いつでも元気

2010年11月1日

平和を祈り育てる

「平和の庭」へ着々と 長野・介護保健施設はやしの杜

torikumi229_04 八月九日の長崎原爆の日にあわせて、当施設で「アンネのバラ」の植樹式がおこなわれました。利用者や職員、ボランティア約一六〇人が参加しました。
 当施設では「平和の庭」構想を計画し、五月三日には広島の「被爆アオギリ二世」の植樹式もおこなったところです。
 みんなで「長崎の鐘」「原爆許すまじ」「青い空は」を、平和への願いをこめて歌いました。
 長崎市長、オランダ大使からのメッセージも披露されました。
(木村君子)

富山大空襲の追悼集会 富山医療生協

 原水爆禁止富山県協議会は八月一日、六五年前の富山大空襲の犠牲者を追悼する「市民平和行進」を実施しました。ことしで三四回目です。
 一九四五年八月二日未明、米軍の爆撃機B29が落とした焼夷弾により、旧富山市街地の九九・五%が焼き尽くされ、死者三〇〇〇人、負傷者八〇〇〇人を出 したと推定されています。行政が避難の指示を出さず、警防団・警察・憲兵が逃げる市民を「戻って火を消せ」などといって押しとどめたことが、被害を拡大し た原因の一つと指摘されています。
 追悼の行進は、富山市役所からスタートして神通川の河川敷に到着。空襲被害者が数多くたどり着いたといわれる神通川の川べりで追悼集会をおこないました。
(松井弘通信員)

原爆絵碑前で平和集会 広島共立病院

 広島に原爆が投下されて六五年目となった八月六日。ことしも、犠牲になった多くの人びとへの追悼と、核兵器廃絶への願いを込めて、第四回原爆絵碑前平和集会を開きました。約一〇〇人が参加しました。
 院長があいさつに立ち、卒業後初めて開いた小学校の同窓会で、恩師が「自分は被爆者だ」と明かしたことを紹介し、「恩師の被爆者としての人生に思いを馳せ、感じ入った」経験を述べました。
 その後、安佐地域にも降った「黒い雨」の被害の実態や、原爆絵碑の建立、被爆アオギリ三世の生長などについて語り合いました。
 また、原水禁世界大会に参加していた健生会(東京民医連)職員の杉崎さんが、「平和への願いは全国ひとつ。ともにがんばりましょう」とエールを送ってくれました。
 青年職員が絵本『世界の子どもたちに』(森本順子・作)を朗読したあと、「青い空は」をみんなで合唱。平和への思いを新たにしました。
(桑原国博)

「おどり連」で平和アピール 徳島健康生協

 八月一三日、ことしも「健生阿波おどり連」を繰り出しました。職員、組合員さんなど総勢七〇人あまりの連です。
 連の一部の踊り子たちは、午後から回復期リハ病棟をまわって患者さんに踊りを披露。
 本番は夕方五時半から夜一〇時頃まで、喧騒の中で踊り続けました。大うちわには平和への願いをこめたアピールを書いて、小さなうちわを見物客に配布。大勢の人に平和をアピールすることができました。
(石川弘和)

被爆者健診に41人 千葉健生病院健康友の会

 九月五日、健生クリニックで第一五六回の被爆者健診がありました。四一人の方が受診しました。
 友の会コーナーを設けて、友の会や検査の案内、健康相談などもおこないました。受診者のYさんが「ことし三月に原爆症の認定申請をしたが、何の連絡もない」と相談に来ました。
 前日に届いていた被団協の新聞を見てびっくりしました。「厚生労働省で原爆症認定の審査が滞り(一時は八〇〇〇通近く)、『早く審査を』との被団協の要 請に、機械的な認定作業で大量の却下を出していることが判明」したのです。被爆者の怒りと不満がつのり、大阪では却下処分取り消しを求めて八人が提訴して いるとのこと。
 核兵器廃絶の運動が世界に大きく広がったことしの夏、被爆者を援護するのは国の当然の責務ではないでしょうか。Yさんが認定を勝ちとるまで、いっしょに応援したいです。
(伊藤則子通信員)


各地のとりくみをお寄せください。編集の都合上短くする場合がありますが、三〇〇字で、写真もつけてください。毎月の締め切りは七日ごろです。

いつでも元気11月号No.229より

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