民医連新聞

2004年9月20日

“関係ないヨ”と 思ってない? 医療倫理のはなし(12)

「死」の定義について

〈ケース11〉

 北海道のA病院で、二月中旬、当時勤務していた医師が、無呼吸状態に陥った九〇歳の男性患者(窒息して心肺停止 状態になって搬入されての蘇生後で、深昏睡、呼吸停止、瞳孔散大、対光反射は消失し昇圧剤がなければ血圧が維持できない状態だったと推測される。筆者註) の人工呼吸器を取り外して死亡させていたことがわかった。

 同病院によると、医師が家族に「脳死状態は変わらない」と告げ、家族が延命措置の中止を希望したという。しかし、実際には厳密な脳死判定をしていなかった疑いがある。北海道警は殺人容疑で医師から事情を聞くなど捜査を開始した。

(朝日新聞04年5月15日)

〈ケース12〉

 劇症型髄膜脳炎の一二歳女児。集中治療にも関わらず病状は悪化し、深昏睡、四肢麻痺、瞳孔散大、対光、角膜、咽 頭反射、前庭の各反射は消失した。自発呼吸は無く人工呼吸器を装着し、血圧維持のために昇圧剤投与が必要であった。医師団は家族と相談の上、人工呼吸を中 止した。まもなく患児は亡くなり剖検が施行された。(マサチューセッツ総合病院ケースレポート ニューイングランド医学雑誌 03年12月11日号)

 一九九七年一〇月、わが国でも臓器移植法が施行され、臓器移植を行う場合に限って「脳死」が人間の死として認められました。

 それまで、そして現在でもわが国で普遍的に受け入れられている死は「心臓死」で、呼吸と心臓の不可逆的停止とし て「死」が定義されます。一方、「脳死」とは、脳が不可逆的に重篤な損傷を受け、脳の全機能が失われたと判断された状態をいいます。心臓死を待たずに脳死 の状態で人工呼吸器を中止することは、欧米では、一九六〇年代後半から行われてきました。その背景として、脳死状態で患者を生かし続けることは家族に多大 な精神的、経済的負担をかけると考えられたこと、移植医療の進歩を背景に、移植用の臓器の入手を容易にすることが必要であったことの二つがあげられます。

 わが国においては、臓器移植との関係で「脳死」が議論された経過があり、公的には臓器移植の臨床現場以外では「脳死」を「死」とは認められていません。

 ちなみに、わが国で用いられている脳死判定基準は、(1)深昏睡、(2)自発呼吸消失、(3)瞳孔固定(瞳孔径 は左右とも四㍉以上)、(4)脳幹反射(対光、角膜、毛様脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳の各反射)の消失、(5)平坦脳波、(6)以上の五つの条件が満た された後、六時間以上経過を見て変化がないことを確認する、ということになっており、世界的にみても最も厳しい基準となっています。

 「脳死」だと誤解されることがあるのが「遷延性植物状態」です。これは、脳卒中や頭部外傷、低酸素性脳症などの 脳損傷によるものです。呼吸、心臓は正常に働いていますが、運動、感覚系は障害され、大脳による精神活動が欠如し、周囲に対して全く反応を示さない状態 が、安定して少なくとも三カ月以上続いている状態をいいます。当然のことながら、これでは「死」とは言えません。(安田 肇 全日本民医連・医療倫理委 員)

(民医連新聞 第1340号 2004年9月20日)

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