介護・福祉

2016年11月22日

16 男の介護 千代野さんとの奮闘記 [著・冨田秀信] 徘徊 その2

 長い介護生活の中で、何度も妻は、私たち家族の知らぬ間に「外出」し、その都度、数時間程度で事なきを得てきた。ところが最大のピンチが発生する―。
 2002年の3月上旬だった。まだ寒い夕方、妻を風呂に入れ、夕食の鍋の用意をしていた。ポン酢が切れて、徒歩2~3分の八百屋に私が買いに出かけて戻ると妻が居ない! ああっ、私の後を追って出たのだ。時刻は夕方6時ごろ。そう時間が経っていないので近所を走り回れば見つかると思った…が甘かった。10分、20分と過ぎる。近所の人に聞くも「見ていない」。その時不在だった3人の子どもたちにも連絡して、自転車、バイク、車で探してもらうも見つからない。1時間、2時間と過ぎる。あたりは暗い。風呂上がりのちゃんちゃんこ姿で素足の軽装だ。南警察署へ出向き、捜査依頼をする。街をゆくタクシーや、病院などに一斉連絡される。もちろん妻が精神障害者であることや、その特徴も伝える。
 やがて雨も降ってきた。事故の連絡は無いので、どこかマンションの軒下などで寒そうにしているかと思った。事故にさえあっていなければ…の一念。
 果たして、日付が変わった午前1時過ぎ、伏見警察署から保護したとのTEL! タクシーで急行した。妻はキョトンとしていて意外と元気だった。7時間ぶりだ。警察の話だと、午後10時頃、高速道路の京都南インターチェンジ近くの中華料理店「王将」に入り、食後に店員から支払いを促されても「お金ない」と答えたそうだ。無銭飲食で警察へ通報となった。
 その店までは自宅からは徒歩30分ほどの距離だ。夕方6時ごろから入店するまでの4時間、妻はどこをどう歩いていたのか? どこで休憩していたのか? 信号をちゃんと渡れたのか…? 事故にもあわずに。とくに高速道路へ入る道、車も多かったろうによく無事に…。謎だらけだ。
 20年間で、この徘徊ピンチの最大の教訓は、子どもたちからの「親父、もっとしっかりしろ」との、きついひと言だった。


とみた・ひでのぶ…96年4月に倒れた妻・千代野さんの介護と仕事の両立を20年間続けている。神戸の国際ツーリストビューロー勤務

(民医連新聞 第1632号 2016年11月21日)

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