いつでも元気

2011年8月1日

特集1 「1日も早く健康調査を」 福島原発事故 目に見えぬ放射能汚染、不安な日々

 東日本大震災、福島第一原発事故から4 カ月。復興基本法は成立したものの、被災者の生活再建、原発事故被災者への補償などは柱として明確にされないなど、多くの問題を含んだものとなりました。
 全日本民医連は、国と東京電力の責任で原発事故被災者に対し補償をおこなうことを求めています。目に見えない、しかし健康に害をあたえる放射能から避難する福島県民の不安に寄り添い、私たちができることは――。

原発さえなければ…

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浪江町から届くメール

 町全域が立ち入り禁止の計画的避難区域に指定された、福島県双葉郡浪江町から避難している優子さん(仮名・二〇代女性)。一歳の子どもを持つお母さんです。
 現在は関東圏内のアパートで暮らしています。東電から一〇〇万円、国から五万円、義援金三五万円、浪江町から二万円を受け取りましたが、将来の見通しが 立たない避難先での生活。子どもを保育園に入園させ、早く仕事をみつけて働きたいと思ってはいるものの、「気持ちが落ちつかない」と言います。
 地震と津波が襲った三月一一日の翌朝六時ごろ、「原発事故が発生したので避難を」と呼びかけるアナウンスが町内に響きました。優子さんの友人・かおるさ ん(仮名)たち家族といっしょに車で避難。「一週間もすれば帰ってこられるだろう」そう思って、所持品は子どもの紙おむつとおしりふき一パックに、子ども と自分の着替え一式ずつ。あわてて家を出たのは、七時前のことでした。
 避難先に指定されていた同じ町内の津島公民館に到着するとすでに人があふれており、夕方に川俣町の公民館に移動。
 そして三月二九日、優子さんは子どもと二人で埼玉県の避難所・さいたまスーパーアリーナに移ってきました。その後に移った埼玉県内の避難所は五月半ばに閉鎖され、現在のアパートに。
 優子さんがいま一番心配なのは、放射能の影響です。はじめの避難先に指定された津島公民館周辺は、避難当時すでに高濃度の放射能に汚染されていたことが わかったからです。優子さんは「自分だけではなく、子どもも、内部被ばくの影響が心配です」と話します。

お金では不安はぬぐえない

 六月二〇日、文科省・原子力損害賠償紛争審査会は、「福島第一原発事故によって避難生活を余儀 なくされた方々の精神的苦痛に対して、発生から六カ月間の賠償額を一人あたり月額一〇万円」と決めました。しかしお金だけで被災者の健康や不安に対し、つ ぐないができるわけではありません。「私たちをバカにしている」と優子さんは怒ります。「お金で不安が消えるわけじゃない。私や子どもの体がどれだけ放射 能で汚染されているのかもわからない。どうして国はきちんと調べようとしないのか。不安で仕方がない」。
 優子さんは、いま福島市内で避難生活を送っている友人のかおるさんと、毎日何度も電話で連絡を取り合っています。かおるさんも五歳の子を持つお母さん。 どんなに話しあっても、放射能や内部被ばくに対する恐怖は消えません。それでも「少しでも情報を知りたい」という思いで連絡をとりあっています。
 かおるさんは、市の広報などで高い放射線量を知るたびに、健康被害への不安にかられます。なぜ県外に避難できる手だてをとってくれないのか。なぜ健康被 害をあいまいにしようとするのか。国や東電に対する不満はつのります。

民医連が原発問題でシンポジウム

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6月18日のシンポジウムで。シンポジストの3名(左から)深尾正之氏、聞間元氏、平野治和氏(写真・五味明憲)

 全日本民医連は六月一八日、「福島第一原発事故から何を学び、周辺住民および原発労働者のいのちと暮らしをいかに守るか」をテーマに、公開シンポジウムを開催。二七〇人を超える参加者がつめかけ、会場の外にまで人があふれました。
 全日本民医連・被ばく事故対策本部長の小西恭司医師は「被ばくによる地域の人びと、原発労働者の健康被害とまっすぐ向きあい、日本のエネルギー政策を変 えて原発のない日本をつくる、息の長いたたかいに向け認識を一致させるシンポジウムに」とあいさつ。三人のシンポジストが発言しました。
 深尾正之氏(元静岡大学教授)は、原子炉の研究者をしていた立場から発言。原発で使用したウラン燃料の処分方法は確立されていないという問題点を指摘。 また、石油・石炭・ウランなどの再生不能エネルギーに依存する政策から、風力、太陽光などの再生可能エネルギーの活用を広げるエネルギー政策への転換の必 要性を訴えました。
 聞間元氏(前・全日本民医連被ばく問題委員長、医師)は「周辺住民のいのちと暮らしをいかに守るか」という視点から発言。「一人ひとりがサーベイメー ター(放射線計測器)を持ち、放射線の汚染状態を知ろう」と提起しました。地域ごとに放射線量を計測し、汚染マップをつくることや、放射線から身を守るた めの知識を身につけることを呼びかけました。
 とくに成長過程にあり、もっとも被ばくの影響を受けやすい子どもたちの被ばく量を最少にしなければいけないと強調。現在、避難地域に指定されている自治 体以外にも、福島市や郡山市などで放射線濃度が高い地域があることにふれ、「子どもたちの放射能蓄積線量を抑えて(体外への)排泄を図るには、汚染地から 定期的に待避することも有効」と述べました。
 平野治和氏(福井・光陽生協病院、医師)は、世界最大の原発集中立地県である福井県で活動する民医連医師の立場から、「いかに原発労働者を守るか」を テーマに、実情が隠れやすい原発下請け労働者の被ばくの深刻な実態を告発。東電のずさんな安全管理・被ばく管理は一向に改善されず、政府の放射線管理基準 が泥縄式に改定されていることは非常に問題だと力をこめました。

「被災者支援と原発をなくす運動を」

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放射線量計測器ガイガーカウンター。目に見えない放射能への恐怖は、福島県内だけでなく全国に広がりつつある。東京都内でも個人で購入する家庭は急増。 写真のガイガーカウンターはロシア製のもの

 三人のシンポジストの発言のあとには、現地から松本純・福島県民医連会長、佐藤八郎・飯舘村議会議員、南相馬市の農業従事者・郡俊彦氏が特別発言。参加者からも多数の発言がありました。
 福島県民医連の職員は、「原発事故発生後の数カ月、妻と生後まもない子どもを県外に避難させた。生まれたばかりの子を抱くことさえできず、とてもつらい 毎日だった。現在は妻と子と一緒に福島で暮らしているが、本当にそれでよかったのだろうか。将来わが子に“どうしてあのとき福島に連れ戻したのか”と問わ れ、悔やむ日がくるかも知れない」と、涙で声を詰まらせながら発言しました。
 全日本民医連・藤末衛会長は「原発被災者をしっかり救い支援していくことと、日本から原発をなくしていくことが、私たちの課題。原発がない都府県でも、 各地域にある電力会社に“原発をなくそう”とせまっていく行動をおこそう」と述べました。

待たれる全県民の健康調査

 六月一九日放送のテレビ朝日「サンデースクランブル」に出演した馬場有・浪江町長は、(1)全国規模での避難者への健康調査の徹底、(2)県外避難者への生活援助、(3)国と東京電力による賠償事務の迅速化、の三点を強く求めました。
 冒頭の優子さんが今のぞんでいるのは、馬場町長が要求していることと同じこと。「私は実験台でもいい。一日も早く、県外避難者も含めた全県民の健康調査をしてほしい」と話します。
 一時帰宅が許される時期さえ、いつになるのか見通しがない浪江町民たち。思い出の品はもちろん、生活必需品すら取りに戻れない。着の身着のままの避難生活は四カ月が過ぎてしまいました。

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全日本民医連が発行した原発問題学習パンフレット

 全日本民医連は「福島第一原発事故から何を学び、取り組むのか―原発問題学習パンフレット 2011」を作成。そして、原発事故発生時以降の食事、居場所、行動の中身を記録する「私の行動記録手帳」も作成しました。将来、健康被害が現れたとき、 放射能によるものかどうかを調査する手がかりにするためです。この行動記録手帳を広く普及し、福島県民だけでなく、近隣県民、被災地にボランティアとして かけつけた人たちなどにも、活用してもらうことを呼びかけています。県外避難者も含め、福島県の全県民を対象にした健康調査実施が待たれています。
文・宮武真希記者

 

いつでも元気 2011.8 No.238

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