民医連新聞

2004年9月6日

“関係ないヨ”と 思ってない? 医療倫理のはなし(11)

治療方針の決定にあたって

 前回は「DNR指示」(心肺蘇生術を行わない)について、考えてみました。この指示は、「あくまでも終末期の患 者の臨死における心肺蘇生術(気管内挿管、人工呼吸、心マッサージ)の制限のみ」ということが重要です。しかし現実には、終末期あるいはそれに近い患者の 治療にあたって、心肺蘇生術に限らず治療全般の制限や縮小を考えなければならない局面によく遭遇します。

〈ケース9〉
 六八歳女性。膠原病に伴う間質性肺炎の患者さん。間質性肺炎とそれによる慢性呼吸不全は、治療にもかかわらず進行し、九四年から在宅酸素療法を導入。当 初、呼吸器専門外来に通院されていたが、呼吸不全と肺性心の進行とともに通院困難になり、九八年より往診と訪問看護を開始した。在宅医療開始時点で既に、 鼻腔カニューラで四㍑/分の酸素を流しても、酸素飽和度は八〇%前後だった。 

 本人、夫、娘さんともに、家族は疾患の予後を十分把握しており、「これ以上状態が悪くなっても、在宅で可能な治 療は受けるが、入院はしない。ましてや人工呼吸器装着はしない」と、外来通院中から明言されていた。医療スタッフ側も、入院しても特別な治療法がないこ と、人工呼吸器を装着すれば延命は可能かもしれないが、いったん装着すれば離脱は困難で、装着してのQOLは高いものとは言えないことなどから、本人、家 族の意向に同意した。最終的には、在宅医療開始約三カ月後に自宅で亡くなられた。

〈ケース10〉
 六一歳女性、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さん。九六年一月より構音障害、嚥下障害が出現、その後、徐々に症状進行。一〇月に当院を初受診し、 ALSと診断された。この時点で、上下肢のマヒは全くなかったが、会話は筆談でないと困難であった。その後、症状は受診のたびに進行、本人に病名告知す る。本人は人工呼吸器の装着を強く拒否。家族も同意した。患者の父親が脳卒中で寝たきりになり、気管切開を施行された経験があり「自分はああいった状態で 生きていたくない」という思いが強かった。

 九八年一月上肢挙上困難、歩行スピードが低下。五月、外出不能に。七月から往診、訪問看護を開始。九九年に入っ てからは、ほとんど食事がとれなくなり、一月に約三週間入院、内視鏡的に胃ろうを造設した。この時点でも、再度、人工呼吸器装着に関する本人、家族の意思 を確認した。同年八月、呼吸不全が進行し、自宅で亡くなられた。

原則は「一人で決めない
一度で決めない」

 医学的には延命可能な治療法を、本人の苦痛やQOLを考えて選択しないということは、結果的には死期を早めます。「この点では、消極的安楽死に相当するのではないか」と悩むことがあります。

 治療方針の決定にあたっては、「一人で決めない。一度で決めない」が大原則です。ご紹介した二例とも在宅医療の 対象者でしたが、在宅医療の現場では訪問看護師の患者さん、家族へのかかわりが大きく、彼女たちの意見が治療方針決定に大きな影響力を持ちました。当然の ことながら、最終的な意思決定者は患者さんご本人か、その意向を代理する立場の家族です。症状が変化する節目ごとに、何回も意思確認を行うことが重要で す。

(安田 肇 全日本民医連医療倫理委員)

(民医連新聞 第1339号 2004年9月6日)

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