事業所のある風景

2007年9月15日

大阪/みみはらファミリークリニック 新たな地で地域に根ざした医療・護・福祉のセンターに

昨年9月に移転オープン
 堺市と言えば、日本最大規模の前方後円墳・仁徳天皇陵や、キリスト教宣教師から「日本のベニス」とも称された商人らによる戦国時代の自治都市などについ て、日本史の時間で習われた方も多いと思います。現代では、政令都市で一番高い国保料・介護保険料で有名な人口80万規模の都市です。この堺市の北東部、 大阪市や松原市との市境に私たち「みみはらファミリークリニック」はあります。
 みみはらファミリークリニックは移転・建替えの形で、名称も新たにして昨年9月にオープンしました。外来部門のほかは、デイサービスセンター、ケアプラ ンセンター、訪問介護ステーションを併設し、地域の医療・介護・福祉のセンターをめざしています。それまでは現在地から500メートルほど南東方向に下 がった南花田町で「耳原南花田診療所」として、40年あまり診療活動を続けてきました。昨年の移転・建替えオープン以降、外来部門は2割増の患者数とな り、毎月100人を超す新患数になるなど、本当に多くの方に利用いただいていますが、移転・建替えの取り組みやその後の事業運営など色々な面で、旧診療所 で積み重ねてきた地域に根ざした医療活動と診療所運営委員や友の会、民主勢力など地域の人たちとの共同が大きな支えとなっています。

地域の強い要望と運動で
 1964(昭和39)年に前身の耳原南花田診療所は開設されました。他の民医連事業所の成り立ちと同じように、地域の強い要望と運動によってつくられた 歴史を持っています。開業医も病院も近くにないなかで、医師は耳原総合病院から協力をもらい、場所は地域の方の屋敷の一角の納屋を間借りして夜間専門の診 療として開始されました。しかし開設当初は、「赤い」診療所というレッテルを貼られて必ずしも患者は多くなく、「赤い」決算の連続だったそうです。診療所 立ち上げの中心を担われた運営委員さんたちが“景気付け”にと、夜な夜な診療所に腰をすえては“客”の呼び込みをしたという話も残っています。
 その後、1972年に納屋のすぐ近くに自前の土地を確保して、昨年8月まで診療を続けてきました。南花田町の隣には府営・旧公団の団地群が広がり、高度 成長を支えた勤労者世帯が多く住み、赤ちゃんからお年寄りまで一家(ファミリー)でかかれる、現在の名称の由来とも言える新療活動を特徴としてきました。

オープン前からの厚い期待
 旧診療所の建物も時代を経て老朽化が進み、内科・小児科の二診体制で診療を続けるにはアメニティーや患者のプライバシーの面からも十分ではなくなり、 2000年頃から建替えや土地確保の話が始められました。2005年7月には建設資金集めの取り組みも本格的に開始し、ちょうど1年が過ぎた昨年7月に目 標の1億円に到達しました。
 移転先となった蔵前町は、旧診療所時代に必ずしも患者さんの多い地域ではありませんでした。しかし、地域の方々からはオープン前から厚い期待を寄せてい ただくとともに、友の会への入会、外来・健診の受診、新たに開始したデイサービセンターなどで利用いただいています。また、クリニック前バザーを毎月行っ たり、年末には餅つき大会を行ったり、毎月1回開かれる蔵前町の地元ボランティアによる老人会昼食会にお邪魔して健康チェックを行ったり、と新たな地でも 地域に根ざした医療・介護・福祉のセンターになれるように、職員と友の会、地域の人とともに日々、活動しています。

みみはらファミリークリニック 事務長 森 高志)

「民医連院所のある風景」 『民医連医療』2007年9月号.No.421より

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