民医連新聞

2004年8月2日

青年職員が元気 共同組織とつくる ピースコンサート 宮城泉病院

 「核兵器も戦争もない世界をつくろう」と、毎年8月に広島・長崎で開かれる原水爆禁止世界大会。民医連職員も全国各地から多数参加します。 宮城・泉病院(仙台市)では、世界大会にむけて、友の会と共催の「ピース・コンサート」を開きました。去年から青年たちが、平和のとりくみとジャンボリー のとりくみとを結合させてすすめ、元気です。

 「スリッパが足りない! 今夜の参加者は九〇人、新記録だわ」と、受付担当者が目を丸くしました。

 ピースコンサートには、オカリナ、尺八、童謡を歌う会の友の会員でつくる三つのサークルと、地域のうたごえサークルが出演。音楽と熱気でいっぱいになった小さな公民館を「なにごとか?」 と近所の人が見に来るという一幕もありました。

 「『広島では、そっと歩いて下さい。この地面の下にたくさんの犠牲者が眠っていますから』との、被爆者の話が衝撃でした」。演奏の合間に平和への思いを語った友の会員さんは「たくさんの若い人たちといっしょに、こういう場をもてて、うれしい」と、話しました。

 コンサートの終わりに、今年広島大会に参加する友の会の二人と青年職員三人がステージの前に並び、各職場から応援メッセージを受けました。

 「広島は高校の修学旅行以来です。現地に行って何を感じるか…今回の経験が平和の大切さを周囲に伝えるきっかけになれば」と、そのうちの一人、研修医の今野美希医師が決意表明。ピースコンサートは大成功でした。

「めざせ!平和」

 会場には青年職員の姿が目立ちました。「去年あたりから変わってきたんですよ」と、副事務長の平尾伸二さん。

 泉病院では、これまでも友の会と職員を原水爆禁止世界大会に代表を送ってきましたが、大会が終われば平和のとりくみは休止状態でした。

 しかし、昨年四月のオリエンテーションで「沖縄に行きたい」と手をあげた青年職員たちが中心になり、ジャンボ リー実行委員会ができ、平和に関する企画や財政活動が活発に行れるようになりました(左記参照)。沖縄ジャンボリーへ送る二人の費用もすべて財政活動でつ くりました。院内ジャンボリー実行委員会もつくれなかった同院では画期的なことでした。

 「青年が元気だと、病院全体が活気づきます」と平尾さん。「仕事が忙しいと開かれないこともあった原水爆禁止世界大会代表派遣実行委員会も、積極的な青年職員に刺激され、忙しくても集まるように変わりました」。

 今年、「年間を通じて平和な世界をめざす幅広い活動をしよう」と、「原水爆禁止世界大会代表派遣実行委員会」は「『めざせ!平和』の会」へと名前を変えました。(木下直子記者)

こんなことも

7月…ピース・コンサート
8月…ビアパーティー
9月…平和イベント メッセージ フロム オキナワ・「ひめゆりの塔」上映
11月…ドラマ「さとうきび畑の歌」上映
3月…広島の「原爆の子の像」のモデル・佐々木禎子さんの甥がボーカルをするバンド、ゴッド・ブレスを招いた「平和ライブ」など
★3年目の青年職員の発案で『めざせ、平和』という機関紙が発刊
★財政活動のためにカレーをつくって販売「ピース・カレー」

仲間との交流が楽しい

  「最初は単純に沖縄に行きたかっただけ」と、理学療法士の片桐千賀さん。全国ジャンボリーで、戦争の実態を突きつけられました。「真っ暗なガマに入り、肉 親同士殺し合わなければいけなかったことや、死んだ人の骨がまだ残っていることを聞き、そんなの耐えられない、と思いました。まだまだ勉強中ですけど、戦 争は反対です」。

 去年は三人で夜の一〇時、一一時、夜中までかかってつくっていた「ピース・カレー」も、今年は新入職員が増えて、またたく間にできあがり。多職種の仲間との交流が楽しい。

(民医連新聞 第1337号 2004年8月2日)

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