いつでも元気

2010年11月1日

沖縄のことは沖縄で決める 日本から米軍基地なくす第一歩を 沖縄県知事選に伊波洋一さん

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宜野湾市の中心を占有する米軍普天間基地。住宅・公共施設の密集地にあり、「世界一危険な飛行場」と呼ばれる
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名護市辺野古の飲食店街

 普天間基地「移設」予定地の名護市辺野古。米軍キャンプシュワブに隣接する飲食店街にさしかかると、タクシー運転手の男性がいいました。
 「ベトナム戦争のときはそこら中に飲食店があって、朝一一時から任期を終えた米兵であふれかえっていましたよ」
 しかし当時の「盛況」は見る影もなく、汚れた壁の建物が目立ちます。男性の収入も不況で減少、住宅ローンの支払いに行き詰まり二〇年間も出稼ぎ生活。東 京・神奈川などでもタクシー運転手として働き、戻ってきたのは二〇〇八年でした。
 国は普天間基地「移設」容認の見返りに、名護市と周辺自治体に一〇年間で一〇〇〇億円を投入。しかし町なみは地域経済が改善していないことを物語ってい ます。残ったのは基地「移設」の日米合意だけ。男性はコンクリートでつくった自宅を皮肉混じりにこう呼びました。
 「鉄筋コンクリートならぬ、借金コンクリートですよ!」

普天間基地「移設」問題

1995年の少女暴行事件で高まった沖縄県 民の怒りを抑えるため、日米両政府が「痛み軽減」の名目で普天間基地「移設」を合意。名護市辺野古の米軍キャンプシュワブ沖に海上ヘリ基地をつくる予定 だったが、名護市民のたたかいを前に沖合案を断念。現在、キャンプシュワブ沿岸を埋め立て、滑走路をつくろうとしている。

 

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伊波洋一さん
1952年宜野湾市生まれ。普天間高校、琉球大学卒。1974年宜野湾市役所就職。1992年沖縄県中部地区労事務局長。1996年沖縄県議、2003年から宜野湾市長。
伊集唯行さん
沖縄医療生活協同組合理事長・医師


沖縄の基地は「不正義」

 日本の国土面積〇・六%に、全国の七四%の在日米軍基地が存在する沖縄。米軍基地は沖縄にとっ て切り離せない存在なのか。一一月二八日投票の沖縄県知事選挙に「普天間基地の無条件撤去」などを掲げて出馬する宜野湾市・伊波洋一市長を、沖縄医療生協 理事長の伊集唯行さんと訪ねました。二人は普天間高校時代の同級生。伊集さんは〇三年に伊波・宜野湾市長が誕生したときから「ぜひ県知事にと思い続けてき た」と語ります。
 伊波さんは大学卒業後、宜野湾市役所に就職。九二年に沖縄県中部地区労事務局長となり、米軍の事件・事故があればかけつけて抗議。地元紙にも投稿を続 け、基地撤去の論陣を張りました。九三年には沖縄の米軍基地問題を訴える「アメリカツアー」を企画し、一八日間、一四人を率いて五三回の集会を開きまし た。
 「僕が洋一に注目したのも、その行動力にある。何でやらなくちゃいけないと思ったの?」と伊集さん。すると「沖縄の基地は不正義だから。その気持ちは揺らがない」との言葉が返ってきました。

国際法違反の米軍基地

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2004年8月、沖縄国際大学に全長25メートルの米軍大型ヘリが墜落した。写真は事故現場跡(05年、多田撮影)

 沖縄の米軍基地は、戦争中に住民の土地を取り上げて占領したもので、国際法違反です。「当然返されるべき基地が返されなかった。国際法違反が日本の立法措置で存続させられている」と伊波さん。
 さらに伊波さんは「普天間基地は飛行場ではない」と指摘します。住宅密集地にあるため、日米いずれの航空法にも違反しているからです。ことし七月、福岡 高裁が「世界一危険な飛行場」と認定したゆえんです。法律違反のため、民間機は着陸できません。米航空法では離発着時の安全確保のため、土地利用が禁止さ れた区域()を設定していますが、そこに公共施設・保育所・病院が合計一八カ所、住民三六〇〇人が居住しています。
 この危険な「飛行場」が許されている理由は日米地位協定にあります。米軍機には日本の航空法を適用しないと日米間で取り決めているのです。

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基地なくしてこそ経済発展

 「米軍基地がなければ沖縄経済が落ち込む」という議論にも、「実際は違う。基地をなくすことが、沖縄の真の発展、自立に強く結びつく」と伊波さん。
 宜野湾市は二〇〇四年から、県と合同で普天間基地返還後の跡地利用計画を策定中。その試算で、普天間基地(四八一ヘクタール)を公園・商業用地・住宅・ 公共施設などに転換すれば年間約四五〇〇億円の経済効果が生まれることがわかっています。
 「三万二〇〇〇人超の雇用に結びつく。普天間基地の民間就労者は約二〇〇人ですから、一六〇倍の雇用効果があります。国・県・市あわせて年間五二〇億円 の税収が新たに入る。それぐらい有望な土地です」と伊波さん。投資したお金が回収されてプラスに転じるのは二〇年~二五年後ですが、「沖縄の観光資源はア ジア諸国にとっても魅力。沖縄は東アジアの中心に近い位置にある。普天間基地返還は沖縄振興の大きなエンジンになる」と自信を見せます。
 「選挙の争点は明らか。今度の知事選は、基地のない沖縄をめざすのか、このままでよいのかを問う、県民投票的な選挙になる」と伊波さんは力を込めました。

民医連も伊波知事誕生へ全力

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台風間近の辺野古(9月4日)。フェンスの向こうがキャンプシュワブ。台風の度に全国から寄せられた「移設」反対のメッセージがあおられるため、フェンスが壊れたり、歪んだりしている。米軍は強化を検討中

 ことし四月二五日、沖縄県読谷村で開かれた普天間基地閉鎖・返還と県外・国外移設を求める県民 大会には九万人が参加し、仲井眞弘多県知事もあいさつしました。しかし九月の名護市議選で辺野古「移設」容認の候補を応援。「移設」容認派は議席を減らし ました。仲井眞氏も再度の知事選出馬を表明していますが、伊波さんとどちらが県民の願いを託せる候補か、差は歴然としています。
 伊波さんはこう決意を述べました。
 「沖縄のことは沖縄で決める。アメリカや日本政府が物事を決める沖縄であってはならない。普天間基地県内『移設』をめぐって翻弄された自公政権の一二年 に終止符を打ち、沖縄の新しい発展と自立の一二年を。一二年後の沖縄返還五〇周年を目標にがんばりたい」
 伊集さんが「僕たちも全力で支援します」と応じると、二人は決意の握手をかわしました。全日本民医連は伊波知事誕生に向け、全国支援をおこなう方針です。
文・多田重正記者/写真・豆塚 猛


「県知事選はたたかいの集大成」

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「戦争の加害者になりたくない」と語る伊波宏保さん

 沖縄医療生協名護支部の組合員、伊波宏保さん(72)。普天間基地の辺野古「移設」に反対し続 けてきました。その根底にあるのは、沖縄戦で姉を亡くした体験。戦後も生まれ育った石川市(現・うるま市)で、六歳の少女が米兵に強姦され殺された由美子 ちゃん事件(一九五五年)、一七人が死亡した宮森小学校への米軍機墜落事故(一九五九年)などの惨事が。米軍基地被害を身にしみて感じてきました。「基地 あるがゆえの被害は、数え切れないくらいある」と伊波さん。
 だからこそ、「移設」を許せば「日本の税金で辺野古に基地をつくらせることになる。私たちも米軍の被害者から、米軍の戦争に加担する加害者になってしまう」と伊波さんは語ります。
 同時に伊波さんは「私たちは三度、政府に勝利してきた」と胸を張ります。一度目は、九七年の名護市民投票で、ヘリ基地反対が過半数となったこと。二度目 は、今日まで続く「ヘリ基地反対協議会」の座り込みで、海上「移設」案を日米両政府に断念させたことです。
 そしてことし一月、辺野古「移設」反対を掲げ、国の基地交付金に頼らない市政を掲げた稲嶺進市長が誕生しました。

名護市民は3度勝利した

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毎週木曜日早朝、キャンプシュワブのゲート前で開かれている抗議集会。寄せ書きは一五〇枚にも達した(写真提供=大西照雄氏)

 ところが普天間基地を「最低でも県外に」と掲げて誕生した民主党政権は、再び辺野古「移設」を決めました。
 同政権は辺野古にかわる「移設」先を探しましたが、徳之島などの自治体や、アメリカ政府にも断られたため、結局自公政権と同じ結論を選ぶしかありません でした。基地撤去を「移設」とセットにした日米合意にとらわれているがゆえの限界でした。
 辺野古「移設」が閣議決定された五月二八日以降、キャンプシュワブ正門前では、毎週木曜日、早朝抗議集会がおこなわれています。七時半~八時半の一時 間、基地「移設」に抗議するメッセージをフェンスに張っています。張るのはこの一時間だけで、終了後は撤去します。「張りっぱなしだと米軍に捨てられてし まうから」という智恵。「移設」断念まで、何度も繰り返す。「メッセージはどんどん増えて、張り出すと最初は五〇メートルぐらい続いていたのが、いまでは 一〇〇メートルほどになった」と伊波さん。ここでも非暴力・不屈のたたかいが、おこなわれています。
 伊波さんは「県知事選は、私たちのたたかいの集大成になる。私は、自分にできるだけのことをやりますよ」と穏やかな口調で、固い決意を語りました。

いつでも元気 2010.11 No.229

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