤医協がようやく地域に受け入れられ、必ず再建できるという確信につながった」と。

全国の支えも力に

 山梨勤医協は九七年四月三〇日、予定より一年繰り上げて債務を完済します。
 再建の大きな力になったのは、債権者、患者さん、共同組織など地域の人びとの協力のほか、全国の民医連の支えも。
 「カンパなどの財政的な支援はもちろん、看護師など全国から一〇〇〇人をこえる民医連の仲間が医療支援にきてくれたことも心強かった。暮れのボーナスも 出ないなか、北海道から職員一人一人に鮭が一匹ずつ届いたことも。全国の仲間の励ましに、私も『やっぱりこの地域から民医連の灯をなくしてはならない』と いう思いを強くしましたよ」と、大畑院長は目を潤ませます。

経営をみつめる視点を、誰もが

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左から望月さん、斉藤さん、大畑院長

 倒産の教訓は、直接体験していない世代にも引き継がれています。就職直後、甲府共立病院の経理に配属されたとき、上司から倒産の話を聞いた事務・三年目 の斉藤彩さんは、「いい医療をするだけでは医療機関は守れない。経営をしっかりみつめる視点を誰もがもたないと」と、いわれたことをいまも胸に刻んでいま す。
 斉藤さんは「倒産をのりこえた先輩たちがいるからこそいまがある。今度は私たちが発展させていかなければ。綱領を深くつかむために、先輩たちや友の会のみなさんに、もっとあのときの話を聞いてみたい」といいます。
 「経営面だけを立て直せばいいのではない。山梨を民医連として新たに再生させたいという思いが強かった。再建の過程で、私たちは全国の仲間から本当に多くのことを学びました」と大畑院長。
 望月さんも「綱領改定案に『共同組織とともに』という言葉が明記され、民医連の意気込みを感じる。私たちもパートナーとして運営に関わり、これからも山梨勤医協を守りつづけたい」と話しました。
文・井ノ口創記者/写真・酒井猛

いつでも元気 2009.12 No.218

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