民医連新聞

2004年9月6日

私と憲法(9) 町内に「9条守る会」 私も呼びかけ人です

番場 誉(ほまれ)(長野中央病院・医師)

 学生時代は、自治会活動や平和運動に燃えていました。しかし医師になって、日常の忙しさにかまけ、意識の底には「何かしなきゃ」という思いがあっても、なかなか行動できないのも現実です。

 ささやかですが、診察室に掲示板をつくり、時にふれ「小児科医の意見」を、書いて貼っています。カレンダーの裏 に、「イラクの復興に銃はいらない」とか「憲法九条を守ろう」などの文句を手書きしたポスターです。患者や親御さんの注目度はわかりませんが、看護師さん の評判は上々。「いいですね。感動しました」などと言われます。

 私は単に「良い医者」であるだけではなく、生活や政治のことも患者さんとともに考えたいし、地域の一員でありた いのですが、そうならないジレンマも感じていました。そんな時、たまたま大学時代の友人が家の近所に引っ越してきたのです。彼が、町内で「憲法九条を守る 会をつくりたい」、と誘ってきました。

 仲間ができ、私も「会」の呼びかけ人になり、結成大会にも出ることになりました。地域の会議には二〇人ほどが集 まります。感心したのは、集合時間は守るし、みな真剣に計画を考えていること。「これが地道な活動なんだな」と、刺激も受けました。町の小学校区の集まり なので、みな顔が見える関係なのですね。子どもも含めて、住人の過半数の署名を集めることが目標に決まりました。

 長野県では、こうした「会」を町ごとに数多くつくり、運動を広げようと呼びかけられています。私の町の結成は早い方だと思います。

 「ふたたび戦争に子どもたちを送らない」は戦後一貫したスローガンでした。子どもの権利からみても、「平和に暮らすこと」は一番根本的で重要なものです。

 イラク戦争が始まったとき、意識的に子どもたちに「知ってる?」と聞いてみました。ほとんどの子が「アメリカがやっているやつでしょ」と答えました。正しい認識です! しかし、まさか自分たちが戦争に巻き込まれるかもしれない、とは考えていないに違いありません。

 大人には、憲法九条を変えるのを許さない、大きな責任があると思います。

(民医連新聞 第1339号 2004年9月6日)

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