民医連新聞

2005年2月7日

生活保護却下くつがえす 静岡・三島共立病院

 病人ばかりの一家の生活保護申請を、持ち家があることを理由に静岡県三島市が却下しました。三島共立病院の職員たちは、不服審査請求を援助し、県 が裁決を出すまでの五〇日余、食料を持ち寄って一家をささえました。暮れの一二月二九日に届いた裁決書は、法にもとづき「最低限度の生活の維持に活用する 資産の保有」を認め、「市の却下処分を取り消す」。保護行政の不当なやり方に一石を投じました。(小林裕子記者)

放っておけば餓死してしまう

 Aさん=(59)・女性=の窮状に気がついたのは、井田正彦医師と糖尿病グループの看護師たちでした。Aさんと次女(25)は二人とも定期受診が必要な のに、途絶えてしまったからです。何度も電話をかけたり訪問しましたが会えません。病状の悪化を心配した宮崎寿美看護師は、SWの丸山あさ美さんに相談 し、いっしょに訪問。やっと会えたAさんに「医療費はすぐ払わなくてよいし、相談に乗るから」と伝えました。
 相談室に来たAさんは、丸山さんと鈴木弘二さん(事務次長・当時)の前で、泣き出しました。夫は亡くなり、勤めていたパチンコ店を解雇され、三人の生活 費は、精神に障害をもつ長女(28)の年金(二カ月で一三万円)だけとなり、途方に暮れていたのです。所持金はもう八〇〇〇円ほどで、次女の糖尿病が重い のに、受診どころでない状態でした。丸山さんと鈴木さんは、「生活保護受給しかない」と判断しました。

不勉強で冷酷な市

 九月二八日、丸山さんと鈴木さんが市役所へ付き添いました。泣いてばかりのAさんに、担当者は「家や土地を売ればいい」と繰り返し、申請書すら渡しませ ん。二人は出直して談判し、申請書を出させ、Aさんは一〇月一日に申請しました。
 一〇月二六日、市から届いた通知は「却下」。理由は「資産を十分活用していない」、つまり「家を売って生活費にしろ」というものです。ベテランのSWで もある鈴木さんは、迷わず「自分が代理人になるから、不服審査請求に踏み切ろう」とAさんに言いました。「餓死寸前の人を行政は見放すのか?」。あまりの 理不尽さに、「これでダメなら、厚生労働大臣に訴えてやる」と腹を固めました。

職員が食料カンパ

 不服審査請求の裁決は、五〇日以内と決められています。「一二月末まで、何とか一家をささえなければ」、鈴木さんは病院の朝会で「食料カンパ」を訴えるチラシを配り、県には「早く結論を」と催促しました。
 カップラーメンなどを手に鈴木さんが行くと、Aさんは「もうこれだけ…」と空の米びつを見せます。病院との絆の電話代は、なけなしの金で払いましたが、 水道、電気代などの督促状が容赦なく届き、「払わないと停止する」と冷たく書いてあります。鈴木さんは市の水道課に事情を話し、「安易に水を止めてはなら ない」旨の通達を知らないのか? と問いつめました。担当者は知らないばかりか、「いつ払えるのか」とさえ言いました。
 「お米持ってきたよ」「段ボール箱いっぱいだよ」「取りに来て」。あちこちの職場から鈴木さんに食料が集まった知らせが入りました。米俵が二つ、にんじ ん、じゃがいも、お金…。鈴木さんは仲間に対する信頼感をより強めた、といいます。

ついに勝利

 一一月二六日、市の「弁明書」が県から届きました。「家・土地を処分すれば、四年分の生活費になる」との主旨です。鈴木さんは一日かけて反論書を書き、 提出しました。『生活保護の手引き』にそって「家を処分せず、利用した方が価値が高い」と証明し、娘さんの障害からも転居ができない事情をのべ、憲法二五 条の立場から裁決を求めたのです。
 道理をつくした反論が勝利した日、職員みんなが「よかったなー」と声をかけ合いました。全国的にも貴重な事例です。鈴木さんと丸山さんは「あきらめず、 目の前の人を救う視点で、一つひとつ勝ち取って、押し返していこう」と語りました。

(民医連新聞 第1349号 2005年2月7日)

お役立コンテンツ

▲ページTOPへ