医療・福祉関係者のみなさま

2010年11月15日

金沢に1000人 「生きる」をささえる私たち 第10回 全日本民医連 看護介護活動研究交流集会

 全日本民医連は看護介護活動研究交流集会を一〇月二四~二五日、石川県・金沢市内で開きました。
 一〇回目を迎える今回のテーマは「地域から発信しよう『生きる』を支える民医連の看護・介護~きれめない保健・医療・福祉の連携をめざして~」。看護・ 介護現場を中心に、全国から参加した約一〇〇〇人の職員たちが日々の実践を交流しました。
 一日目午前は全体会。記念講演は「いのちの教育」で名高い、教育者の金森俊朗さん(北陸学院大学教授)。地域に開かれた学級づくりをし、子どもや親の成長を感動的に紹介しつつ、教育哲学を語りました。
 全体会では、四つの演題発表がありました。認定看護師と訪問看護の連携の経験(北海道)、在宅療養支援診療所の開設からの一年間(長野)、グループホー ムでの看取り(石川)、貧困のために助けを求めてきた水俣病の兄弟をささえた経験(熊本)、という内容でした。
 一日目午後から二日目にかけては、一三テーマの分科会で、四六一本の発表がありました。真剣にメモをとり、発表者に活発に質問する参加者たちの姿が会場のあちこちでみられました。

教育講演から

 分科会では討論や学習を深める五つの教育講演がありました。概要を紹介します。

すべての人びとの健康を守る保健師・助産師の役割

【講師】服部 真さん(城北病院・副院長)

 働き盛りの人の健診活動に従事し、産業医、産業衛生コンサルタントとしても活動しています。職場が良くならなければ労働者の健康は守れないので、そのサポートをしています。職場を訪問して改善指導もします。
 健康を左右するものには貧困など社会的要因があります。どうして貧困や社会的格差が不健康を起こすか。結論を言うと貧困と病気が循環している実態がある からです。それをくいとめる方法は、人びとの協同とささえあいです。
 公衆衛生が目的にしているのは「一人残らず、すべての人の健康」です。この公衆衛生を増幅させるのが私たち医師や看護職の役割です。
 WHOは「健康とは完全な肉体的、精神的及び人として本来あるべきよい状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」と定義しています。
 日本には男女間、世代間、地域間などに、さまざまな健康格差が生じています。では、健康のハイリスク者はどういう人たちか。社会的なつながりが低い、つ まり、人と人のささえ合いが少ないと死亡率が高くなる傾向にあります。いま、貧困が人とのつながりを断ち切り、孤立化させるという指摘もあります。人は一 人では生きられない。群れをつくって生きる動物です。孤立しては生きられません。健康には、ささえ合いながら生きることが重要です。
 特定健診はメタボに偏っていて、太っている、痩せているかだけに着目します。しかし、これは大きな問題ではなく、助け合いながら生活していけるかどうかが大事なのです。

生きるをささえる食と嚥(えん)下

【講師】竹内 満さん(城北病院・言語聴覚士)

 私たちの病院では、患者さんが口から食べることにこだわっています。時には「こんな患者さんが食べられるの?」と驚かれるほどです。
 これには、低栄養状態の患者さんの悔しい事例が根底にあります。STが評価し、低栄養の原因が嚥下障害で食べられないことにあると判明したため、胃ろうの設置をすすめましたが、最期まで拒否されたのです。
 この事例から得た教訓は、低栄養の裏に嚥下障害を疑うこと、胃ろうは栄養管理の一手段であり、「延命措置」と考えていると手遅れになる、ということでした。
 その後の事例を一つ報告しましょう。重度の嚥下障害の患者さん(九〇代)が、唾液嚥下反射がでる座位をとるようリハビリした結果、食べられるようになり ました。食べると体力がつき、覚醒度も上がりました。「次は座って皆でケーキを」という目標もできました。STのアセスメントに基づき、訪問看護師が、そ の人を座らせたのが効きました。
 医療・栄養管理・リハビリが三位一体でささえれば、食べる可能性が引き出せる、という事例です。
 そもそも嚥下は、非常に巧妙なメカニズムで成立しています。その過程に少しでもトラブルがあると、嚥下障害になるわけです。
 しかし、誤嚥しても、咳ができればいいのです。大事なのは「食べる」を楽しむこと。絶食期間を減らし、栄養確保=体力回復にどうもっていくかです。ここ で看護・介護の力が頼りになります。私たち専門職が情報を提供すれば、皆さんがどんどん実践してくれるからです。
 「口から食べることをあきらめないで。でも、ダメなときは、栄養摂取を優先。体力がついたらまた経口に挑戦を」というのが、話のまとめです。

笑って死ねる病院

【講師】柳沢深志さん(城北病院・副院長)

 NNNドキュメント「笑って死ねる病院」は、肺がん末期患者の「馴染みの床屋へ行きたい」という最後の願いを実現する当院職員の様子を描き、話題を呼びました。
 床屋には看護師やリハビリスタッフら三人が同行しました。撮影したテレビ金沢のディレクターから「患者さんには、いったいいくら請求したんですか」と聞 かれました。「ボランティアです」と答えると「こんなに忙しい病院で!?」と大変驚いていたのを覚えています。
 当院でも何か問題が起こると、「努力が足りないからだ」と医師が自分を責めていました。医師個人の責任ではなく、医師不足をはじめ医療制度そのものを変 える必要があるとわかって、「ドクターウエーブ」の活動が始まりました。テレビ局にもこうした医師の熱意が伝わり、感動的な番組になったのでしょう。
 「城北病院はなぜ、こんなとりくみができるのですか?」とよく聞かれます。一人ひとりの医師、看護師は誰でも患者に寄り添う医療をやりたいと思っていま すが、経営の課題や人員不足で困難になっています。民医連は「本当に大切なものはなにか」を常に見すえているからこそ、できるのだと思います。
 「笑って死ねる病院」は城北病院だけでなく、全国のさまざまな民医連の院所でとりくまれているはずです。恥ずかしがらずに、ご自身の院所の事例を報告し てください。いやなことはたくさん見えますが、良い実践はなかなか見えません。良い実践を表に出すことが、全国の仲間に勇気を与えます。

生活と労働の視点のアンテナを高く

【講師】莇也寸志さん(城北診療所所長)

 民医連綱領には「生活と労働の場で病気を診る」とありますが、日常臨床の中で、どれだけ実践できているか、というのが私の問題意識です。
 最近、社会疫学的な視点が注目されています。ライフスタイル(食事・運動・睡眠・保健活動)には労働やストレスなどが影響しています。ソリッド・ファク ト(健康の社会的決定要因)として、社会的格差・排除、ストレス、労働など一〇個の因子があげられます。英国の調査(九六年)では、「慢性疾患を発症し二 〇年後に仕事を継続できている人」は、ホワイトカラーで八〇%、ブルーカラーでは四〇%でした。日本ではこんな調査がありません。
 私たちの病院にも、解雇の不安やストレスが血糖コントロールに悪影響した症例があります。五〇代でII型糖尿病の患者は、失業していた半年間、ヘモグロ ビンA1cが八%台でしたが再就職したら六%に改善しました。同様にII型の三〇代教師は、部活動の顧問を務め、帰宅が二一~二二時だった時は八%で、顧 問を辞め六時の帰宅が可能になると六%になりました。
 二〇〇七年に実施した糖尿病患者四二三人の調査では、家族や友人、患者会などの「社会的支援」が、血糖値に良い影響を及ぼすことを明らかにしました。と ころが、働いている人一二六人を調べると労働時間との相関がはっきり現れました()。
 私はいま、高度の肥満が「二~三〇代、男性、失業中」に増えていることに注目しています。三浦展氏が『貧困肥満』で「年収が低い、失業・無職、自分を下 流と思っている人に肥満が多い」と指摘しています。労働、人間関係、社会のあり方と健康の関係を理解することが大切です。
 生活習慣に無関係といわれているI型糖尿病患者の五人中四人までが長時間労働だったことも気になっています。その解明には、睡眠など多因子の検討が必要なので、全国的な調査を提案したいと考えています。

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看取り生きるということ

【講師】吉池外志子さん(やすらぎ福祉会理事)

 看護師として病院や特養「やすらぎホーム」で働き、定年になるまでの四〇年、印象に残る看取りはいくつかありました。
 病棟勤務のころ、患者の臨終の際、夫に「奥さんを抱いてあげて」と言った看護師がいました。患者は夫の腕の中で亡くなりました。当時そういう局面では家 族を外に出し、医師が蘇生術を施すのが常だったので、その行為は非難されました。
 いまでは私もそういう看取りがいいと考えています。最期は誰かに抱いてほしい、皆そうでないですか?だから、私たちの施設では、病床のご本人の傍らに家 族が集まり、にぎやかに食事することもあるし、「今夜が山」と医師に言われたお婆ちゃんがいれば、お嫁さんがその時が来るまで足をさすることもあります。
 ホームでは九三年の開設から、二〇四人が死亡退所しましたが、うち一一九人がホームで亡くなりました。亡くなればお別れ会をしますが、葬儀自体をホーム で行った人も一五人。第一号はご本人の遺言でした。他の入所者がどう受け止めるか心配でしたが、認知症の人でも状況を理解して、式の間ちゃんと座っていら れたのです。
 〇四年ごろの入所者の在籍期間は平均六年三カ月でしたが、現在は三年八カ月。入所者が高齢化したり、重度者が入るようになったのが原因です。短期化した 分、職員は入所者を知らず、気持ちの入り方も違ってきます。だから施設に至るまでの在宅からの情報が、その方のターミナルの豊かさを左右します。
 介護保険制度は悪い、でもそれを言うだけでは足りない。一人一人の利用者を観察する力はあるか? 身体だけでなく心もつかんでいるか? ということも、意識していきたいと思うのです。

看護介護活動研究交流集会

分科会から

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熱心に学び交流

 看介研では一三テーマの分科会に計四六一演題が発表され、参加者らは熱心に質疑や発言を交わしました。その一部を紹介します。

第1分科会

人権を守るとりくみ

 患者や利用者が最期まで「その人らしく」生きることをささえる看護・介護職の奮闘が報告さ れました。中でも質問が集中したのが、療養病棟の介護職が看護師ととりくんだデスカンファレンスとお悔やみ訪問(京都)。「看取りを振り返り家族の思いに 触れた。個別性あるターミナルケアが目標」と報告者は語りました。
 「受療権を守る」話題では、無料低額診療事業の実践をはじめ、「看護の気になる患者訪問(神奈川)」や派遣切りされた患者の事例紹介、〇九年に救急搬送 された若年ホームレスのケースから「失業=衣食住を失うという共通点があった」という考察(石川)など、民医連らしい報告が続きました。
 ほか「患者・家族の思いに寄り添うターミナルケア」「貧困格差の中で受療権を守るとりくみ」「認知症・虐待・暴力の困難事例から患者の人権を守る看護・介護」などの報告が出されました。

第2分科会

あきらめない看護・介護福祉の輪

 訪問看護ステーションあすなろ(静岡県浜松市)は、受けもつ重症心身障害児の家族から聞いた不安や要望を契機に、市内の二二訪看事業所にアンケートし、行政の実情を聞き「人手も経験も不足で対応できない事業所が多い、働きかけの必要性を痛感」と報告。
 気管カニューレを装着して無認可福祉住宅に入った患者の訪問看護を通じて、福祉住宅の実態を知ったという報告(東京)、超高齢者の退院調整の経験(愛 知)、認知症で透析通院が困難になった患者を人の連携で支援した(福岡)、インスリン自己注困難者への支援(大阪)など、諸制度を調べ活用して根気よく対 応した報告が多数でした。緩和ケア病棟で痛みがコントロールでき退院した症例(東京)や在宅看取りの経験も多く、「医療と福祉、地域との連携」をさぐり、 利用者と家族の思いに寄りそった活動が中心でした。

第6分科会

患者・利用者の立場に立つ看護・介護

 気管切開したALS患者や障害児・者、がん末期患者など困難な事例に対して「患者・利用者 に寄り添う」との姿勢を貫く実践が報告されました。中でも、「くるめ医療生協在宅ケアセンター」(福岡)の、夫婦とも障害者の世帯に、障害者自立支援法と 介護保険サービスをうまく組み合わせて利用者負担を減らし、最新の福祉用具でじょく瘡の手当てをした実践報告が注目を集めました。
 小児科診療所の友の会活動、医療過疎地での在宅看取り事例にも参加者の関心が集まりました。

第10分科会

介護の専門性と養成の課題

 介護職の教育と研修や、介護職としての専門的な実践の交流が行われました。県連、法人、事業所それぞれの教育・研修が報告されました。
 福井県連では〇六年から県連介護委員会を確立させ、介護総会や事例発表などを実施。「介護部から提案できる力をつけたい」と報告しました。宮城厚生協会 では、介護職教育委員会をつくり、制度教育も充実させ、年度末の発表会も行っていると報告しました。
 石川・城北病院では介護職にもプリセプターを導入。福岡・たたらリハ病院は介護職の安全・感染予防学習を紹介しました。

参加者に聞きました

◆金森さんの話に共感しました。子どもでも患者でも、気持ちを聞くことが安心感と次の展開につながると思います。「話を聞いてくれる存在」が大切ですね。(備前成子さん=看護師・長野)

◆ポスターセッションの発表は、視点が広がり、使えるものばかり。嚥下訓練用の舌の模型をエプロンにつけたり、人形・オモチャを使ってコミュニケーションを豊かにする方法などアイデアいっぱいでした。(西田美加さん=看護師・福岡)

◆やむなく介護職に就いた職員もいて職場づくりが課題。金森先生の話を聞き、成長を促す支援をしたいと思いました。(北川真知子さん=看護師・石川)

◆「介護職員、がんばっているなあ」と思いながら報告を聞きました。悩みも多いですね。経験を重ねた介護職が後輩などに伝えていくべきですね。(小椋豪さん=介護福祉士・北海道)

◆在宅療養支援診療所勤務なのでターミナルケアに興味があり、今回「看取り」の実践をたくさん聞きました。次の開催は徳島です。(木下敬子さん=看護師・徳島)

聴くことが“ちから”生む

看介研記念講演

金森俊朗さん(教育者)

仲間とつながり ハッピーに生きる

 元小学校教師の金森俊朗さんが、第一〇回看介研で「仲間とつながり合っ て、ハッピーに生きようぜ!~生きづらさに立ち向かう、子どもたちからのメッセージ」と題して記念講演しました。金森さんは「仲間とつながり、自然とつな がり、子どもは育つ」との教育思想で、さまざまな実践をしてきました。妊婦や末期がん患者を招いた授業は、教育界だけでなく医療・福祉関係者も注目。金森 学級の一年を追ったNHKスペシャルは大きな反響を呼びました。金森さんが語る「子どもの本音」や「言いたくても言えなかった心情」に、涙を浮かべる参加 者も。「子どもたちの言葉を、全人格をかけて聴く」とのメッセージに、共感の輪が広がりました。(村田洋一記者)

金森俊朗さん 石川県生まれ、64歳。金沢大学教育学部卒。石川県内の8つの小学校勤務を経て2007年退職。08年から北陸学院大学人間総合学部教授。著書に『太陽の学校』、『性の授業 死の授業』(以上教育史料出版会)、『いのちの教科書』(角川書店)など

 小学校では始業式の二日目から給食が始まります。私は「給食をじっと見てごらん。何か声が聞こえるよ。私たちが食べているものって何なんだろう」と語りかけ、食材から「命」を考えさせます。
 ある三年生は「卵や魚やニンジンも命なんだ。牛乳は命を育てるもの。一回の給食に生きものの命が二一種類も入っていて、私たちはそれらに生かされてい る。すごいなあ」と書きました。五年生は「僕たちは実は毎日、ほかの生きものの命を食べていると気づいた。命の多くは、土から生まれている。そうか人間は 土を食べているんだ。いや、生きものは土によって生かされている」と書きました。
 子どもたちが数回の授業で紡ぎ出す文章のすばらしさに、いつも驚かされます。一番大事なことは、自分の言葉を、自分の体から、自分の人生から生み出すこ とです。自分の言葉を紛れもなく、正確な知識の積み重ねによってつくり出す人たちが、しっかり生きられる人だと思っています。

悲しみを背負って生きる

 身体検査があり、検尿の日がきました。持ってきた尿の容器を机上に置かせます。子どもは汚いと騒ぐ。「その汚いものは誰の? どこにあったもの?」と聞くと、「エッ、俺らの体からだ」と言うので「尿は体からのメッセージ」という授業をやりました。
 授業の最後に、「尿は病院に行く。みんなは汚いというが、その尿を、黙々と調べる人がいる」と言いました。すると、臨床検査技師の父親の仕事のことを書 いてきた子がいます。きっと「この先生なら、この学級なら、言える」と思ったのでしょう。読んだ子たちは「わあー、お父さんってありがたいな」と言いまし た。学級でみんなが、「汚い」と騒いでいたら、「私のお父さん、それを調べています」と言えないじゃないですか。
 髪の毛をタラッと垂らして、ニコリともしなかった女の子が六枚の作文を書いてきました。
 「私のお母さんは小学校一年生の妹を連れて出て行きました。残された中三の姉は不登校で家庭内暴力(をふるいます)。お父さんがいないと、(私は)ベラ ンダに出されて、夜眠れなかったことがあります。学校から帰って、玄関のカギをかけられて入れなかったこともあります。私は家出しました。私はこのことを お父さんに言いたかった。でもお父さんは、いま会社が倒産寸前で毎晩仕事探しやお金の工面に走り回っています。そんなお父さんに、こんな私のことで心配か けたくありません」。
 彼女はこのことを誰かに言いたい。言いたくないけれど言いたい。迷いに迷って書いた。最後の一行がすごかった。「私の悩み、その悲しみをどう貫いて生き ていくかです」。五年生、一一歳の子が「生涯にわたって、私はこの悲しみを背負って生きなければいけない」と言っている。でも、彼女は作文を出すとき、 「先生、ありがとう」とにっこり笑いました。私はその笑顔が忘れられない。

全人格をかけて聴く

 彼女が作文を読んだあとが、すごいんですね。子どもたちが集まって、彼女の背中をさする 子、「ウンウン」と彼女の顔を見てうなずく子がいます。いままで言えなかった思いを書いてきた。その思いに子どもたちが共感しています。ああ、人って奥行 きが深い。共感できれば、こうやって手を差しのべるんだな、と思いました。
 子どもたちのこうした行為は共存、共生を生み出す〝ちから〟だと思います。ところが、今はこのちからが分断されています。皆さんは子どもが家に帰ってき たら「お帰りなさい、お疲れさーん」と言っていますか? この研修が終わったときに、職場の仲間たちは「お疲れさん、ご苦労さんだったね」と言ってくれま すか?
 私はカッコよすぎるかもしれないけれど、全人格、全人生をかけて子どもの話を聴きます。本気で聴くんです。人が抱え込んでいる辛さは、全人格と全人生を かけて聴かないと語ってもらえない。人が体から人生から生み出す言葉を、とことん本気になって聴くこと自体が、人とつながり合うことです。
 皆さんのお仕事は看護、介護ということで、両方とも手でもって助けるとか、守るとか、応援するとか、そういう意味だろうと思っています。まさにまなざし が手になっている。手がまなざしになり、声がまなざしになる、というのがきょう集まっている人たちです。
 逃げずに見つめ続けている、そして心にとめてくれる人がいる。応援してくれている人がいるということは、すごく嬉しいことです。皆さんはコミュニケー ションが豊かにとれる。言葉というものがどんなに大事なものか、向き合って言葉を聴き取ることが、どんなに大事なことか。多少なりとも皆さんへのメッセー ジになればいいなあ、と思っています。

(民医連新聞 第1488号 2010年11月15日)

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