民医連新聞

2004年7月5日

全国の検体を扱う 臨床検査センター

 今回は、東京民医連に加盟する臨床検査センター「病体生理研究所」(以下、研究所)へ。「医学・科学の視点で国民の健康と社会をよくする運動に携わる」 という、故・秋元壽恵夫医師の理念のもと、神奈川県の自宅の一角で、1949年に「秋元研究所」として検査業をスタートさせたのがはじまり。当時、5人で スタートした職員は、現在150人に。そこには、精度を高めて良い医療に貢献しようと奮闘している姿がありました。(鐙(あぶみ) 史朗記者)

 出迎えてくれたのは、折笠勉事務長。玄関を入ると、書類を確認しつつ営業に出るスーツ姿の職員とすれ違い、白衣を着た検査技師が行き来しているのが見えました。

 研究所の主な仕事は、毎日二〇台の車で東京や近県民医連の各事業所から検体を集めてまわり、それを検査し、報告書に打ち出して届けるというものです。

 「第二次臨調行革」が出され、医療福祉の切り捨てがすすむ一九八二年、東京民医連が共同事業として、検査業務を研究所に集中させました。現在、同県連の全事業所の検体を扱っています。

 また、沖縄民医連をはじめ、民医連の一五県連と検体検査を受託・連携しています。各事業所からは、宅急便で検体が送られてきて、結果は、オンラインやフロッピーで返しています。民医連外の医療機関も含め、病院、診療所など約四〇〇の事業所と取引があります。

 公益事業としては、一九八八年から検査技師、看護師など技術系職員を対象にした「医療技術研修会」をはじめ、「母子保健シンポジウム」「環境公害セミナー」なども開催しています。

精度に自信あり

 研究所内をまわってみると…。免疫血清学、生化学、病理組織、細菌に検査室が分課されていました。分注を行う部屋では、ロボットが導入され、レーンの上を採血管が移動しています。別の部屋では、顕微鏡をのぞき、真剣な表情でデータを採取している検査技師の姿も。

 「工場のようでしょう?」と折笠さん。「検査技師は、全部で七〇余人。かつて一一〇人いたこともありました。検 査で受け取ることができる料金は、保険点数の数十%。診療報酬が削られると料金も下げなければなりません。人間がやっていた分注を機械化・省力化し、何と か経営を維持しています。共同組織がないので、資金協力がありません。一定の設備投資資金を利益から毎年確保しなければならず、赤字になると貸し渋りにあ うため、赤字は絶対に出せない」という苦労も。

 一方、研究所では、昨年からIT事業推進室を立ち上げ、システム、メーカーと協力して電子カルテの導入支援、コンサルタント業務をすすめています。また、別会社をつくり、福祉用具貸与事業を行うなど、様ざまな事業にとりくんでいます。

 さらに、検査精度を高めていこうと、ISO9001を三月に取得。検査の規格であるISO15189や15190の取得もめざしています。

 「日本医師会の精度管理調査の得点も高得点なんです」と、折笠さん。精度に絶対的な自信をのぞかせます。「これらを生かし、医療の安全性に貢献しつつ医療機関との信頼関係もはかりながら、経営的に貢献していけるようにしたい」。

「唯一の20代」の夢は

 三〇~四〇代の職員が多い研究所の中で唯一、二〇代の職員がいました。システム開発室の関谷義久さん。二年目のシステムエンジニアです。インターネットで仕事を探していて研究所の募集をみつけました。「上司に恵まれ、幸せです」といいます。

 東京民医連の研修会や国会研修、原水禁世界大会へ行く中で、「みんな医療や平和について真剣に考えていて、自分と同じ考えの人がたくさんいることに感動しました。医療の知識も身につけて、電子カルテをつくる仕事に携わりたい」と、将来の目標を語りました。

(民医連新聞 第1335号 2004年7月5日)

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