いつでも元気

2014年2月1日

特集1 世界の水をめぐる旅

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カンボジアのトンレサップ湖では100万人以上が水上で生活をしている

フォトジャーナリスト・野田雅也

 海水が蒸発して雲になり、雨や雪となって大地に降り注ぐ。山から谷へ、そして川を流れて、ふたたび海へとたどり着く。生命の源である地球の水は、絶えず一定量が循環している。
 地球上の水の97.5%は海水であり、残りわずかな淡水を人間だけでなく動物や植物などと分かち合う。しかしその命の水に異変が起きている。
 私は、人間と水のかかわりを見つめなおす旅を始めた。(全4回)

神々の座、ヒマラヤ山脈の異変

 私は一〇年以上にわたりチベット文化圏を撮影してきたことから、ヒマラヤ山脈の周辺地域を幾度となく歩いてきた。
 八〇〇〇メートル級の山々がそびえる聖域に足を踏み入れるのは、今回で四度目。旅の目的は、急速に解け始めた氷河を撮影することだ。

消えた湖

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消えた湖のひとつ(ネパール/クンブ地方)

 ネパールの首都カトマンズから、小型機でヒマラヤ登山の玄関口となる町ルクラへ向かった。山の急斜面に作られた滑走路に機体が着陸すると、私は胸をなでおろした。なぜならこの便は、二年に一度の頻度で墜落事故を起こしている危険なフライトだからだ。
 「一夜にして湖が消えたんだ、信じられるかい?」
 エベレスト登頂のベテランガイドであるアン・ドルジェは、「ベースキャンプに地面が裂けるような地響きが轟いた」と興奮してそのときの様子を語った。ヒ マラヤ最大級のクンブ氷河上にある湖が、気温の上昇により氷河が解けて陥没し、湖水が地底へ流されたのだと言う。三〇年以上も登山家を案内しているアンだ が、環境の変化に驚きを隠せないようだった。
 「森の市場」を意味するナムチェバザール(標高三四四〇メートル)で、高山病対策のために体を高度に慣らす四日間の高所順応をおこなった後、六日間かけ て標高五三〇〇メートルのエベレストベースキャンプへ向かった。アンが教えてくれた湖の跡は岩がむき出しで、青い湖があったとは信じがたい光景だった。
 クンブ氷河上にあるベースキャンプには、登頂の機会を待つ登山家たちのテントが並ぶ。暖かい日が続いたため、氷河の表面が解けて水が流れはじめたため、テントを慌てて移動させる者もいた。
 その夜、氷が割けて鈍くきしむ音と同時に、小規模の雪崩が近くで発生した。岩壁から落ちる雪塊が大岩を巻き込み、雪煙と地響きを静かな闇に轟かせた。
 クンブ氷河周辺では近年、いくつかの氷河湖が消えている。一九八五年にはディグツォ湖が決壊し、大洪水を引き起こした。気候変動により決壊の恐れがある 氷河湖は、 標高五〇〇〇メートルのイムジャ湖を始め、いくつも指摘されている。

涸れた滝

 何百年と山々に降り積もった雪は氷の河となり、ゆっくりと流れ落ちる。氷河の末端から解け出す水は岩石の隙間を流れ、苔や草花の命を育む。そして川となり、森を育て、豊穣の大地を造る。
氷河は乾期でも下流域に安定して水を供給する、タンクの役割をもつ。下流域に暮らす人びとにとって、雪解け水は農業生活用水としても貴重なのだ。
 クンブ氷河の下流域にあるクムジュン村(標高三七八〇メートル)では、高さ五〇メートルほどの断崖から流れ落ちる滝が完全に涸れていた。村人のナワン・ ケルサンは「子どもの頃は雪山に囲まれていた」と指差した。その先にあったかつての雪山は、地表がむき出しになった黒い山に姿を変えていた。
 氷河が消えたことで滝が涸れ、村を流れる小川も干上がり、井戸の水位は低下した。地下水の減少により土壌が乾燥し、ジャガイモなどの農作物は壊滅的な被 害を受けている。ナワンは「水源の枯渇が続けば、村を離れるしかない」と、厳しい表情で語った。

都市の水不足

 古都カトマンズは、盆地に広がる人口七〇万人の都市だが、慢性的な水不足が続く。水源はヒマラヤから流れる深層地下水だが、水位は低下し続けている。そ の一方で、人口は増え続け、さらには長引く政治の混乱から経済状況が悪化し、上下水道をはじめとするインフラ設備の劣化に歯止めがかからない。水道の給水 は週に一日だけで、しかも使用できるのは二時間と制限されている。
 そのため公共の井戸に住民が殺到し、ロープの先に付けたバケツを垂らして、わずかに溜まった地下水を懸命に汲み上げる。一度に汲み上げられる量はほんの わずかで、「生活に必要な水を手に入れるだけで、一日が終わる」と水を汲み上げに来た女性は途方に暮れていた。
 国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は、人間活動が気候変動を引き起こした確率は、九五%以上だと指摘している。
 また、一九五〇年以降、世界の気候は過去数十年から数百年で例がないほど変化し、仮に二酸化炭素の排出が止まったとしても気候変動の影響は何世紀も続くと言う。
 ヒマラヤを登る道中、私は祈りを捧げるシェルパ族の姿を何度も見かけた。彼らは他者のために、あるいは世界中の人々の幸せを願って母なる大地にひれ伏す。
 一方で、消費社会の身勝手な一部の人間たちは、水資源をマネーゲームの対象にし始めた。だが、彼らはヒマラヤの神々のなかには創造の神だけでなく、破壊を司る神が存在することを知らなくてはならない。

いつでも元気 2014.2 No.268

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