MIN-IRENトピックス

2016年3月29日

全体会の発言から

被災者支援通じ、空白地域で支部も
岩手・鈴木幸子(保健師)

 東日本大震災から丸五年が経過する中、全国からのたくさんの支援物資を見て「全国に仲間がいるって本当だったんだ」と感じたことを改めて思い出します。全国から送られた支援物資や激励は、被災者だけでなく多くの民医連職員も励まし、「民医連で働き続けたい」と思わせてくれました。
 一一年三月末から北海道民医連を中心とした北海道・東北地協の支援を受け、大船渡市の医療支援を行いました。高齢者の閉じこもりや廃用症候群の予防、コミュニティー構築などを目的に、六月からは「はつらつお茶っ子会」に県連独自でとりくみました。一三年からは、山田町でお茶っ子会を支援しています。参加した職員は、出会いのすばらしさや被災地に足を運ぶことの大切さを実感しています。被災時の話を聞くこともあり、職員は学び体験し、人として成長しています。
 公営住宅の転居も始まっていますが、「公営住宅では隣近所に誰が住んでいるのかすら分からない」「転居できる人との間で差を感じる」「いつまで仮設の暮らしが続くのか不安」などの声に見られるように、進展は遅く、困難な状況は続いています。
 そんな中、盛岡医療生協の事業所の無い沿岸地域に支部が二カ所できました。次年度からは大槌町への支援も始めます。共同組織の発展にも尽力し、息の長い継続した支援活動を行います。

仮設の訪問調査を行い、支援続ける決意
宮城・宮沼弘明(医師)

 宮城民医連は、県連の中長期計画を論議していく中で被災者支援を重点課題とすることを確認し、昨年、県連震災被災者支援会議を立ち上げ、一一月にプレハブ仮設の訪問調査を行いました。塩釜、多賀城、七ヶ浜の三市町で全戸訪問し、生活、健康、住まいの見通しなどを聞き取りました。
 八二四軒のうち三八六軒が空き家、一五〇軒で対話。半数以上が七〇歳以上で、世帯は二人以下が全体の約七割を占めました。震災前も後も仕事が無い人は約五割、現在仕事が無い人は二割いました。医療費免除については、約六割が今も免除されている一方で、二割の人が打ち切られていました。仮設住宅での不便は、プライバシー、住居環境の悪さ、買い物などが挙がり、生活上の心配事は、仕事、収入、医療費、通院などが挙がりました。仮設退去後の行き先が決まっていなかった世帯が二五もあり、その理由は「転居後の家賃が高い」「自宅が半壊で申し込み資格がない」などでした。参加した職員の多くが、一人ひとりに寄り添った支援を続けていくことが必要と感じました。
 調査結果から、自治体の議員や首長と懇談し、県議会議員を対象に報告会も開いています。調査した自治体全て、医療費免除の一年延長を決定。仙台市や県への要請も続けます。今後は、災害公営住宅に移った被災者の実情も調べ、支援活動を継続していきます。

全国の支援受け研修医と次のステージへ
福島・遠藤剛(医師)

 福島県は、大震災の打撃に加え原発事故の被害を受け、物的にも精神的にも今なお多くの住民が苦しんでいます。震災で亡くなった人は一八一〇人、震災関連死は二〇〇〇人を超えました。依然九万九〇〇〇人が県内外で避難生活中です。政府と東京電力は避難解除と補償打ち切りを次々と打ち出し、再稼働を強行しています。
 医療生協わたり病院では、原発事故の影響で医師、看護職員などが退職し日常診療の維持が困難になりました。初期研修医ゼロも二年続き、臨床研修病院の維持も危うくなる中、全国の皆さんの支援をもらい、再生を始めました。
 まず、組織の弱点克服にとりくみ、病院管理機構を再編しました。次に、病床制限を行いながら地域の要求に基づく病棟再編を行い、中長期計画展開の土台を作りました。そして一三年には、二年ぶりに初期研修医を迎えることができました。三年間で五人の初期研修成功のため全職員でとりくみました。県連奨学生も一〇人に広げました。長い間停止していた県連医師委員会も再開できました。
 新年度に、後期研修を決意する医師が生まれました。九年ぶりのことです。震災発生当時は研修医ゼロでしたが、今年は初期・後期あわせて五人が研修をすすめています。自立してすすむにはまだ難しいですが、職員と議論しながら次のステージにすすむことを決意しました。

阪神淡路の「今」を東日本では繰り返すな
兵庫・東郷泰三(事務)

 兵庫民医連では一三年から県外避難者への健診を六回行い、二四九人が受診しました。「うつ病を発症」「避難して一年近く外で遊べなかったことで、体力が低下している子どもがいる」などの報告もあります。
 阪神淡路大震災から二一年、兵庫では借り上げ復興住宅からの「被災者追い出し」が浮上しています。行政は震災後、URや民間業者から借り上げ復興住宅を供給しました。被災者は避難所や仮設住宅を転々とした後、ようやく入居できた場を終(つい)の棲家(すみか)と思い生活してきました。ところが県と神戸市・西宮市は、業者との借り上げ契約が二〇年であることを理由に強制退去をすすめています。これを通知されていない被災者もいます。入居者への事前通告は法的義務づけもあり、居住権からも違法です。県は「事情を考慮し判定員会で判断する」としていますが、七五歳で線引きし一律に対応しています。七四歳以下の障害者が入居継続「不可」とされ、再審査を要求し、たたかっています。
 兵庫民医連では一月、弁護団と連携し、借り上げ復興住宅入居者の健康や生活状況を調査し、年齢による入居継続の可否判断は不適切だと明らかにしました。
 阪神淡路大震災二一年の現状を繰り返さないよう全国的連携を強め、被災者生活再建支援法の拡充など、真の生活再建と復興を求めたたかい続けたいと思います。

オール沖縄の運動 県政にも変化が
沖縄・座波政美(医師)

 一月二四日の宜野湾市長選挙は、残念な結果となりました。まず、全国の支援に感謝します。
 しかしこの選挙では誰もが、「これ以上の基地負担には耐えられない」という意思表示をしました。その点ではまさにオール沖縄と言っていいでしょう。
 憲法、民主主義がここまでないがしろにされている地域は他にありません。だからこそオール沖縄は生まれました。このオール沖縄を通じて対話し、民医連の存在意義も広がっていると感じます。
 二月、沖縄の子どもの貧困問題について翁長知事は、県議会で所信表明演説し、「県民運動として展開していく」と強調しました。そして三〇億円の子どもの貧困対策推進基金も創設することになりました。また那覇市では、無低診事業を受けている患者のために、二〇一六年度から、薬代の助成事業に乗り出すことを決定しました。沖縄県内初です。
 今後はオール日本で、選挙をたたかうことになります。みんなで力を合わせてがんばりましょう。

「断らない救急」で見えたもの
北海道・田村裕昭(医師)

 「身元引受人がいない」という理由で救急搬送受け入れをためらう医療機関は少なくありません。
 勤医協中央病院では、「無差別・平等」の民医連の旗を掲げ、「無料低額診療を実践する急性期病院」として新病院開設以来、「断らない救急」を合言葉に実践を続けています。二〇一五年は八一一五件の救急搬送を受け入れました。うち、一週以内の死亡患者が三八・五%、七五歳以上の後期高齢者が四割と重症者、高齢者が多くなっています。一方で身元引受人のいない死亡診断書を一〇人提出しましたが、うち半数が五〇代以下と若い方でした。
 救急搬送患者で無料低額診療を活用した患者は四〇人、のべ一一〇四回、金額にして八八三万円でした。当院の無料低額診療患者数全体に占める割合は八%に過ぎませんが、のべ回数、金額ともに二五%を超え、医療アクセスが遅れた患者を含む重症者が多かったものと思われます。
 介護認定も受けておらず、家族総動員で介護を続けてきたが限界となり、全身垢まみれで巨大褥瘡を背負ってくる高齢者や、隣のマンションとの隙間に出来た雪山に埋もれ、あちこち凍傷だらけになって警察経由で運ばれてきた俳徊老人など、急速に高齢化がすすむ中で「死ぬも生きるも地獄」といった状態で高齢者が担ぎ込まれてきます。
 国がすすめようとしている自己責任に重きをおいた「地域包括ケア」では、こういう高齢者は文宇通り行き倒れて土になるか、氷になるかして死んでいくほかないのではないでしょうか。私たちは人間の尊厳を保ち、人間として尊重されながら、元気に笑顔が返せる時間を過ごし、静かに最期の時を迎えられるような地域を創り上げたいと思っています。

重度身障児の窓口無料復活させた
山梨・伊東仁香(作業療法士)

 山梨県では二〇〇八年度から、重度心身障害者、子ども、ひとり親家庭などの医療費を窓口負担なしとしてきました。しかし、この制度が事業仕分けの対象となり、二〇一二年九月、当時の県知事が廃止を発表。ただちに、「重度心身障害者医療費窓口無料を守る会」を結成し運動しましたが、重度心身障害者の医療費だけ窓口無料が廃止され、償還払いへと後退してしまいました。
 山梨県の市町村には、子どもの医療費窓口無料制度があります。この制度改悪によって、重度障害のある子どもだけが窓口無料制度を受けられなくなってしまいました。後で還付されるとはいえ、窓口負担が必要になれば、受診のハードルが上がります。てんかんなどの合併症があったり心臓病があれば、一カ月の医療費の自己負担は一〇万円を超えます。人工呼吸器管理ともなれば三〇万円ほどになります。
 「子どもの医療費窓口無料化を求める会」を中心にとりくんだ、窓口無料制度存続と復活を求める署名は、のべ七万筆にのぼりました。地元紙に何回も記事にしてもらったり、計五回の県への交渉を繰り返す中で、重度の障害を持つ子どもの父母や家族、医療、学校関係者など広範な県民に共感が広がりました。制度の復活を求める保護者たちは、障害者差別につながるような県の対応に、裁判も辞さない覚悟でこのとりくみをすすめてきました。私たち医療関係者も、子どもたちの受療権を守り、親たちの願いを叶えるために、共に運動をすすめました。こうして窓口無料廃止から一年で復活を勝ち取ることができたのです。

アスベスト訴訟 勝利和解に貢献
埼玉・宮岡啓介(医師)

 埼玉民医連が約一〇年前からとりくんできた「曙ブレーキアスベスト訴訟」についての報告です。
 曙ブレーキ工業は一九二九年に埼玉県羽生市に創立され、その後七二年間アスベストを使用し続けてきました。
 二〇一二年一一月二八日、曙ブレーキに対し、謝罪と賠償を求め、さいたま地裁へ賠償訴訟を起こしました。原告団の多くは一九六〇年代から三〇年以上同社で働き、その結果アスベスト関連疾患に罹患した方々、大切な家族を失った遺族の方々でした。
 裁判で明らかになったのは、安全配慮義務がほとんど実施されず、アスベストに対する安全教育もない労働環境の実態でした。最終弁論となった二〇一五年八月の第一六回裁判では、埼玉民医連の医師が法廷でアスベスト吸引による健康被害を証明しました。曙ブレーキは責任逃れができなくなり、同年一二月二五日、三年一カ月続いたアスベスト訴訟が全面勝訴と言える和解で結審しました。
 アスベスト問題はまだ始まりに過ぎません。「民医連があって良かった」と言われるような、住民との連携を今後も強めていきたいと考えています。

全身管理につながる歯科との連携強化を
熊本・山口彩子(歯科医師)

 一月、「保険でよい歯科医療の実現を求める国会内集会」で二九万筆の署名を国会に提出しました。
 鳥取、大分両県は全自治体で「保険でよい歯科医療の実現を求める意見書」が採択されました。熊本県でも菊陽町議会で初の意見書採択となりました。私は精神科病院の菊陽病院の歯科医師です。心身の障害者、認知症患者、経済困窮者に安心・安全な歯科医療を行うには診療報酬が低すぎます。今の保険診療では限界だと議会に訴えました。歯科技工士は卒後五年以内に四分の三が離職、歯科衛生士には非正規雇用が広がり、無資格の歯科助手による衛生士業務が横行しています。
 地域包括ケアで医科・歯科・介護の連携は欠かせません。口腔疾患は全身に影響を及ぼします。診療報酬改定で歯科関連の加算は評価されており、特に歯科衛生士の役割が求められています。
 歯科がない県連では、まず病棟での歯科衛生士の採用や近隣歯科医院との連携を行い、加算につなげてください。そして歯科を開設し、全身管理の強力なバックアップを確立してほしいと思います。

HPHとして外国人児童の健診を行って
長野・根本賢一(事務)

 長野県には三万人の外国人がおり、日本の学校に行かず未就学や無認可学校に通う児童がいます。
 上伊那医療生協ではリーマン・ショック後困窮する外国人を地域の団体と支援しています。そこで知り合った無認可学校の教員から相談が入りました。学校は三万円の月謝で運営し、校舎は元工場、運動設備も給食もなく、体調不良もありました。当院の小児科医も気にしており、近くの看護大学に相談。病院は健診、看護大学は性教育を行い、後に歯科医師会が歯科検診を、医療生協支部が農作業を通じ食育を担うなど支援が広がりました。県は懇談で「行政が支援しやすい形を作ってもらえた」と語り「母国語教室健診事業」として費用が全額支給されることに。
 教育を受ける権利は憲法が保障していますが、外国人の一部には、健康で文化的な生活さえ保障されていない実態があります。国籍はもとより、誰もが健康に生きる権利を持っています。どんな立場の人ともとりくめる共通の価値です。HPHは民医連に新たな共同の可能性を開くものだと思います。

共同の営みとしての医療・介護活動
北海道・西島龍樹(介護福祉士)

 札幌南勤医協月寒在宅総合センターは、サービス付き高齢者向け住宅と共同住宅、看護小規模多機能型居宅介護、定期巡回随時訪問介護看護、訪問看護、訪問介護、通所介護、居宅があります。
 サ高住で看護小規模多機能を利用していた女性にがんが見つかり、センター初の看取りをしました。介護職員が主体のチームは経験が浅く、倫理観や死生観、介護観等の構築が不十分な職員が多い中、「ここで看取りができるのか」と不安でした。連携する民医連の医師や看護師から「何かあったら駆けつける」と、病態像や予測される変化を確認、「その人らしい最期を支援しよう」と向き合うようになりました。亡くなる前には本人の希望で百貨店に行き、介護職員や医師、看護師、疎遠だった家族に見守られ、穏やかな最期を迎えることができました。
 医療と一体的にとりくめば「住み慣れた地域で自分らしい最期を迎えたい」という願いに応える支援ができると確信を持てました。「医療が分かる介護職」「生活を理解する医療職」の視点で相互理解を深めていきたいと思います。

地域包括支援センターの位置づけを
京都・鈴木豊子(ケアマネジャー)

 京都市には六一の地域包括支援センターがあり、民医連は三法人が一カ所ずつ受託しています。法人としてセンターを位置付け、活用することが必要です。
 センターは行政の職員と密接につながっています。認知症高齢者行方不明訓練、SOSネットワーク、地域ケア会議など、圏域の団体との連携も濃い事業所です。
 二年前に地域包括支援センター長となり、法人でのセンターの位置づけを高めようと、理事会に出席。総合事業等の情報提供や地域目線からの発言をしています。仕事内容を京都の学術運動交流集会や友の会の役員会、診療所の会議で話しました。センターとつながろうと呼びかけ、実践した病院、診療所は、圏域のセンターから頼られる存在です。
 圏域にある民医連外のセンターにも懇談等を申し込み、ともに地域分析をし、地域課題にとりくむことが大切です。受託しているセンターと密接に連携し、具体的な実践にとりくむこと、センターを受託していない場合も、圏域のセンターと懇談して社協等とつながりを強めることを提案します。

支援センター「サポート医」の視点から
東京・今泉貴雄(医師)

 高齢化率が二五%を超えた東京都北区(人口三二万人)の地域包括支援センター(地元の名称は「高齢者安心センター」)の「サポート医」になりました。行政と医師会が独自に立ち上げたもので、区内一〇カ所の地域包括に五人の医師が配置されています。医師に期待されるのは、センターが支援する人の中で医療につながっていない人の援助で、カンファレンスへの参加や医療機関を拒否する方の診断を行います。医療を拒否する独居で認知症の人が、末期がんだったケースにも遭遇しました。
 病院という受け身の仕事から、出かける活動の中で、地域を見る目が広がりました。都市部の身近な所に「こんな人が居た」と驚くとともに、高齢化や独居、貧困などによる困難ケースの増加を実感します。行政からも期待の言葉がありました。改めて、無差別・平等の医療介護を掲げる自分たちの活動に確信を持ちました。また困難ケースは行政その他外の機関との連携が欠かせず、ケースを通じ行政を動かすことも重要です。

事務の職場会議で「気に患」カンファ
栃木・大野学(事務)

 私たちの診療所では、事務の職場会議を週一回行っています。出られなかった職員には会議の内容を伝えています。昨年の診療所交流集会で気になる患者カンファレンスの報告があり、職場会議でやってみようと思い、始めました。
 会議までに気になる患者さんを一人一件必ず出すというルールにし、「気になる患者」シートに記入しています。「なんか分からないけど気になる」でもいいから書く、ということで始めました。
 「認知症の患者さんに声をかけると不安がやわらいだ。あの患者さんは声かけで落ち着く」「性同一性障害の患者さんは呼んでほしい名前があるそうなので、その名で呼ぶようにしよう」などです。
 五〇歳代の男性は、派遣の仕事をしていたが身体を壊し、続けられなくなりました。生活相談員がすぐ対応し、住民票の手続きを済ませ、生活保護を申請しました。
 職場会議では、「きつい仕事を続け、身体を壊して辞める人が増えている」「派遣という仕事は人を壊し貧困も生み出す、企業の利益より人を大切にしてほしい」などの意見が出ました。「子どもを受診させたいが、手持ちのお金がない」と電話をかけてきたお母さんの事例も話し合いました。
 外来窓口では社会問題が見えてきます。カンファを続け、学習会も行いたいと思います。

医師養成位置付け、「一肌脱ぐ」医師集団に
全日本・山本一視(医師)

 福岡・千鳥橋病院では、二〇一〇年から一五年までに当院で研修を終えた一七人の研修医のうち一五人が、後期研修で民医連を選択しています。流れを創り出した力は、「いい仕事がしたい」という医師の要求に応えるべく、医局への事務幹部配置、医局運営、研修づくりを最優先課題としたこと、研修医が「この人の幸せとは何か」と多職種の中で考え、とりくむ医師養成を徹底したこと、研修医が「民医連らしく行動すること」を評価し、肯定する医師集団作りにこだわったこと、でした。
 「困ったところで一肌脱ぐ」「待っている人がいれば出かける」という青年医師が育ち、福島支援や定期訪問診療にほとんどの青年医師が参加しています。
 〇八年の年越し派遣村の映像を見た青年医師がホームレス医療支援を開始。すでに八〇回を超えています。一緒に行き、そこで医学生に民医連を語る青年医師集団が生まれています。初期研修医四人のうち二人は「新専門医制度は誰のためでしょうか」「自分がなりたい医師像を見つめてここで修練したい」と話しています。民医連は、国民本位の医療を担う医師に育っていける絶好の場です。
 今、民医連を全国の医学生に届ける大運動が行われ、全国で五〇人超の奨学生が生まれています。
 ぜひ「四月三〇日までに一〇〇人の奨学生」の大運動をやりあげ、誰でもいつでもどこでも民医連を医学生に届ける、そんな民医連にしていこうではありませんか。

地協での経営分野の活動強化について
福岡・佐賀・入江敬一(事務)

 九州・沖縄地協経営委員会では法人や県連では論議が不十分な課題を相互に学び合っています。
 全日本民医連地協経営委員会ミニマムは、四半期や年度決算の把握、中長期経営計画の策定・実施状況の把握、民医連統一会計基準の準拠状況の把握を呼びかけています。九沖地協は、幹部の配置と事務局は福岡県連が担い、全県連が委員会に参加。定期的に委員会に報告し、資金困難が生じた場合は定期の委員会を待たず、法人トップとの懇談や経営検討会開催など、機動的に対応しています。
 地協では監事監査世話人会の定期開催もしています。二年に一回は監事監査活動交流集会を開催、監査活動の向上に務めています。
 今年の診療報酬改定、二〇一八年度の同時改定など、民医連経営をめぐる情勢はさらに厳しくなります。地域包括ケア、医療費適正化計画も都道府県単位ですすめられる中、県連機能、県連経営委員会の強化が求められています。しかし、二〇一四年度のアンケートでは、県連担当事務局の配置がない県連が三五県連(七八%)。地協運営委員会の機能を高め、体制確立や具体化の意思統一が急務です。私たち民医連は連帯し、相互に協力できるという優位性を持っていることを再確認し、それを生かすことが求められています。
 これらの課題は、事務経営幹部育成の課題にもつながることも、しっかり位置付けましょう。

医師支援で紡がれた当院の医師養成
群馬・原澤裕(事務)

 利根中央病院は二〇一一年度、「地域医療を守る」を合言葉に、全日本民医連から一年間で五〇の病院、診療所から約一〇〇人という最大規模の医師支援を受けました。
 発端は、常勤医師が五九人から二年間で三一人に半減し、診療継続すらままならない事態でした。背景に医師不足や偏在に加え、民主的管理運営の未熟さ、明確な中長期計画がなかったこと、新病院建設をめぐる経営幹部と医局集団の認識の不一致等がありました。
 昨年九月、新病院をオープンできました。総合性を重視した「自前の医師養成」を打ち出し、徐々に医師数は増加しています。二年前に常勤二人体制で立ち上げた「総合診療科」は現在五人、新年度は八人体制となります。
 八人中五人は、小児科、麻酔科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科等の専門分野からの転科医師です。「疾患多様性への対応」や「保健福祉分野」「家族志向型ケア」「地域医療機関との連携」を重視した医療展開を志望する医師が、地域包括ケアの実践の場を求めて合流。「総合診療専門医」の養成を戦略的課題に位置付け、「無差別・平等の医療・介護活動」を実践し、チーム医療をけん引する医師を養成したいと考えています。
 今後も全日本民医連に結集し、危機を乗り越えた教訓と強みを生かし、全国と連帯していきます。

(民医連新聞 第1616号 2016年3月28日)

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