いつでも元気

2010年5月1日

元気スペシャル ――やったぜ!ドクさん―― 僕はとうとうお父さんになった

フォトジャーナリスト・中村梧郎

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ドクと娘

 元気な双子だった。男の子の体重は一六〇〇グラム、女の子は一一五〇グラム。ホーチミン市・ ツーズー病院の保育器の中で二人は手足を動かしていた。無菌の保育室には親でも入れない。ドクは廊下の窓越しに携帯で撮り続けた。別室にいる妻のトゥエン に一刻も早くメールで見せたいのだという。
 「ほら見て、元気でしょう。何の異常もないとお医者さんがいったし、早く抱っこしたいよ」。ドクは写った赤ちゃんを私に見せながらニコリと笑った。
 以前、ドクはこう話したことがあった。「僕はたぶん長くは生きられない。だから本当に子どもがほしいのです。どんな子が生まれるかはもちろん気になりま す。でもたとえ障害があっても、僕と同じように育てばいいのだから悩みはしません」

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生後10カ月のベトとドク
 

 トゥエンは今回、予定より早く産気づいていた。〇九年の一〇月二四日の夕方に入院。変化がない のでドクは翌朝五時に帰宅した。その直後、「もう生まれるう!」と妻が携帯で叫んだ。ドクは再びバイクを走らせた。体中から汗が噴きだした。骨盤の狭い トゥエンに双子の自然分娩は無理だった。医師らは即座に帝王切開を施した。ドクは、生まれる瞬間に立ち会うことができた。二五日の早朝六時五分、双子は誕 生した。無事に赤ちゃんを取り上げたとき、ドクは泣いた。赤ん坊たちも泣き声を上げた。小さい女の子の方が大声だった。
 それにしても体重が少ない。病院は、「まあ、普通は三七週前後ですが、今回は三二週めの分娩。やや低体重ですが、珍しくありません。ツーズー病院では年 に一万三〇〇〇件の出産があり、その四〇%は二五〇〇グラム以下です。三週間ほどで保育器からは出るでしょう。心配ありません」
 ドクは彼女の病室に毎日通って買い物などに走りまわる。出産から三日目、枯葉剤の被害を受けた障害児たちが平和村から見舞いにやって来た。弱者救済のボ ランティアとして活躍するドクは、平和村の子どもたちのヒーローである。ハンディを抱えながらも結婚し、子どもにも恵まれたことで、さらに尊敬される事態 となった。

枯葉作戦の地で誕生したドク

genki223_01_03 ドクがかつて特異な出生をしたことはベトナムでもよく知られている。
 一九八一年の二月、南ベトナム・コンツム省サタイの診療所で、お腹で癒合した双生児、ベトとドクの兄弟が誕生した。母親は驚きのあまり気を失い、父親はその日以来どこかへと失踪した。命の危険を察知した医師は、二人を町の病院に急送した。
 サタイはベトナム戦争中に激しく枯葉剤を散布されている。米軍は、ベトナムの解放勢力が米軍に抵抗できるのは密林を隠れ家にしているからだとして、熱帯 雨林を砂漠化する作戦をおこなった。六一年から一〇年間続いた枯葉作戦は多くの森林を枯死させた。密林で覆われていたサタイの山も全滅した。今も禿山のま まである。
 終戦とともにクァンガイの町からそこへ開拓に入ったのが両親であった。枯葉剤の怖さなど誰も問題にしていない当時である。上水道はなく、山から流れでる川の(汚染)水が唯一の頼り。それを飲み、煮炊きをし、体を洗う毎日であった。
 枯葉剤に含まれていたダイオキシンは強い発がん性をもつと同時に、先天異常を引き起こす毒物である。ベトナムでは四八〇万人が枯葉剤を浴び、一二〇万人の障害者がいる。そのうち枯葉剤との関連が確認された障害児は一五万人に達している。
 ベト・ドクのような癒合体双生児の出生は戦前のベトナムには一例しか報告がない。しかし枯葉作戦後に激増、ツーズー病院によれば、今も年に十数例が確認 されている。ただしその多くは出生前診断でわかるため、出産しないという。生まれたとしてもほとんどが死産なのである。貴重な生存者のベトとドクは、七歳 のときに分離手術を受け、以来二〇年あまりを生きてきた。ベトは脳炎の後遺症で寝たきりの人生だったが、〇七年に他界した。
 「僕はベトの分までがんばるつもりです。これから、平和のため、障害のある人たちのために、やれることをやらなくてはと思っています」。出産直前に日本の障害者団体「きょうされん」の大会に出席したドクは、自分の使命をこんなふうに話した。

アメリカで枯葉剤シンポ

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カリフォルニア大の枯れ葉剤シンポとカリフォルニア写真美術館写真展(上)

 〇九年五月、私はベトとドクの写真を含む「枯葉剤写真展」をアメリカのカリフォルニア写真美術館でおこなった。その開幕にあわせてカリフォルニア大学リバーサイド校は「枯葉剤シンポジウム」を開催した。私は基調報告で次のように発言した。
 「枯葉作戦は明らかに戦争犯罪である。だが枯葉剤散布の軍用機がフロリダの米空軍基地に飾られている。脇の顕彰碑には『枯葉剤散布は崇高な作戦であっ た。それによって多くの若いアメリカ兵が命を落とさずに済んだからだ』と書いてある。これは歴代大統領が日本への原爆投下を正当化してきた論理と同じであ る。一方、オバマ大統領は核兵器廃絶の道義的責任がアメリカにはあると、画期的な演説をした。どのような残虐兵器を使おうとも正当化してきたかつての論理 とは今や決別する時がきたのではないか――」
 会場を埋めた右翼から左翼までのアメリカ市民の、反発が来るぞと私は腹を固めた。
 しかし事態は違った。言い終えた瞬間に会場の全員が立ち上がってのスタンディング・オベーションが起きたのである。私は勘違いに気がついた。オバマを大統領にしたアメリカ社会の底流にはすでに健全さが根付いているのかもしれない。
  だが、オバマはアフガンへの増派を決めた。第二のベトナムの泥沼に突き進もうとする路線が市民の失望をかい始めている。

 

命名・富士と桜

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ドクは娘、妻は息子を抱く。左上に「富士と桜」の命名額

 「おじさん、僕がここまできたのは日本の人たちの応援のおかげ。だから、赤ん坊は日本にちなむ 名前にしたいと思うんだけど」出産前にドクがこう言った。それは面白い、と私は答えた。ドクは何日か考え、「富士と桜は?」と言ってきた。富士は男の子で 発音はフーシー。桜の花はアインダオ。妹がサクラなら兄はトラかな? と一瞬思ったりしたがドクの意見を尊重した。
 一二月、私は命名額を持って再訪した。妻が毛筆で書いた漢字とベトナム語の名が入っている。ドクは喜んだ。なんといっても富士と桜は日本の平和の象徴なのだ。
 ドクとトゥエンの赤ちゃん。
 世代をついで平和のシンボルへと成長してゆくに違いない。

いつでも元気 2010.5 No.223

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