いつでも元気

2010年7月1日

元気スペシャル 現地レポート 「民意」は示された 移設もNO! 基地撤去が沖縄の声

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県民大会の写真はすべて酒井猛撮影

 米軍・普天間基地「移設問題」で、国内が騒然としています。とりわけ地元・沖縄県では、何度も基地撤去を求める抗議行動が繰り返され、政府の対応に激しい怒りが沸き起こっています。
 「県外移設」を公約した鳩山前首相は、迷走の上、5月末「日米共同声明」を発表。ふたたび自公政権時代の名護市辺野古沖移設案に戻りました。あまりにも ひどい結論。「基地の街」で暮らす沖縄県民の声を聞いてきました。(井ノ口創記者)

県民大会に9万人

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 強い日射しが照りつけるなか、続々と押し寄せる人の波…会場はあっという間に、反対の意思を示す「黄色」を身につけた人たちで埋め尽くされました。
 四月二五日、沖縄県読谷村で開かれた「米軍普天間基地の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」。
 “沖縄県民の負担を軽減する”として普天間基地返還を決めた「日米特別行動委員会(SACO)」合意から一三年余が経過しても、いまなお普天間基地は市街地の中心部に居座り続けたままです。
 県民大会には九万人(主催者発表)が参加し、普天間基地の撤去と県内移設「NO!」の意思を政府に突きつけました。
県知事をはじめ、県内四一市町村すべての代表も参加。初めて超党派で政府に県内移設反対を訴えるという歴史的な大会となりました。日米両政府に県内移設の 断念を迫り、国外・県外への移設を求める大会決議を採択しました。
会場には、子ども連れや家族連れ、中高校生の姿も目立ちました(写真)。周辺の道路は大渋滞。大会終了間際になっても、混雑のためたどり着けない参加者で、会場の外までごった返していました。

「肝心ひとつに」と名護市長

 普天間基地の移設先とされている名護市の稲嶺進市長は、壇上からこう訴えました。「いまこそわれわれは、声を大にして県内移設に反対し、国外・県外移設 を求める県民の肝心(ちむぐくる)を一つにして、日米両政府に強く意思を示すべきときです」
 勝連漁協組合長の赤嶺博之さんも登壇し、「県内移設はないと明言しながら、辺野古がダメなら勝連沖にと。許し難い事態」と怒りをあらわに。「勝連沖は魚 介類の水揚げも多く、県内一のモズクの生産の場でもある豊かな海です。そこを埋め立てて人工島をつくれば自然は破壊され、漁業者の職が奪われる。沖縄には 陸上であれ海上であれ、基地はいらない!」
 隣近所で誘いあい、五台のバスを連ねて参加したという沖縄市の一色武吉さん(78)は沖縄戦の体験者。一三歳のとき艦砲射撃で被弾したという背中や顔の 傷をみせながら「私が身をもって経験した痛みを繰り返してほしくない。とにかく戦争はもう嫌なんですよ。子や孫の世代には絶対同じ思いをさせたくない」
 会場には全日本民医連の提起にこたえて、県外から参加した民医連職員の姿も。「いま沖縄でおきていることを子どもにも見せておきたかった」と話す船橋二 和病院(千葉)の看護師・松村陽子さんは、息子の温人くんと親子で参加。
 「家族連れが多いですね。子どもを危険にさらしたくない。安心して暮らしたいから基地はいらないんだという、沖縄の人の強い思いを肌で感じました。基地 は国内移設ではなく、アメリカに返還してほしい」と話してくれました。

基地に隣接する普天間高校で

 この県民大会で、沖縄の実態を告発した高校生たちがいました。県立普天間高校の岡本かなさんと志喜屋成海さんの訴えは、参加者の胸を打ちました。
 「(騒音防止のために教室には)厚さ六センチの窓。その窓いっぱいに見える飛行機の胴体。これが普天間高校の日常の光景です。グラウンドに出れば騒音と ともにやってくる低く黒い影。授業中でもテスト中でも容赦なく中断させる音。通学路はどこまでも長い基地のフェンスが続きます。フェンスで囲まれているの は基地なの、それとも私たちなの?」
 二人にここまでいわせる実態とは? 普天間高校を訪ねました。
 行ってみて驚きました。基地から高校まではわずか数百メートル。広大な滑走路や、広々とした敷地に豪華な住居等が点在する米軍基地とは対照的に、ギューッと押し込められたような狭い場所に校舎が建っていました。
 「騒音はもちろんですが、学校生活への影響はこれだけではない」と、教諭の池城寛子さん(58)。「部活動は本校のグラウンドを各部が交替で使っていま す。練習場所が狭いため、基地の向こう側にある競技場などにわざわざ遠まわりして出かけなければならないのが現状です」
 「米軍基地があれば地元が潤う」という議論にも池城さんは異を唱えます。「基地がある沖縄には補助金が出ているからきっと裕福だろう、と誤解している人 がときどきいますが、とんでもない。実態を見てください。米軍の施設はどんどん新設され、きれいになるのに、私たちは環境も悪く、狭いところに住まわさ れ、窮屈な暮らしをしている」
 また、生徒たちが「普天間問題について思うこと」を記入した感想文には、こんなことが書かれていました。
 「ヘリや戦闘機の騒音でたびたび授業が途切れてしまい、迷惑」「いまの危険な状況を後世に残すのは不安」「基地を海上につくることは環境破壊になるので 嫌だ」―生徒たちはいま直面している課題をしっかり受けとめていました。彼らの感性は実に素直で、敏感です。
 「沖縄県民は鳩山政権になって変わるという大きな期待をもった。でも、いま出されている移設の話はおかしい」と首をかしげる池城さん。「たとえ辺野古に 移しても沖縄の基地は減らない。徳之島に行っても日本の基地は減らない。それは生徒たちもわかっていると思います」と。

住民の土地を強奪し基地はできた

 沖縄で噴き出している深い怒りの根源には、戦後六五年にわたる米軍の異常な基地支配、忍耐の限界を超えた歴史があるのです。現在、在日米軍の七五%が沖縄に集中し、面積にして沖縄本島の一八%も米軍基地が占拠しています。
 そもそも沖縄の米軍基地は、第二次世界大戦末期の一九四五年に米軍が沖縄に上陸し、凄惨な地上戦を経て占領した際に、住民を収容所に囲い、民有地までも 強奪して建設されたものです。普天間基地がつくられた場所には、かつて民家や農地、役所や墓地、サトウキビ工場などもあったといいます。
 さらに一九五一年以降、米軍は土地のとりあげに抵抗する住民たちに銃剣を突きつけ、強制的に排除。民家と農地をブルドーザーで押しつぶし、基地を拡張し ていきました。これは占領下における略奪や私有財産の没収を禁じた国際法「ハーグ陸戦法規」にも違反しています。
 その後も、米兵犯罪・事故が相次ぎ、沖縄県民は耐えがたい苦しみを背負わされてきました。
■一九五五年、六歳の少女への強姦殺人、死体遺棄(由美子ちゃん事件)
■一九五九年、小学校に米軍ジェット機が墜落、炎上。児童一一人を含む一七人が死亡(宮森小学校米軍機墜落事故)
■一九六五年、米軍機から落下傘で降下されたトレーラーに、少女が自宅の庭で押しつぶされ死亡
■一九九五年、小学校六年生の少女への暴行事件
■二〇〇四年、普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落。あわや大惨事という事故が起き、学生や周辺住民にPTSD(心的外傷後ストレス障害)をもたらした
 これらの被害は明るみになっているほんの一部です。沖縄県民ならば誰もが知る、忘れることができない、心に刻み込まれた痛ましい事件・事故ばかり。長年 の基地の重圧、悲劇の累積が、九万人を集めた県民大会になったのです。

寝ていても危険感じる

 鳩山前首相は、「米軍は日本を諸外国の脅威から守る『抑止力』として必要だ」と繰り返しました。
 「抑止力という曖昧なもののために、現実におきている基地被害を、いったいいつまで我慢しなければならないのか」と、沖縄医療生協理事の田場典正さん (72)は憤ります。「抑止力というのなら『米兵の犯罪を抑止してほしい』といいたい。こんなに苦しい被害を生む基地は、日本のどこにもいらない。辺野古 であれ、徳之島であれ『我慢して負担してください』とはとてもいえない」
 普天間基地から七〇〇神ほど離れた宜野湾市野嵩地区に住む元宜野湾市議の知念忠二さん(75)は、「昼夜関係なく繰り返される爆音によって、心身ともに 苦しめられている」と話します。三〇年ほど前から原因不明の耳鳴りと難聴に悩まされるようになりました。
 「ヘリが飛んでくると、障子がガタガタと音をたてるのが日常。墜落の恐怖、危険を寝ていても感じる」と知念さん。
 またタクシー強盗や物資の略奪など米軍犯罪は年々凶悪化しているといいます。
田場さんも「親が米軍に所属している子どもたちでしょうか、私の家の敷地によく無断で入り込み、庭を平気で横切る」と。「ここへの占領意識を色濃くもった 米兵の感覚があるんでしょうね。それを子どもたちも真似しているんです」

基地ある限り、経済の発展はない

 「移設受け入れの見返りとしての地域振興策を政府がちらつかせても、もう通用しないでしょう。長きにわたりおこなわれてきた『アメとムチ』の愚策を、沖縄県民はしっかり学び、見抜いている」と知念さん。
 さらに「沖縄経済の弱点は、優良地を米軍基地が独占し、経済発展の芽を摘んでいることにある」と指摘します。米軍基地の従業員数は一九七二年の約二万人から約九〇〇〇人(〇九年)へと半減。
 知念さんは「基地が返還されれば、商業地や住宅地の跡地再開発が進み、飲食店やホテルなどができれば大きな雇用も生まれます。いまより何十倍、何百倍と いう経済波及効果がある。これは返還後、賑わいをみせている北谷町美浜・ハンビー地区や那覇新都心の街がハッキリ証明している」と期待を膨らませます。

「沖縄のこと、もっと知って」

 辺野古の海を守るたたかいを続けてきた沖縄医療生協理事の伊波宏保さん(72)は、こう語ってくれました。
 「県民大会に九万人も集まったことに感激と感謝の気持ちでいっぱいです。同じ思いの人がこんなにいて、基地問題の関心の高さ、県民の力の大きさを強く感 じた。私たちは事件や事故など、米軍基地を抱える沖縄の苦しみを長年肌身で感じてきた。私の生き様はまさに基地撤去のたたかいとともにある。移設ではダメ です。普天間基地の『無条件撤去・閉鎖』を訴えたい。全国の人には沖縄の声を、実態をもっと知ってもらいたい」
 鳩山政権が出した結論には怒りが込みあげます。自らが再三批判してきた自公政権の現行計画への「事実上の回帰」だけでなく、徳之島や日本各地への訓練地 域の拡大まで約束するとは。沖縄県民の願いを踏みにじった責任と、民主主義や人権を軽んじた罪は重い。いまこそ「民意」に立脚した、対等な日米関係を模索 すべきときにきているのではないでしょうか。

長寿と子宝の島に基地はいらん!

徳之島・移設反対集会に、島民の半数超える1万5000人

 

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 「米軍普天間基地の移設候補地に徳之島」。1月27日、降って湧いたような話に、 島民の誰もが「まさか!」と半信半疑。しかし、この移設話は、日を追うごとに現実味を増していきました。そして住民による「基地移設反対」の草の根の運動 は、立場の違いをこえて拡がっていきました。
これらのとりくみは、地元紙では大きく報じられるものの、全国紙にはなかなかとりあげられません。「徳之島移設案『NO』の意思を全国に示そう」と、 「4・18郡民1万人集会」を開きました。徳之島の人口約2万6000人に対し、島民の半数を超える1万5000人(主催者発表)が集まる模様は大々的に 全国に発信されました。会場の漁港には団体旗や手づくりのプラカードなどを掲げた人の波が押し寄せました。
地域住民ら代表16人が決意表明。学生代表として登壇した中熊優妃さん(高2)は、「自然いっぱいの徳之島が好き。この島に住んでいる人たちが好き。基地 は決してつくらせてはなりません。鳩山首相、オバマ大統領、私たち徳之島の未来を壊さないで」と訴え、皆の心を揺さぶりました。
徳之島にある三つの町(徳之島町、天城町、伊仙町)は貧しいかもしれません。そのためごく少数、基地を受け入れる見返りの「振興策」を期待する推進派住民 がいるのも確かです。マスコミでは、それら少数派の動きに時間を割いて報道するむきもありますが、徳之島の「民意」はしっかり示されています。
4月25日の「沖縄県民大会」にも徳之島診療所から伊藤加代子さん(看護師)が参加しました。「私たちは沖縄の苦しみを知らなすぎました。この機会に米軍 基地の移設先や必要性について国民全体で考えていくべき」。
小さなこの島から、米軍基地の必要性そのものを問う風を全国に発信していきたいと思います。

徳之島診療所・事務長 磯川武一

 

 「普天間基地の無条件返還を求め「人間の鎖」(5・16)

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 豪雨のなか、普天間基地をとり囲んだ群衆は1万7000人(主催者発表)。日米両政府に思いを届けようと、つないだ手を高く突きあげた。
 基地に隣接する普天間第二小学校に通う娘と一緒に参加した上江洲さん。身内が基地関係で働いていることもあり、これまでこうした行動に参加するのをため らっていたといいます。「基地被害から子どもたちを守りたいという一心で、今回は参加しました。子どもは普段、戦闘機やヘリの音がしただけでも怯えてしま います。とにかく安心・安全がほしい」と訴えた。

いつでも元気 2010.7 No.225

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